「学園もの」なのにディストピア 芥川賞作家が描く取扱注意の問題作
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
どんなジャンル分けもあっさりと吹き飛ばすような小説である。
共学の寄宿学校を舞台にしているので、「学園もの」とも「青春もの」とも言えるかもしれない。監視管理社会を描く「ディストピア小説」とも呼べるだろう。さらに、閉鎖的な学園の外側にはパンデミックがあるらしい。
異様な学校である。生徒を能力別でクラス分けするが、成績向上のために男女を問わず、一日三回以上のオーガズムとスポーツを推奨し、ポルノビデオで自慰をし避妊具をつけて性交に励むよう教育しているのだ。
主人公の「勇人」には定期的にセックスを行う女子生徒がいるが、恋人ではない。体育科目は名前のない「スポーツ・マン」が担当し、セクハラ三昧だ。学校に女性教員はおらず、「巡回」役が校内を厳しく監視する。
生徒のランクを決める念力テストが謎だ。なんの能力を測っているのか、生徒たちはなにを管理されているのか? 背景となる「当局」の実態をあえて具体的に描かないのが、今風のディストピアともいえる。
この学園の体制に盲従せず、抗い、攪乱するのが、二名の“誘う女性”であることに留意したい。彼女たちの役回りは、オーウェル『一九八四年』の主人公の愛人ジュリア、そしてディストピア小説の元祖、ザミャーチン『われら』の「I-330号」のそれと合致するからだ。
入れ子状に語られる伏線も破格だ。生徒らが視るビデオの内容描写(18歳のAV女優が男に辱められる)、突然恐竜が飛びこんでくる小説の翻訳(20歳前の女性が年齢が二倍の高収入男性と結婚する)、催眠術にかかった勇人の夢の記述(17歳で高校中退して非正規労働をする女性の話)、演劇部の芝居(「苺人間」との戦い)……。
奇妙なストーリーの坑道が四方八方に伸びていく。この物語の中に入った読者は途中で危険を察知しながら引き返せず、怪しいガスが漂うなか、奥へ奥へと進んでいってしまうだろう。取扱注意の傑作だ。