アンフェアな卑劣さに満ちていた「見えざる手」の思考パターン

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アンフェアな卑劣さに満ちていた「見えざる手」の思考パターン

[レビュアー] 田中秀臣(上武大学教授)

 アダム・スミスは経済学の祖といわれる。「見えざる手」として競争市場のメカニズムを解き明かした。自己中心的な人たちが自由に取引しても、あたかも見えざる手に導かれるかのように、経済や社会はうまく機能するだろう、という考えだ。他人への配慮は二の次で、法やルールを犯さなければそれでOK。あとは自分の欲望の赴くままに競争を続ければ社会は繁栄する、というのがアダム・スミスや今日の経済学の特徴でもある。

 ところが、この「見えざる手」、実は重度の依存症だった、というのが本書の指摘する点だ。「見えざる手」の働きが依存しているのは、女性たちの労働である。アダム・スミスの後世に残る学術活動は、母親がしてくれた食事の支度などさまざまなケアに依存していた。競争社会を勝ち抜くとブイブイいわせている男たちも、女性たちの育児、食事、洗濯など家庭内の無償労働に依存し、それがないと成立しない。

 しかしスミスや世のビジネス“マン”たちも、この「見えざる依存」を称賛するどころか、なかったこととして脳内から排除した。きわめてアンフェアな扱いを女性たちは受けている。しかも今日の経済学では、この男性優位の思考パターンが、合理的な経済人として理想化されている。経済人は、女性たちを都合のいいように利用して、その苦労もろくに評価しない。経済学はこの種のアンフェアな卑劣さのオンパレードだ。

 容赦ない経済学への批判は、軽快な文章もあって読み心地が爽快だ。最近の研究では、日本の無償労働の規模は、GDP比でその三割にも達する。大半が女性の貢献である。だが、女性たちの無償の働きは、経済学でもGDPでも無視されたままだ。男性の依存症によって、女性の社会進出も歪められ進んでいない。この不平等な力関係を正しく見据えるべきだ、と著者は説く。男性優位の社会や経済学を根本から問い直す力作だ。

新潮社 週刊新潮
2022年1月20日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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