磯野真穂『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』を古田徹也が読む。「長寿命」には尽くされない価値と倫理を

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磯野真穂『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』を古田徹也が読む。「長寿命」には尽くされない価値と倫理を

[レビュアー] 古田徹也(哲学者)

「長寿命」には尽くされない価値と倫理を

 物事に対する私たちの捉え方を一定の(しかし曖昧(あいまい)な)仕方で方向づけるイメージのことを、哲学者のウィトゲンシュタインは「像(Bild)」と呼んだ。そして、「像」に影響されることは良くも悪くも人間の生活における最も重要な事実のひとつだと指摘した。
 本書で取り上げられている「血液サラサラ」や「狩猟採集民の生活(と現代人の生活のギャップ)」などは、ウィトゲンシュタインの言う「像」の恰好(かつこう)の例だと言える。私たちはしばしば、これらの曖昧な像を介して予防医学の知見などを受け入れ、統計学的に導かれる匿名の人間(=平均人)のリスクを我がこととして捉えるようになるのだ。
 本書は、私たちが統計学的人間観を内面化させてゆく次第を丁寧に跡づけたうえで、ある極めて重要な論点を指摘する。この人間観は、「自分らしさ」という価値を支え奉じる個人主義的人間観と相反するかのように見えながら、実は裏で結託している、というのである。どちらの人間観も、一個の身体に閉じ込められた可算的な存在として一人ひとりの人間を捉え、かつ、誰にでも等速で流れるものとして時間を捉えることで、「生物的な命の存続こそが何よりも素晴らしい」という倫理を形成・強化している。そして、私たちの社会や生活に甚大(じんだい)な影響を与えている。
 本書の著者は、この現状を全否定するわけではないし、「自分らしさ」の探求を冷笑したりもしない。代わりに、先の二種類のものとは別の人間観を提示する。それは、他者と関係することではじめて生まれ出る者として自己を捉えるという、関係論的人間観である。著者は問う。「他者と生きるとは、どのようなことなのか。その中で生まれる自分らしさがあるとしたらそれは一体いかなるものなのか」。この問いへの答えを探る過程で本書は、生物的な命の持続には尽くされない価値と倫理――私たちの固有の生がもちうる厚み、深み――を、私たちの許(もと)に確かな手触りでたぐり寄せてみせるのである。

古田徹也
ふるた・てつや●哲学・倫理学者、東京大学文学部准教授

青春と読書
2022年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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