BTS効果で完売 ARMYの間で話題となった韓国エッセイ『それぞれのうしろ姿』試し読み

ニュース

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

BTSリーダーRMが本にサインを求め、その後SNSに写真を投稿して話題となった韓国エッセイ

 2021年5月28日午前0時27分、ファンのためのオフィシャルコミュニティ Weverse に BTS の RM が本の一部を撮影した2枚の写真をコメントなしでシェアすると、瞬く間に ARMY(ファン)たちが注目。写真が『それぞれのうしろ姿』の「植物の時間」だと判明すると、韓国の大手書店・教保文庫での週刊販売量が 250 倍に激増し、たちまち完売となった。

 本書は、インスタレーションを多く手掛ける現代美術家、アン・ギュチョルが韓国の月刊誌『現代文学』に連載したなかから厳選した 67 のエッセイとイラストをまとめた。花木やボール、ねじ釘やホコリなど、普段の生活の中では見過ごされがちなあらゆる事物を通して綴られる言葉は、わたしたちの思考をときほぐすと同時に、前向きな気づきを与えてくれる。

 すこしだけ立ち止まってしまっていたあなたへの「あらたな視点」をもたらす言葉たち。
今回は書籍の中から数編の試し読みをお届けします。

 ***

天使が通りすぎるとき

 何人かで楽しんでいた会話がふと途切れ、不思議な静けさが訪れる瞬間を、ドイツ語やフランス語では「天使が通りすぎるとき」と呼ぶ。
 この表現を借りれば、本書はわたしのなかで天使が通りすぎたときの記録だ。一日中ずっとひとりで仕事部屋にこもり、ほとんどのときを沈黙のなかで過ごす。だが、対話はひたすら続く。絵を描いたり、木材を削ったりしながら、材料と語り合い、頭と手が会話をし、左手と右手がおしゃべりをする。この無言の対話が突然止まって静寂に包まれるとき、すなわちわたしのなかを天使が通りすぎるとき、身近な事物の数々は普段とまったく異なる姿を現す。それらを追って短い散歩をするうちに、見過ごしていた草や虫、木々、そしてわたしたちが創り出したにもかかわらず気づかなかった「事物それぞれのうしろ姿」に出合う。あてのないこの旅は果てなくも、四方に散らばる道はどこかで互いに結ばれるのだ。ごく一瞬かもしれないし、待てども永遠に訪れないかもしれない時間。天使が通りすぎるその瞬間、わたしは芸術家として胸を張れるのだ。

ボール


子どもたちはボールで遊ぶ。ボールはとんでもない方向に転がり、子どもはそれを追いかけて息を切らす。ボールの役目は、予想を裏切ることだ。ボールは、どこに跳ねるかわからない不規則な動きで子どもたちをもてあそぶ。数えきれない失敗を重ね、何度もため息をつきながら、子どもたちはボールの動きをつかみ、コントロールする術を学ぶ。ボール遊びは、いわばボールのように転がる世界を生き抜くためのレッスンだ。ボールは子どもに、世の中の出来事の多くは想定外で意思とは関係なく勝手に進み、予告なしに向きを変えることを気づかせる。不規則のなかの規則性を察知してボールよりも速く動かなければ、勝利を手にできないと。負けを減らすためには、ボールのようになるべきだと。
 ボールは、外の世界に興味がない。わたしたちが球技に熱狂するのは、ボールが人間に興味を示さず、完璧に中立であるためだ。ボールは、周りで何が起ころうが、ちっとも気にしない。転がせばなされるままに転がり、止まるべき場所で止まる。ところを選ぶことなく、そもそも選択しようとする意思そのものが存在しない。地形と重力、その他のさまざまな偶然によって決められるがまま転がり、止まるだけだ。わたしは時々、ボールのようになりたいと願う。

風になる方法


 風に揺られながら、木は種を風に乗せて遠くへ飛ばす術を思いついたのだろう。ひとつところで生息する植物の限界を超え、はるか彼方へ風のように旅する方法を。種は、まるで宛名のない手紙のようにさすらい、風が止まる場所に、まったく見知らぬところに根を下ろして芽を出す。
 木々は静物ではない。時間のリズムが違うだけで、木もわたしたちのように動きつづけている。ふいに若葉を震わせ、時には枝を揺さぶり折る獰猛な風に身を任せながら、木は風に乗って空を翔たいと思ったはずだ。
 けさ、涼しくなった秋風に舞う木の葉を見つめながら、わたしは風から何を学べるか考えてみた。風になる方法、風のように現れ、風のように消える方法、見えない手で事物をなで、止まっているものを動かし、地面に落ちたものを天に舞い上がらせる方法、そしてときにぐるぐると渦巻く心を静める方法を会得できるか考えてみた。

サビ


 敵はたいてい自分よりも小さい。ほとんど目立たず、やかましい音を立てることもない。敵は、わたしたちを倒すにはわずかな攻撃で十分であり、むしろささやかであるほど効果的だと知っている。さりげなく密かにスタートする作戦の結果は致命的だ。まったく予期せぬところから崩壊が始まり、気づいたときには取り返しがつかない状態になっている。たとえば、金属を腐食させるサビのように。
 サビはまず、塗装が剝げたごく小さなキズや溶接部のヒビに発生する。攻撃対象のもっとも脆弱な地点にこぢんまりとした拠点を設け、ほんの少しずつ領土を広げ、ついに事物の内部に侵入する。サビは決して急がない。強く手ごわい相手でも、時間が自分の味方だと心得ているからだ。だが、いったん攻めはじめると、ひたすら前に突き進む。
 わたしたちは腐食がかなり進行するまで、まったく気づかない。湿気から金属を守っていた塗装の防御膜が破られると、金属は外気に触れて猛烈に反応する。境界が崩れ、それぞれの内と外がひとつになる過程、塵に戻る過程、それが腐食だ。わたしたちが造る家や都市、橋やモニュメントは、すべて腐食の危険にさらされている。足元で、頭のなかで音もなく進む崩壊と消滅への道程をできるだけ引き延ばすこと、すなわち事物の外部と内部をしっかりと分け、接しないようにするのがわたしたち芸術家の仕事だ。人生は、小さくも強固な敵から身を守る闘いである。

ガラスのコップ


 1個のガラスのコップが床に落ちて割れる瞬間の音を、1分、1時間、あるいは1年に延ばすとどうなるか想像してみる。砕け散る音の総量は同じだが、小さく長く続くため、時が経つにつれて別の次元のものになる。わたしたちは、それをガラスが割れる音だと認識しない。ガラスのコップも、自らの体が粉々に砕けていくことに気づきはしないだろう。
 わたしたちの人生を、よりによって割れるガラスのコップにたとえるのは気がひける。だが人生も、まるでじわじわ壊れていくガラスのコップのようだ。子どもは大人になり、青年は老人になり、記憶は嘘のように消えていく。わたしたちは、気づかないほどゆっくり進む破壊によって生じる細かい破片の霧のなかにいる。予想通りにいかず、取り返しのつかない結末を迎えた後、初めてその意味を理解する。そしてようやく、自分の愚かさをとがめ、歳月のはかなさを嘆く。
 しかし、わたしたちが人生の重みに耐えうるのは、たっぷり時間があるからだ。人生は1秒が数万倍に引き延ばされたようなスローモーション。そうでなければ、わたしたちもガラスのコップのように、一瞬にして粉々になってしまうだろう。

植物の時間

 裏庭の背の低い花木たちは、冬のあいだ何をしているのか。春から秋まで、緑の葉と赤い花を思いきり広げていたサツキとツツジは、冷たい冬風が吹く数カ月間、ずっと静止画のように窓に映る。朝になると数羽のシジュウカラがやってくる。だが、日が昇ってから暮れるまで、ゆっくりとわたしの周りを移ろう影だけが変わる風景のなかで、サツキとツツジは、乾いた小枝を四方に伸ばし、眠っているのか夢見ているのか、微動だにしない。花木だけでなく、冬はあらゆる虫や雑草までもが変わらぬ姿で厳しい時間を耐えている。
 だが、わたしたちには、それらを憐れむ資格があるのだろうか。その小さなものたちが無慈悲な自然にあらがわず、岩のように黙々と時を待っているのに、わたしたちはなぜ時を待てずに苦悶し、葛藤するのか。虚しさを何かで埋めるために、じっとしていられないわたしたちの焦りは、植物たちからしたら滑稽に映ることだろう。ひとりでいることが寂しいとか、人生に意味があるとか、ないとか。そんな愚痴さえ恥じる一年になるように、自分のなかに潜む植物の時間を目覚めさせる新しい年になるように、冬の木々の前で願う。

 ***

【目次】
はじめに
Ⅰ 植物の時間
Ⅱ 20 個の単語
Ⅲ 芸術家たちに恩恵を
Ⅳ 庭のある家
訳者あとがき

【書籍概要】
書名:それぞれのうしろ姿
著者:アン・ギュチョル
刊行:2021年11月22日
判型・ページ数:四六版/292 頁
定価:1,540 円
刊行:&books(辰巳出版)

アン・ギュチョル
1955年、ソウル生まれ。ソウル大学美術学部で彫刻を学ぶ。その後、美術雑誌の記者を経て、ドイツのシュトゥットガルト美術大学に留学。帰国後は韓国芸術総合学校で教鞭をとり、美術家としても本格的に活動を始める。本書は月刊誌『現代文学』に11年間連載したなかから、67の文章と絵をまとめたものである。

桑畑優香
翻訳家、ライター。早稲田大学第一文学部卒業。延世大学語学堂、ソウル大学政治学科で学ぶ。「ニュースステーション」のディレクターを経てフリーに。多くの媒体に韓国エンタテインメント関連記事を寄稿。主な訳書に『韓 国映画 100 選』(クオン)、『BTS を読む』(柏書房)、『BTS と ARMY』(イースト・プレス)、『BTS オン・ザ・ロード』(玄 光社)、『家にいるのに家に帰りたい』(&books)ほか多数。

辰巳出版
※この記事の内容は掲載当時のものです

辰巳出版

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

株式会社辰巳出版社のご案内

辰巳出版社グループは、雑誌・書籍・ムック・コミックス・ニューメディア商品の出版・発行をしてします。
「シーバ」「猫びより」などのペット雑誌や、「つり情報」「パチンコ・パチスロ必勝本」プロレス誌「Gスピリッツ」、「自転車日和」、料理本などの趣味系ムック、書籍などを扱う辰巳出版。
趣味・くらし・健康の実用書を扱う日東書院本社に分かれており、様々なジャンルで『面白い、楽しい。』を追求しています。