アザラシが主人公の「かわいい」ファンタジー…なんかじゃない 黒い笑いとしびれるほどの皮肉が詰まった物語『チェレンコフの眠り』

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チェレンコフの眠り

『チェレンコフの眠り』

著者
一條 次郎 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103398738
発売日
2022/02/18
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

[本の森 SF・ファンタジー]『チェレンコフの眠り』一條次郎

[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

 桃色の地に、立位のアザラシのイラストがあしらわれた一條次郎『チェレンコフの眠り』(新潮社)の表紙カバーの印象は「かわいい」。手に取って開くと、フォルクスワーゲンビートルのような車に得意気な顔で乗っているアザラシが描かれたとびら絵が目に入ってきて「かわいい」印象はさらに強まる。動物が活躍するファンタジーなんだろうなあと思う。そして本編。冒頭でぶっ飛ぶ。〈警官隊の一斉射撃を全身に浴び〉〈くろぐろとした血の溜まりをのこして〉チェレンコフがいきなり死んでいる。最初の一文で。

 マフィアのボス、チェレンコフ。彼が殺されたのは、アザラシのヒョーの誕生パーティーを開いている最中だった。生き残ってしまったヒョーは死体が散乱する豪邸をあとにし、仕方なく町へ出る。取り急ぎシーフードレストランで腹を満たそうとしたものの金が払えず、店で働くことになる。「生きた食材」をひたすらひれで殴って殺す日々。店長に罵声を浴びせられ暴力を振るわれ……え、ちょ、これ、動物が活躍するファンタジーじゃなかったの?!

 ヒョーは人間の言葉が話せる。だからファンタジーではある。彼の住む世界も、ダークダークファンタジーだ。汚れ切って魚が消えた海、大地震による亀裂が残ったままの道路、天気の悪い日に空から降ってくるのは廃プラスチックで、人間を含めた生き物の体内はナノプラスチックでいっぱい。そんな世界でヒョーは、座座座テレパスという名の怪しげな人物から歌手にスカウトされるのだった。

 動物、音楽、マフィア。著者らしい要素を駆使した黒い笑いとしびれるほどの皮肉が、これでもかというほど盛り込まれている。物語の後半、行き場のなくなったヒョーは、かつてこき使われていたレストランを〈なにものにも替えがたい貴重なシェルターだった〉と思い出す。記憶を改ざんするのだ。この「人間的なふるまい」は、彼が言葉を持って(知って)いるからできる(できてしまう)ことなのだが、人は、いや人類は、ずっとこうやって自分たちを騙し続けてきたんじゃないか? と問われているような気がしてならない。ある人物が〈仕事ってのは、破壊活動の別名だからな〉〈働けば働くほど地球がぶっこわれるんだ〉とヒョーに言う場面、「欺瞞の暴き方」のかろやかさが恐ろしい。本当のことは言われないものだ、という真実が突き付けられるから。

 ヒョーはかわいくないわけではない。かわいい。自問を繰り返すところ、体を洗うために自らコインランドリーの洗濯機に入ってぐるぐる回るところなんか特に。残酷で凄惨な描写が頻出する中で、そのかわいさはかなしみとおかしみの両方を帯びる。アザラシという動物に対して人間が抱く、呑気、のどかというイメージを、最大限に「利用」した小説だ。

新潮社 小説新潮
2022年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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