【全文公開】「戦争」という言葉は使用禁止…言論弾圧下でロシア語圏作家が語ったこととは

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灰色と戦争バチ

 開戦直後、ウクライナの作家が連名で「ロシアに対する文化制裁」に賛同する声明を出したとき、そこにアンドレイ・クルコフ(1961~、邦訳に『ペンギンの憂鬱』沼野恭子訳、新潮社、ほか)の名を見つけ、愕然とした。なにかの間違いであってほしい。声明はロシア文化センターの閉鎖やロシア文化全般の受け入れを遮断する主旨のものだ。文化の断絶は2014年以降、深刻な問題として続いてきた。だが本来、ロシアとウクライナの歴史と文化は密接に絡まりながら発展し、簡単に切り分けられるようなものではないし、シーシキンが言うように、理想をいうなら「文化や文学は、戦争の真逆にあるべきもの、すべての人を愛でつなげるべきもの」だ。おまけにクルコフはロシア出身のロシア語作家として、これまでロシアの作家ともウクライナのロシア語作家とも、ウクライナ語作家とも交流を続け、交流の仲立ちをしてきた貴重な存在だ。去年『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』(イースト・プレス)のなかでクルコフの『灰色のミツバチ』(未邦訳)をとりあげたのは、この作家がウクライナ東部の紛争グレーゾーンに足を運んで描いた、ミツバチを愛する養蜂家、「紛争には関わりたくない」姿勢を貫きロシア人ともウクライナ人ともクリミア・タタールの人々とも交流する主人公の姿を伝えたかったからだ。
 3月16日、朝日新聞朝刊にクルコフの寄稿(沼野恭子訳)が掲載された。文章からは、ウクライナの人々の苦しい現状が切々と伝わってくる。とりわけ切実なのは、現在ウクライナで「18~60歳の男性は国境を越えることが許されていない」状況の実態だ。「軍隊に召集されるからだ。一人の女性が夫を車の荷台に隠して国境を越えようとしたが、成功しなかった。彼は拘束され、軍当局に送られた」。戦いたくなくて逃げたくても、逃げ出すことが許されない――ウクライナのこの現実は悲痛であり、異常である。そして読み進めると、クルコフはほんとうに「私はもうロシアの文化や歴史にも興味はもてない。ロシアには二度と行かないし、本も出版しない」と語っている。そこには彼の語るように、母語のロシア語を使うことさえ「恥」と感じてしまうような戦禍の混乱があり、灰色が灰色のままでいられない状況があるのだろう。ふと、『灰色のミツバチ』の不穏なラストが思い出された――主人公のセルゲイは、クリミアで役人に一旦没収されて返却された蜂の巣箱のことが気がかりだった。返された蜂の巣はなにかがおかしい。そして彼は、灰~のミツバチたちが巨大な戦争バチになる夢を見る。目が覚めても、「ひょっとしたら伝染病に感染させられたか、あるいは小型探知機でも仕掛けられているのではないか」と疑心暗鬼に陥った彼は、故郷への帰り道の途中、その巣箱を手榴弾で爆破してしまう。彼は生き残った一匹のミツバチを他の巣箱へ入れようとするが、他の巣箱の蜂はそのミツバチを巣に受け入れようとしない。彼は「まるで人間みたいだな」と諦め、その場を去っていく。
 灰色のミツバチが「巨大な戦争バチ」になるという疑念にとりつかれたら、人はいかに愛していたミツバチでも、巣箱ごと爆破してしまう――あまりに無情な戦争の破壊力だ。

戦争から言葉を守る

 しかしなにが起ころうと世界はつながっているし、特定の地域の歴史や文化の否定が生み出すのが新たな無理解と悲劇であることはいうまでもない。
 ロシア政府が「戦争」という言葉や政権への批判をすべて禁止すると、その直後から、報道媒体でも個人単位の発言でも「歴史」を語る人々が急増した。戦争が起き、現在進行形で犠牲者が出ているのに、それを止める術を口にすることさえ許されなくなった状況下で、現在と共通点のある歴史上の出来事を語ることによって、どうにかして意思の疎通をはかろうとする試みである。ローマ帝国、中世、近現代……あらゆる知識を持ち寄り、文脈を読み合うことで対話を成立させ、即時停戦への道を、これ以上の諍いを避ける道を探す人々。その知性と、これまでさんざん弾圧されてきたからこその抵抗文化のしぶとさに勇気づけられる。
 アレクサンドル・ゲニス(1953~、邦訳にピョートル・ワイリとの共著『亡命ロシア料理』沼野充義・北川和美・守屋愛訳、未知谷)は3月10日、「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙に、『前例――非戦闘散文』と題した随筆を発表した(「非戦闘」という言葉は「反戦」と言えなくなったがゆえの言い換えであると同時に、文学とは戦うものではないという本文の内容を表すものでもある)。ゲニスはロシアのリャザンに生まれラトビアのリガで育ち1977年にアメリカに亡命した、いわゆるソ連の「第三の波」の亡命者の一人だ。
 この随筆は、ゲニスが亡命した当時の回想からはじまる。「過去はまったく同じように繰り返すものではないとわかっていても、私は過去なしでは生きていけない」「歴史のなかに現在との共通点を見つけることで、いま起きていることのどこに焦点を合わせればいいかが見えてくる」と、いま歴史を語ることしか許されなくなったロシア語圏の人々へのエールが読みとれる前置きをしたうえで、ゲニスは続ける――「ほぼ半世紀前、アメリカに辿り着いた私はそう考えて、いわゆる『亡命文学』のなかで生きていくためのお手本を探そうとした」。そのときゲニスが見つけたのが、ドイツ文学だった。「ロシア人がソ連から逃げてきたのと同じように、ファシズムから逃げてきたドイツ人は、すべての亡命者の夢である『検閲のない文学』を生み出そうとしていた。いちばんの有名人はノーベル文学賞を受賞していたトーマス・マンだ。一九三八年、『水晶の夜』と呼ばれるユダヤ人迫害が起きた直後、マンはある問題に直面した。ハンターカレッジの独文科の教授が、教え子たちが『こんなに酷いことをする民族の言葉を学ぶ意味があるのか』と不安になっていると嘆く手紙をよこしたのだ。マンはその教授に丁寧に返事を書き、ユダヤ人迫害を明白に非難したうえで、これまで文化のためにしてきた貢献は守るべきだと説き、学生たちに対し、『無知蒙昧な指導者たちが現在ドイツ語を貶めようとしているからといって、ドイツ語学習を投げ出してはいけない』と呼びかけた。その後、ヒトラーがフランスを侵攻した。第二次大戦のなかで、マンはこれまで『罪のない民衆』と考えていた人々への視座を幾度も改め、ラジオ番組で繰り返しドイツの罪を語った。それどころか戦後は、ナチス政権下で出た本は『恥と血』に染まっているから処分すべきだとさえ言った。つまり誠実なドイツ語は、ナチスがいなかった場所、亡命者のいる場所とスイスだけに残されたということになる。これにはさすがに反論も出た。ドイツでナチズムの時代を耐え抜いた批評家は、マンは政治に汚され、憎しみゆえに頑迷な物言いをするようになってしまったと批判した。だが亡命者が自由を手にしたのは、敵と戦うためではない。アメリカでは亡命者たちによって、数多くの優れた文学作品が出版された。ブロッホの『ヴェルギリウスの死』、ブレヒトの『ガリレイの生涯』、ヴェルフェルの『ベルナデットの歌』、トーマス・マン自身の四部作『ヨセフとその兄弟』。これらが当時の政治に直接言及するような作品ではないにもかかわらず真に反ファシズム的である所以は、彼らがそれらの作品をドイツ語で書くことにより、ナチスからドイツ語を守っていたという点に尽きる」。
 ゲニスは続いて第二次大戦時に言葉を守ろうとしたロマン・ロランやバートランド・ラッセル、ヘルマン・ヘッセに言及し、第一次大戦のときと決定的に違ったのは、こうした信念のある平和主義者が以前とは違う困難な状況にたたされたことだと語る。そんななか、ヘッセほど巧みに文学を戦争から守った作家は類をみない。ゲニスは、いまのようにあまりに絶望的なときは、必ずヘッセの『ガラス玉演戯』(邦訳は高橋健二訳、新潮文庫)を読むという。「ヘッセはスイスにいながらドイツに残された平和主義者を助け難民を助け死者や迫害された者たちに涙しナチスを批判したが、それと同時に作家であり続けることで文学を戦争から守り抜いた。時事に直結することを書かなければ現実逃避や遠回りをしているという批判のまかり通るような殺伐とした時代にあっても、ヘッセは『戦争』に心を支配されることを頑なに拒んだのだ」。
 ヘッセはスイスで、トーマス・マンはアメリカで、それぞれにドイツ語をナチズムの恥から守っていた。焼き尽くされた戦後の貧困のなかで、西欧の人々は皆、ドイツ語を用いていた人々がどれほど残忍な行為をしたのかをわかっていながら、ヘッセやマンの本に希望を見出すことで、武力と言語を直結させるという愚行に陥らずに済んだ。『ガラス玉演戯』は戦争を描かない。ヘッセにはわかっていたのだ。大惨事の果てには必ず、人の内面世界を救うことこそが大切になると。
 ゲニスはこの随筆をこう結んでいる――「それは、絶望的に暗い時代にこそ必要なものだ。一見、いまはそんなときではない、『ガラス玉演戯』などという高尚な頭脳遊戯をしたところで、パンは安くならないし砲撃は止まらないと言いたくなるようなときだ。爆撃の続くうちは、文学などいったいなんの意味があるのかと切り捨てられがちだ。けれどもヘッセのような人々こそがいま、凶暴化してしまった人類がいずれ戻るべき場所を、築きあげているのだ」。
 半世紀近い時間を亡命者として過ごし、アフガニスタン侵攻をはじめとするロシア軍の愚かしい行為の度に心を痛め、戦争から言語を、文学を、文化を守ることを考え続けてきたゲニスだからこその言葉なのだろう。

社会学者の視点

 ブィコフが番組を持っていた「モスクワのこだま」で政治コメンテーターを務めていたのが、社会学者のエカテリーナ・シュリマン(1978~)だ。彼女はこれまでも常に「憲法」の大切さ――「ロシアの憲法は、いま骨抜きにされてこそいるが、人権と民主主義の基本がきちんと書かれている」ことを主張し、「違憲な法律が成立してしまう国家構造の問題点」を指摘し、さらに政治的な圧力による解雇についても「法知識を味方につけることで不当な理由による解雇を防止する」方法を教えるなど、いまのロシアで市民に必要な社会学と法律の知識を発信し続けてきた。また、ロシアで弾圧を受けた人々に対する法的支援団体OVD-infoの活動にも携わってきた。彼女は「モスクワのこだま」閉鎖後も、オンラインやさまざまな文化・教育機関などで講演を続けている。最近の講演動画は軒並み100万回再生を超え、多いものは250万回以上になっている(社会学者の講演がである!)。以下、現状理解に役立ついくつかの問題についての彼女の回答を簡単に紹介する(シュリマンの講義の詳細は、岩波書店『世界』臨時増刊「ウクライナ侵略戦争」掲載)。
【暴走する国家権力と国民の責任(2019年2月)】
 権力がこんな状態に膨れあがるまで黙っていた国民が悪い、という見方があります――なぜ最初の言論弾圧の兆候が出た時点ですべての人がたとえばクレムリンの前に行って断固として抗議をしなかったのか、と。けれどもそれは間違っています。なにが具体的に脅かされるのかを明確に理解できない状態のまま(実際、法の改悪は多種多様なごまかしとともに進められるものです)、各自が普段の生活や仕事のなかで担っている責任をいったん放り出し、警察に拘束される危険を冒してまで抗議する人はまずいません。人は、「そんなことは理性的判断ではない」と考えます。それは人間としてごく自然なことです。
【責任の所在(学生向け講義、2022年2月25日)】
 私たちは無論、それぞれに責任を負って社会を生きています。けれどもいま起きていることの責任をこの社会で生きる「すべての人」にまで広げてしまえば、その決定に至るまでにほんとうに責任のあった人々への追及を諦めることにもつながりかねません。「私たちみんなが悪かった、みんなに罪がある」というのは、道徳的には理解のできる表明です。けれども基本的なことを理解していなければなりません――権限が大きい人ほど責任は重く、権限が小さい人ほど責任は軽いのです。
【独立団体の弾圧とプロパガンダ(同日の講義)】
 現政府は、市民の組織したあらゆる独立団体をことごとく敵視しています。これまで、すべての団体は、国家の下部組織に組み込まれるか、さもなくば潰されるということがなされてきました。
 なぜ巨大な国家にとって、ごく少人数の趣味のグループまでもがそんな「敵視」に値するのでしょう。それはまずひとつは、人間が、小さくてもどこかの団体に属することで、その人たちと仲間意識や連帯感を持ち、自分は間違っていないという自己肯定感を得られる存在だからです。〔…〕ところが国家の下部組織以外の独立した団体がまったく存在しない空間にひとりぼっちでいると、人は常に不安でよりどころがなく、いつ周囲からつまはじきにされるかと怯えるようになります。強権国家にとって、これほど都合のいいことはありません。そうした社会では、プロパガンダが容易に浸透します。プロパガンダはまず仮の「多数派」を装い、いまどういう考えが支持されているかを演じてみせようとします。はじめはどんなに荒唐無稽に思える主張でも、それがすでに支配的思想であり、社会に浸透しているかのように見せかけるのです。その後、不安でよりどころのない人々が沈黙しているうちに、偽りの「多数派」を鵜呑みにした主張をする人々が出てきます。すると強権国家は強く人々に同調を求めるようになります。〔…〕エリザベート・ノエレ=ノイマン〔1916~2010、ドイツの政治学者〕に「沈黙の螺旋」という法則があります。マスメディアなどが事実とは異なる統計を示し続けると、そこで示された「多数派」の声は次第に大きくなり、「少数派」は沈黙を余儀なくされ、その螺旋がどんどん膨張し、「多数派」ばかりになっていくという法則です。この螺旋への導入を徹底的にやろうとするのがプロパガンダです。
【軍への召集について(2022年3月8日)】
 いま恐れられているのが軍への召集です。各自、兵役経験の有無や退役を証明する書類を確認してください。専門知識を持った女性など、特殊な需要が考えられるケースも念頭に置いてください。医師の診断書〔従軍を断るための〕を用意してください。電話での軍事委員部への呼び出しには応じないでください。召集には正式な令状が必要です。もし警察や軍などから怪しげな電話を受けたら「令状を郵送してください」と言って相手にしないでください。郵便物が来たら消印があるかどうかを確かめてください。過去に、消印のない郵便物や電話による不法な呼び出しで「軍事委員部に出向け」と言われ、行くと自らが出向いたものとして「義勇兵」とみなされて戦地に送られた例があります。どんな状況になっても、「断ったら射殺されるのではないか」と怯えて言いなりになるのではなく、「同意したらどうなるか」の恐ろしさのほうを考えてください。もしも法的に拒否権がないと言われても、あらゆる手で「時間稼ぎ」をしてください。

希望をつなぐ

 この暗い日々、ロシアの友人たちにとっても私にとっても、エカテリーナ・シュリマンの声は希望だった。世界の人々が歴史に学び築きあげてきた学問と憲法と法律を、社会学と政治学の知識をふまえて、いまのロシアの状況と照らし合わせて語り続けている。目眩がするほどだ――こんなに鮮やかな希望が転がっているのに、日本ではまったく知られていないなんて。
 反政府を訴えながら文学で人を魅了しリスナーを励まし続けてきたブィコフの声も、スイスから静かに語り続けていたシーシキンも、大衆の心に届く言葉で強く反戦を訴えるグルホフスキーも、歴史に学び戦争から言葉を守ろうとするゲニスも、それぞれが困難に行き当たりながら、武力に負けない知性と文化を絶やすまいとしている。
 私たち――文化に携わるすべての人間にできることは、特定の(国や民族や団体といった)まとまりを断罪することではなく、学ぶべき相手を探すこと、異郷の優れた学者や作家や芸術家を探し、それを届け、受けとり、考えることだ。世界の学問を、人権活動を、文化を、文学を、つなぎ続ける。これは長い道のりの一端でありながら、緊急の課題でもある。恐怖と無理解が生む攻撃性ほど恐ろしいものはない。まだ伝わっていない大切なことはたくさんある。できることだけでいい、まったく同じ考えじゃなくてもいい。ただひたすら、武力に心を支配されることだけはせずに、無数のちいさな橋をかけなおそう。

奈倉有里(なぐら・ゆり)
1982年、東京都生まれ。2002年からペテルブルグの語学学校でロシア語を学び、その後モスクワに移住、モスクワ大学予備科を経て、ロシア国立ゴーリキー文学大学に入学、2008年に日本人として初めて卒業し、「文学従事者」という学士資格を取得する。東京大学大学院修士課程を経て博士課程満期退学。博士(文学)。研究分野はロシア詩、現代ロシア文学。著書に、『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』、『アレクサンドル・ブローク 詩学と生涯』。訳書に、ミハイル・シーシキン『手紙』、リュドミラ・ウリツカヤ『陽気なお葬式』、ボリス・アクーニン『トルコ捨駒スパイ事件』、アンドレイ・シニャフスキー『ソヴィエト文明の基礎』など。

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2022年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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