<書評>『谷川健一と谷川雁(がん) 精神の空洞化に抗して』前田速夫 著

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<書評>『谷川健一と谷川雁(がん) 精神の空洞化に抗して』前田速夫 著

[レビュアー] 米田綱路(ジャーナリスト)

◆進歩主義を批判した兄弟

 民俗学者で歌人の谷川健一と、詩人で思想家の谷川雁。二人はそれぞれ戦後日本の在野で稀有(けう)な仕事を遺(のこ)した。本書は、健一の影響で民俗研究を志した文芸編集者が、この兄弟の独立独行の歩みを交互にたどる異色の評伝である。豊富な引用をもとに、一見対照的な両者に通底する「いと小さき者への共感」と、近代主義を批判し、国家主義を越えて彼らが求めた「共同体の詩」の在り処(か)を探り当てる。

 一九二一年に熊本県水俣で生まれた健一と、二歳下の雁は、新政府に抗した神風連の乱や西南戦争の記憶を身近に感じて育った。明治開化主義の虚妄に対する反乱と保守の思想は、戦争の破局をくぐって戦後を生きた二人にとって魂の原郷をなしたのである。

 日本人の伝承や民俗の深層へと旅した健一が「宗教的人間」とすれば、筑豊の炭鉱労働者の生活に入った雁は「政治的人間」だと著者はいう。両者が共有したのは、戦後日本に支配的な進歩主義に対する批判精神だ。健一は平凡社の画期をなす『風土記日本』や『日本残酷物語』の編集を手始めに、高度成長で失われる民衆の生活を民俗学の手法で記録した。雁は「根源的でないものは創造的ではない」と、「工作者の論理」でコミューンを実践し、文化運動誌『サークル村』を組織した。

 雁が直観で本質を捉えて演繹(えんえき)するのに対し、健一は地道に推論と踏査を重ねて帰納する。著者は二人の方法の違いをそう述べたが、詩と民俗学という表現の違いを越えて、到達しようとする先の符合に目を引かれる。そして彼らが卓越した組織者であるという共通点が興味深い。健一は日本地名研究所を設立し、列島の地名や山野河海(さんやかかい)を守る運動を率先した。雁は人びとを魅了した「東京へゆくな」の詩は反故(ほご)にしたが、子どもたちの魂の教育に尽力し続けた。こうした組織づくりにこそ、兄弟の原点が存在するのだ。

 著者は健一の「負の前衛」という言葉を借りて、他者との繋(つな)がりが希薄化した精神の空洞化に抗する姿勢を甦(よみがえ)らせた。民俗の殿(しんがり)として闘う、前衛の思想がここにある。

(冨山房インターナショナル・3080円)

1944年生まれ。民俗研究者。元『新潮』編集長。『余多歩き 菊池山哉の人と学問』など。

◆もう1冊

谷川健一著『神に追われて 沖縄の憑依民俗学』(河出文庫)

中日新聞 東京新聞
2022年6月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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