心残り 沢木耕太郎『飛び立つ季節 旅のつばくろ』試し読み

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「旅のバイブル」の名をほしいままにしている不朽の名作『深夜特急』(新潮文庫)。その著者、沢木耕太郎氏が北へ南へ、この国を気の向くままに歩き続けた「国内旅エッセイ集」、『飛び立つ季節 旅のつばくろ』(新潮社)の中から、「心残り」を試し読みいただけます。
白虎隊で有名な飯盛山を訪れた沢木さん。隊士たちの墓に詣で、帰京したところあることに気が付いて……。

 ***

心残り

 会津と聞くと、日本人の多くは、反射的に「磐梯山」か「白虎隊」を連想するのではないかと思う。会津には「猪苗代湖」も「米」も「酒」もあるのに、民謡に出てくる「宝の山」としての磐梯山と、戊辰戦争における悲劇の象徴としての白虎隊のインパクトの強さにはどうしてもかなわないかのようだ。
 それが会津という地方ではなく、都市としての会津若松となれば、これはほとんどすべての人が飯盛山で自刃した白虎隊の若者を思い浮かべるのではないかと思われる。会津若松と白虎隊とはそれほど強く結びつけられて私たちに記憶されている。

 その日、会津若松にいた私は、時間がたっぷりあったので、白虎隊の隊士の墓があるという飯盛山に行くことにした。
 駅前から延びる一本道を、真っすぐ歩いていくと三十分足らずで飯盛山に着く。
 飯盛山は、山と名前はついているが「鎮守の森」風の小さな丘に過ぎず、頂上に向かっていくらか長めの石段が続いている。
 驚いたことに、その石段の隣には有料の動く歩道が設置されている。
 やれやれ、と思いかけて、老齢のご夫婦がチケットを買っているのを見て、そういう方たちにとってはありがたいものなのかもしれないと思い直した。
 さすがに私は階段で上がることにしたが、頂上に着いたときには、ほんの少しだが息が切れていた。
 その頂上には寺社の境内のような森閑とした空間が広がっており、正面に素朴な石で作られた墓が並んでいる。数えてみると十九基で、それがここで自刃したとされる若者の墓であるらしい。その脇には似たような造りの墓が三十余りあるが、どうやら別のところで戦死した白虎隊の隊士のようだ。しかし、観光客が線香を手向けるのは、正面の十九の墓に対してだけであり、その他の墓は見向きもされない。
 墓からの案内板によって、丘の南側に続く細い道を下っていくと、途中に狭い平坦な空間があり、若者たちが自刃した場所とある。
 なるほど、そこからは、南西の方向に鶴ヶ城を望むことができる。そこまで辿り着いた若者たちは、城の方向に煙の立つのを見て落城したと思い込み、いまはこれまでと全員で自刃した、ということになっている。
 私が茫然と遠くの鶴ヶ城を眺めていると、そこに初老の女性に率いられた七、八人ほどの女性のグループがやってきた。そして、その初老の女性がガイド風に説明を始めた。私も近くに立っているため、いやでも耳に入ってくることになったが、その女性が力を込めて説明していたのは、彼らがなぜ自刃したのかという理由であった。
「よく、白虎隊の方たちについて、まだ落城もしていないのに火煙が出ているのを見誤って自刃してしまった、というようなことが言われますが、そんなことはありえません。みなさん賢い子弟の方々です。そんな浅はかな勘違いで死を選ぶはずがありません。ここに辿り着いたとき、すでに傷つき、疲労困憊しており、たとえこのまま敵と相まみえたとしても無様な姿を見せることになるだけだ、それならいっそここで、と思われたのです」
 言われてみれば、そうかもしれない。その考え方の方がはるかに説得力がある。私は新しい知見を得て、なんだかとても得をしたような気分になり、もういちど白虎隊の隊士たちの墓に詣でると、そのまま石段を下りてしまった。
 だが、東京に戻って、あらためて白虎隊関係の本に眼を通して、「しまった!」と思った。私はただ単に墓を見ただけで帰ってきてしまったが、実は、飯盛山にはまだ見るべきものがあったことに気づかされたのだ。
 頂上へ急いでいた私はまったく気がつかなかったが、石段の途中には「白虎隊記念館」なるものがあったらしい。そこには、酒井峰治という白虎隊の生き残り隊士の文書が展示されているという。
 酒井は、仲間とはぐれたあと、ひとり鶴ヶ城に入り、籠城戦に加わる。しかし、その戦いに敗れ、新政府軍に降伏したあと、なんとか生き延びることになる。明治維新後は北海道に渡り、そこでひっそりと一生を終えた。
 その酒井は、生涯ほとんど白虎隊のことを口にすることはなかったが、死後、家族は、白虎隊とはぐれてからのことを簡潔に記した文書を発見する。それは白虎隊に関する一級の資料となるものだった……。
 その酒井の存在を知って、私が思い浮かべたのは、イギリスのケン・ローチが監督した『大地と自由』という映画である。
 一九三六年に勃発したスペイン戦争には、ヨーロッパやアメリカから多くの義勇兵が反ファシズムの戦いのために参加した。その中には、多くの若い労働者がいたが、やがてフランコらの反乱軍の攻勢の前に、失意のうちに自国に帰っていかざるをえなくなっていく。
 イギリスの若い女性が、祖父の死後、遺品を調べると、古いトランクの中から、スペイン戦争に義勇兵として参加し戦ったことを示す品々が出てくる。セピア色の写真、古い新聞記事、そして手紙……。映画は、その孫娘が、スペイン戦争について何ひとつ語らず、一介の労働者として生き、死んでいった祖父の青春の戦いを、それらの遺品を通して辿り返そうとするところから始まるのだ。
 飯盛山の「白虎隊記念館」には、同じように、戦いを生き延びた酒井の書き残した文書が展示されているという。
 それは見たかった。多くの同輩と共に死を覚悟して戦った若者が、ひとり生き残ってしまったという現実を引き受け、敗北後の人生をどのような思いで生きつづけていたのか。その一端でも窺い知ることができるかもしれないものだったのに、見逃してしまった。私はまた旅先にひとつ心残りを作ることになってしまったのだ。

 もっとも、私は旅先に心残りを作ることも悪くないと思っているようなところがある。そこに心を残しておけば、いつかまた訪れることができるだろうから、と。そう、残した心を「回収」するために。

新潮社
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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