ママはダンシング・クイーン 吉川トリコ『流れる星をつかまえに』試し読み

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『余命一年、男をかう』で第28回島清恋愛文学賞を受賞し、話題を呼んでいる吉川トリコさん。
吉川さんの最新作『流れる星をつかまえに』は、さまざまな境遇にいる登場人物たちの姿を通して、ジェンダー、セクシュアルマイノリティ、日韓問題をはじめとする社会の分断など、今わたしたちが直面し、考えなければいけない問題を、時にユーモラスに、時に切なく描いた連作短編集です。
その中から、家族仲がしっくりいかず、生き方に迷う主婦の奮闘を描いた「ママはダンシング・クイーン」の冒頭を公開します。

 ***

「ママ、チアリーダーになる!」
突然の宣言を、家族はことごとくスルーした。
「ママ、おかわり」と息子は茶碗を突き出し、「あ、俺も」と夫がつられ、「ねえ、お弁当まだ? 早くしないと遅刻しちゃうんですけど」と娘は急かした。
「あ、はいはい。ごめん、いますぐ」
朝の忙しい時間にこんな話をはじめてしまったこちらが悪いのだとすぐに気持ちを切り替えて、私はママに徹した。炊飯器からご飯をよそい、弁当箱におかずを詰め、無心に立ち働くママロボットに。
はて、だったら私はいつ私の話ができるんだろう。
そう思ったときには嵐は過ぎ去ったあと。夫は会社へ、娘は高校へ、息子は小学校へ飛び出していき、食卓には朝食の残骸が散らかっている。やれやれと私はため息をつき、一口齧っただけで放置してある玉子焼きやたくあんをぽいぽいつまんで口に入れ、夫の湯呑に残った冷めきったお茶で流し込んだ。台所に立ったままあれこれつまんでいるうちに私の朝食は終わる。ちゃんと食べた気がしないのに腹だけは満たされていて、いつもなんだか物足りないのに体脂肪率は三十%台に乗ったきり下がろうとしない。
「わ、もうこんな時間」
夫と娘に持たせた弁当の残りをタッパーに詰め、BBクリームで雑な化粧をし、私もパート先へ飛び出していく。家を出るとき、ふと思いついて、今朝の中日新聞を丸めてバッグに突っ込んだ。

【ドラゴンズ☆ママチア! 参加チーム募集】
5月14日(日)母の日にナゴヤドームにて「ママチア!」イベント開催決定!
参加条件 (1)8人以上のチームであること (2)メンバー全員がママであること (3)ドラゴンズLOVEであること
はがきに代表者の氏名・住所・連絡先とチーム名を明記の上、中日ドラゴンズ「ママチア!」係まで。公式サイトでも受け付けております。4月10日(月)必着。応募多数の場合は抽選となります。

チアダンスをやろうだなんて、普段の私だったら思いつきもしなかっただろう。
気づくといつもクラスの片隅に追いやられている冴えない眼鏡の女の子。アメリカの学園ドラマでいうところの「ナード」。私の人生、ずっとそれできた。
チアリーダーといえば学園の花形中の花形、「女王蜂」とその取り巻きしかやってはいけないものだと決まってる。「ナード」の私には当然プロムクイーンなんて夢のまた夢。下手したらプロムにいっしょに行く相手すら見つけられずに、自宅でパパとママに慰められ、バケツアイスをやけ食いし、「シーズ・オール・ザット」(地味な女の子が学園のイケてる男の子の手によって大変身! その年のプロムクイーン候補に選ばれるという青春映画)を観てさらに落ち込む……。
生まれたのがアメリカでなくてよかった! 日本にプロムがなくてほんとによかった! 3と心の底から思うのと同時に、アメリカに生まれていたらどうなっていただろうとつい想像してしまう私は、そう、なんの因果か根っからのアメリカ学園映画フリークなのである。座右の銘は「アイス・プリンセス」で主人公の母親が放った「女はいくつになってもプロムクイーンが憎いのよ!」
そんな私がなんでまたチアリーダーになろうと思ったのかって?
そりゃあキルスティン・ダンスト主演の「チアーズ!」はフェイバリットな一本だし、「glee/グリー」でいちばん好きなキャラはサンタナだけれど、まさかそれだけでチアリーダーをやろうなんて大それたことを思ったわけじゃない。
そもそものきっかけは、いまから一週間ほど前にさかのぼる。日曜日の昼下がり、娘も息子も春休み中で、その日はめずらしく家族そろって、ダイニングでのんびりお茶を飲みながらローカルの情報番組を眺めていた。
名古屋ではそれぞれのテレビ局にドラゴンズの番組がある上、ローカルの情報番組でもドラゴンズコーナーにかなりの時間を割く。その日も、ドアラがバック転に失敗しただとか今季のドラゴンズの仕上がりだとか昨日のゲームの様子だとかを、「今年は期待できるかもしれんな」「パパ、毎年それ言っとるやん」などと軽口を飛ばしながら見ていたのだけど、
「開幕戦で今年のチアドラゴンズがお披露目されました」
とアナウンサーが告げたとたん、夫と息子が画面にかぶりつきになったのを私は見逃さなかった。
ヘソ出し&超ミニのユニフォームをまとい、きらきらひらひら舞うチアドラゴンズの映像をバックに、「平均年齢二十歳!」と声を上ずらせる男性アナウンサー。「いんや、厳密には十九・八二歳ですわ! そこ重要だから間違えんといて」とすかさず訂正する司会のお笑い芸人。このくだりいるか? そこまで正確に平均年齢を出す必要あるか? と若干の苛立ちを覚えていると、
「なんか知らんけど今年レベル高くないか? 隆信、どの子がいい?」
と鼻の下を伸ばし、夫が息子に向かって問いかけた。
「えー、わからんー。さっきのショートの子はけっこういいと思うけど」
照れくさそうにしながらも、にやにや笑って隆信が答えた。我が家の男たちは、茶の間でこの手の話をするのにいっさいの躊躇がない。いつもいやらしい笑いを顔に貼りつけて、「珠理奈ってめっちゃかわいいよなあ」「いや、SKEならやっぱまさにゃでしょ」などと意見をかわしている。
「そうかあ、パパはこっちの子のほうが好きだけど。最年少だぞ、最年少」
「まぁた、そんなことばっか言って……」
あきれてため息をつくと、なんだよ、と夫が苦々しそうな顔でこちらを見た。
「おまえらだってしょっちゅうジャニーズだのK-POPだのってきゃいきゃい言っとるだろ」
うっ、と私は一瞬だけ言葉に詰まり、
「そりゃそうだけど、少なくとも私たちはジャニーズやK-POPアイドルの平均年齢を計算して喜んだりはしないよ。ましてや、だれが最年少だのなんだのって──いやまあ、だれがヒョンでだれがマンネかってのは重要な問題だけどあくまでそれは彼らの関係性をより深く楽しみたいからであって、そんなことよりいつだれが兵役にいくかのほうが……」
重要な問題なんだから! と続けようとしているところで、夫の顔に、あ! というひらめきが浮かんだ。
「さてはママ、若い子に嫉妬しとんな。なんつっても平均年齢二十歳だもんな」
は? なんでそうなるの?
私は唖然として、とっさになにも言い返せなかった。
「みっともないなあ、おばさんが嫉妬して」
「おばさん」
「え? なに? おばさんだが。どっからどう見たって。この子なんてこないだ高校卒業したばっかりだと。葉月とそう年も変わらんし、娘って言っても通るぐらいだが」
それを言ったら娘ぐらい年の離れた女の子に鼻の下を伸ばしてるあんたはなんなのよっ、と言い返しそうになるのをこらえ、せめて娘を味方につけようとSOSの視線を送ってみたところ、嫌悪感を丸出しにして両親のやりとりを見ていた葉月はふいと視線をそらし、張りつめた表情で叫んだ。
「美鈴ママ、昔チアリーダーやってたんだって! 全国大会で優勝するぐらいの、すごいチームにいたんだって!」
私だけでなく夫も息子も、葉月の唐突な発言に目を点にした。
「いまもすっごく若くてきれいで、年は変わらないのにうちのママとは大違い。ぜんぜんおばさんってかんじがしない」
あまりのことに反応できずにいると、隣で夫が噴き出した。
「葉月、そりゃあかんわ。美鈴ちゃんちのママみたいな美魔女とくらべたらうちのママが気の毒だわ」
夫につられ、ろくに意味も理解していないだろう息子が、そうだ、そうだ、と騒ぎ出す。
話の腰を折られ、苛立ったように葉月が唇を噛む。こういうときにはいつもそうするように私は意識を遠くに飛ばし、夕飯のおかずのこととか、クリーニングに出さなくてはいけない洋服のこととかを考えようとしたけどうまくいかなくて、
「おばさんで悪かったですね」
と言い捨てて席を立った。
洗濯物を取り込もうと勝手口からふらふら庭へ出て、日焼け止めを塗っていないことを思い出した。しみになる、と思って、すぐに、ま、いっか、と思い直した。どうせ、もう、おばさんなんだし。鼻の奥がむずむずして、くしゅっと飛びあがるようなくしゃみを二回した。

美鈴ちゃんというのは、葉月の小学校からの幼なじみである。
美鈴ママとは、学校行事の際や電話でたまに話すことがあるが、たしかに同年代とは思えないほどアグレッシブでバイタリティにあふれ、自分とはまったく異なる文化圏で生きてきた人だというのが外見だけでなく性格からもにじみ出ていて、いつもなんとなく気後れしてしまう。ちょっと化粧が濃すぎるんじゃないかしらとは思うけど、若作りのファッションも私の目には痛々しく映るけれども、高校生ぐらいの女の子からしたらあれぐらいわかりやすいほうが「きれい」で「若々しい」ということになるのかもしれない。週一でベリーダンスに通っているとかで、四十歳を超えてあのスタイルを維持しているのは素直に称賛できなくもない。
……ああそうだ、正直に言おう。私は美鈴ママに嫉妬している。美鈴ママに会うたびになにかがちりちりと私の胸を焦がすのだ。平均年齢二十歳の若さ弾けるチアドラゴンズにはまったくなにも感じないのに、娘や夫が美鈴ママを褒めると、みじめでたまらない気持ちになる。
たぶんそれは、美鈴ママが「女王蜂」だからだ。「女王蜂」としてこれまでの人生をなんの挫折も知らずに歩んできて、ヒエラルキーの頂点にいまなお君臨し続けているからだ。
理屈じゃない。「女はいくつになってもプロムクイーンが憎い」のだ。
でもそれってつまり、裏を返せば自分もそうなりたいっていうことなのかもしれない。青春時代に悔いがあるからいまもこうしてくすぶり続けているんじゃないの? 今朝、中日新聞の片隅に「ママチア!」の告知を目にした瞬間、降ってわいたように私はそのことに思い至った。ならばいっそ、私もチアリーダーになっちゃえばいいんじゃない?
とんでもない飛躍に思えるかもしれないけど、引っ込み思案のヒロインが物語を切り拓いていくには、これぐらいのジャンプ台が必要だ。私が好きな映画のヒロインはみな、自分が自分であるために闘っている。
これは私が私を取り戻すためのチャンスなのだ。
朝刊を握りしめ、私は自分を奮い立たせた。

(続きは書籍でお楽しみください)

ポプラ社
2022年8月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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