『祖父が見た日中戦争 ――東大卒の文学青年は兵士になった――』
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『祖父が見た日中戦争 東大卒の文学青年は兵士になった』早坂隆著
[レビュアー] 桑原聡(産経新聞社 文化部編集委員)
■いじめ、銃撃 本性あらわに
著者は、がんで余命半年と宣告された祖父に、プロのライターとして向き合い、戦争体験を語らせた。
「人生の最後に、あの戦争のことを孫に話す。いい幕切れかもしれないね」「男同士、最初で最後の真剣勝負をしよう」
祖父は著者の求めにこう応じて語り始める。
旧制一高をへて東京帝大へ。職業社会史を卒論のテーマに定めて経済学部の単位を履修した。サークルは文芸部。川端康成の自宅を訪ねて文学論を振りかざし、私生活では聖心女子学院の学生との淡い交際もあった。卒業後は三井鉱山に就職し、結婚もした。赤紙が来たのは24歳のときだった。
最初は皇居を守る東部12部隊に配属されるが、ほどなく大陸へ渡る。列車が奉天に向かっているとき、祖父は、身重の妻を残して日露戦争で死んだ祖父のことを思う。おそらく祖父と同じ運命をたどることになる、そう考えると「人間という生き物がいかに前進しない間抜けな存在であるか」を理解する。
山東省エン州の第32師団で兵隊としての基本的な訓練を受ける。現地の中国人とは総じてよい関係を築き、中国人の店主からは「日本軍が駐屯して以来、町の治安が格段に良くなった」という声を聞く。
戦況の激変に伴い、祖父たちは帰徳という町に移る。ここで日本軍に伝わる陰湿ないじめを体験する。軍馬を逃した兵士の頬を上官は帯革(おびかわ)で数十回殴打したうえ、鶯(うぐいす)の鳴きまねをしながら部屋のあちこちを跳ね回る「鶯の谷渡り」を命じたのだ。
もちろん戦闘も体験する。ある日、上官は祖父たちに「それぞれ爪を切り、封筒に入れるように」と命じる。そうして八路軍の拠点となっている集落に向かう。激しい銃撃戦の中で、冷静に引き金を引き続けながら祖父は直感する。「私は今、催眠にかかって目がくらんでいるのではない。そうではなくて、逆に覚醒しているのだ」
戦場においても、常に自分を客観的に見つめようと努めてきた祖父の語りは、平素の人間性を剥がして、その本性をあらわにしてしまう戦争の真の恐ろしさをひしひしと伝えてくれる。
戦争と人間を考えるとき、基本図書となるべき著作である。(育鵬社・1980円)
評・桑原聡(文化部)