【ロングセラーを読む】『スローターハウス5』カート・ヴォネガット・ジュニア著、伊藤典夫訳 戦争の傷 皮肉交え描く

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

【ロングセラーを読む】『スローターハウス5』カート・ヴォネガット・ジュニア著、伊藤典夫訳 戦争の傷 皮肉交え描く

[レビュアー] 海老沢類(産経新聞社)

生誕100周年を迎える米作家カート・ヴォネガット(1922~2007年)の小説は日本の現代作家にも影響を与えてきた。軽やかで斬新な断章形式、度重なる話の脱線、アイロニーに満ちた箴言(しんげん)や警句の数々…。苦くとも優しいユーモアをたたえたヴォネガットの語り口は、現代アメリカ文学に親しんだ村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』にも流れている。

第二次大戦に従軍したヴォネガットは、戦地で凄惨な無差別爆撃を経験している。代表作『スローターハウス5』(1969年)は、そんな実体験を基にしたSF仕立ての長編小説。昭和53年に刊行された文庫は32刷17万部を超えている。

主人公の米国人ビリー・ピルグリムは第二次大戦中のヨーロッパ戦線でドイツ軍の捕虜となり、ドイツのドレスデンに移送される。ほかの捕虜とともに集められたその都市の食肉処理場(スローターハウス)で、ビリーはあろうことか味方の連合国軍による無差別爆撃を受ける。なんとか生き延びて帰国したビリーは富豪の女性と結婚し職も得て子供も授かる。

そんな筋立てが、自分ではコントロールできずに未来と過去を絶えず往来する「時間旅行者」となったビリーの〝旅〟という趣向で紡がれる。時間軸のめまぐるしいシャッフルは事情も分からずに戦場に立った青年の混乱を映す。作家は冷静に語ることなどできない惨劇に、人がどう反応し、どんな傷を負ったのかを見つめているのだ。

ビリーが米軍爆撃機隊の活躍を伝える映画を逆回しで見るシーンが印象深い。都市を包む炎はみるみる小さくなる。爆弾とおぼしき物体は不思議な磁力によって空にのぼり、爆撃機に収納されていく…。ビリーはさらに想像する。「飛行士たちは制服をぬぎ、ハイスクールの生徒となる」のだと。戦争というものの愚かさを嘆き、皮肉るまなざしがここにある。

だから、作中に頻出する「そういうものだ(So it goes.)」という有名なフレーズも複雑な響きをもつ。「それは干し草ではなかった。死亡した捕虜からはいだオーバーコートの山であった。そういうものだ」。悲劇的な出来事の後に決まって挿入されるこの言葉は、変えようのない現実を前にした人間の乾いた諦観か。それとも、宿命や運命論にあらがう静かな叫びなのか―。ロシアによるウクライナ侵略が世界を揺るがしている今、改めて精読されるべき小説だと思う。(ハヤカワ文庫SF・792円)

海老沢類

産経新聞
2022年8月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

産経新聞社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク