オーストリアの静かなベストセラー ローベルト・ゼーターラー『野原』試し読み

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小さな町に生きて死んだ、名もない人びとの声に耳を澄ます――。
人生の一瞬の輝き、よろこびと失意、人の尊厳に迫る静謐な物語。

アルプスに生きた孤独な男の生涯を描いた『ある一生』がドイツ語圏で100万部のベストセラーとなり、国際ブッカー賞候補ともなったローベルト・ゼーターラー。俳優として活躍ののち、40歳で作家に転身した彼は、いまやオーストリアを代表する小説家です。新作『野原』の舞台は、ある町のはずれにある「野原」と呼ばれている墓所。そこに生えた白樺の木の下のベンチに、毎日やってくる老人がいます。彼はそこで、町に生きて死んだ人びとの声をたしかに聞いているというのです。20世紀の戦争から現在まで、この街に生きた29人は、人生を振り返ってどんな瞬間、出来事を語るのでしょう。たゆまぬ愛、癒えない傷、仕事への情熱、かなわなかった恋、敗戦による追放……。失意に終わる人生のなかにも、一瞬の輝き、損なわれることのない人間の尊厳がある。名手が描く、このうえなく静かな物語の、冒頭の一章を公開します。

 ***

 男は、目の前の野原にばら撒かれたかのように点在する墓石を眺めていた。草が生い茂り、虫たちがブンブン宙を飛んでいる。ニワトコが生い茂る崩れかけた墓地の壁の上で、一羽のツグミが鳴いている。ツグミの姿は男には見えなかった。もうずいぶん前から目が悪いのだ。年を追うごとに悪化しているが、いまだに眼鏡をかけるのを拒んでいる。かけるべき理由はいろいろあるが、男は聞く耳を持たない。誰かにこの話題を持ち出されると、眼鏡なしの生活にも慣れたし、周りの景色がどんどん滲んでいくのはいいものだと言う。
 天気がよければ、男は毎日のようにやってくる。しばらく墓石のあいだをぶらぶら歩き、しまいには、いびつな形に育った白樺の下に置かれた木製のベンチに腰掛ける。ベンチは男のものではなかったが、男は自分の席だと見なしていた。朽ちかけた古いベンチなので、腰を下ろしてみようとする者など、ほかにいなかった。だが男は、まるで人に話しかけるかのようにベンチに挨拶した。手で表面をなで、「おはよう」とか「寒い夜だったな」などと言うのだ。
 そこはパウルシュタット市の墓地のもっとも古い区画で、多くの人からはただ「野原」と呼ばれていた。昔は、フェルディナント・ヨナスが経営していた畜産農家の休閑地だった。石ころと黄色い毒花ばかりの野原で、ヨナスは町に売る機会が巡ってくるなり、喜んで飛びついた。家畜の放牧はできない土地であっても、死者には十分だ。
 ここを訪れる人は、いまとなってはほとんどいない。最後にここに誰かが埋葬されたのは、何か月も前のことだ。それが誰だったのか、男は忘れてしまった。だが逆に、何年も前の埋葬式のことは鮮明に憶えていた。雨の降る晩夏の日、花屋のグレゴリーナ・スタヴァチが土の下に降ろされたときのことは。グレゴリーナは二週間以上、誰にも気づかれないまま、花屋の在庫部屋に倒れていた。そのあいだ、通りに面した売り場では、しおれた切り花に埃が積もっていった。数人の参列者たちとともに、男は墓穴の前に立ち、まずは司祭の言葉を、その後はひたすら雨の音だけを聞いていた。二言、三言以上言葉を交わしたことはなかったものの、一度、代金を払う際に手が触れあって以来、男はあの目立たない女性とのあいだに奇妙な結びつきを感じていたので、墓掘人たちがシャベルで土をかけ始めると、頬を涙がつたった。
 男はほぼ毎日のように白樺の木の下に座って、もの思いに身を任せていた。死者たちのことを考えていた。ここに眠っている者たちの多くは、個人的に知っていたか、人生で少なくとも一度は出会ったことがある人間たちだった。ほとんど皆が、パウルシュタットの素朴な市民だった。職人、商売人、マルクト通りとそこから延びるたくさんの小路に並ぶさまざまな店の雇われ店員。男は、彼らの顔を思い浮かべようとする。記憶を集めてイメージをつくりだす。そんなイメージが現実どおりでないことはわかっていた。生きていたときの彼らとは似ても似つかないイメージかもしれないことは。だが、そんなことはどうでもよかった。頭のなかにさまざまな顔が浮かんでは消えるのが嬉しくて、男はときどき小さな声でひとり笑いを漏らした。上半身を折り曲げ、両手で腹を抱え、顎が胸につくほどうつむいて。そんなときの男を誰かが――たとえば庭師の誰かや、墓地に迷いこんだ人などが――遠くから見ていたとしたら、祈っているのだと思ったかもしれない。
 だが、実のところ――男は、死者たちの語る声を聴いていると信じていたのだった。なにを話しているかはわからなかったが、死者たちの声は、あたりの鳥のさえずりや虫の羽音と同じように、はっきりと聞こえた。ときには、いくつもの声の塊のなかから個々の単語や文章の断片が聞き取れるような気もしたが、どれほど懸命に耳を傾けても、それらの断片が集まって意味を成すことはなかった。
 ひとつひとつの声がもう一度聞く耳を得たらどうなるだろうと、男は想像してみた。もちろん、それらの声は人生について語ることだろう。人はもしかして、死を経験したあとでなければ、己の生について決定的な判断を下すことはできないのではないかと、男は思った。
 とはいえ、死者たちは、過ぎ去った出来事になどもはやなんの関心もないかもしれない。だとすれば、声が語るのは、彼岸のことかもしれない。向こう岸にいるのはどんな感じがするものか。召され、消滅し、彼岸に受け入れられ、変容するとは。
 やがて男は、そんなもの思いを投げ捨てた。なんだか感傷的で、バカバカしくさえ思われたからだ。そして、死者もきっと生者と同様に、自分自身についてのくだらないことを――愚痴や自慢話を――話すに過ぎないのではという疑いを抱いた。きっと彼らは、文句を並べたて、思い出を美化することだろう。泣きごとを言い、がなりたて、他人を誹謗するだろう。それにもちろん、自分の病気についても話すに違いない。いや、それどころか、話すのは病と衰えと死のことだけかもしれない。
 男は、太陽が墓地の壁の向こうに沈むまで、いびつな白樺の木の下のベンチに座っていた。目の前の土地を測量するかのように両手を広げ、それから下ろした。もう一度、空気を吸い込んだ。湿った土とニワトコの花の匂いがした。それから男は立ち上がり、その場を去った。
 マルクト通りでは店じまいの時間が近づいており、店員たちが、下着や玩具や石鹸や本や安物のがらくたの入った箱やスタンドを、店のなかに戻していた。あちこちでシャッターを下ろす音がして、通りの端からは、箱の上に立って最後のメロンを客に売ろうとする青果店の店主の甲高い呼び声が響いてくる。
 男はゆっくりと歩いた。窓際に座って通りを見下ろしながら晩を過ごすのかと思うと、ぞっとした。ときどき、誰だかわからない誰かの挨拶に応えるために、片手を上げる。行きかう人たちは彼のことを、太陽に暖められた敷石に一歩踏み出すたびに喜びを感じる、満ち足りた男だと思うだろう。だが男はじつは、自分の暮らす通りにいながら、異国にいるようなおぼつかなさを感じていた。
 かつてのブックスター馬肉店のショーウィンドーの前で、男は立ち止まり、前かがみになって、ガラスに映った自分の姿に近づいた。ガラスに映る自分は若い男なのだと思おうとした。だが、こちらを見返してくる目には、もはや男の想像力に火をつけるほどのきらめきはなかった。その顔はただただ年老いて、灰色で、すでに見る影もなかった。髪には、若草色の葉がくっついていた。男はそれを弾き飛ばすと、振り向いた。通りの向かい側を、頭の混乱したマルガレーテ・リヒトラインが、車輪付きのショッピングバッグを引っ張りながら歩いている。バッグのなかには、本当は買ってもいない品が入っている。男はマルガレーテの後ろ姿に向かってうなずくと、歩き出した。先ほどよりも速足で。ひとつの考えが浮かんできたのだ。いや、どちらかといえば予感に近いものが。それは、自分の生の時間についての予感だった。若いころ、男は時間をなんとかやり過ごそうとした。のちには時間を止めようとし、そして老人になったいま、なによりの望みは時間を取り戻すことだった。
 それが、年老いた男の抱いた考えだった。いまはまだ、それをどんなふうに役立てればいいのかわからなかったが、とにかくまずは家に帰りたかった。日が沈むとともに、肌寒くなっていた。帰ったら食品保存庫へ行って、酒をほんのちょっぴり飲む贅沢を自分に許そう。それから柔らかな茶色のズボンを穿いて、台所のテーブルの前に座るのだ。それも、窓に背を向けて。そうしなければ――つまり、世界に背を向けて、なにものにも気を散らされることなく、じっくりと落ち着いていなければ――なにかを最後まで考え抜くことはできないというのが、男の意見だった。

続きは書籍でお楽しみください

ローベルト・ゼーターラー
1966年ウィーン生まれ。俳優として数々の舞台や映像作品に出演後、2006年『ビーネとクルト』で作家デビュー。『キオスク』で好評を博す。2014年刊行の『ある一生』は100万部を突破。2015年グリンメルズハウゼン賞を受賞。2016年国際ブッカー賞、2017年国際ダブリン文学賞の最終候補に。2018年刊行の本書『野原』は、「シュピーゲル」誌のベストセラーリスト1位を獲得、ラインガウ文学賞を受賞。名実ともにオーストリアを代表する作家の一人。

浅井晶子
1973年大阪府生まれ。京都大学大学院博士課程単位認定退学。訳書にローベルト・ゼーターラー『ある一生』、エマヌエル・ベルクマン『トリック』、イリヤ・トロヤノフ『世界収集家』、パスカル・メルシエ『リスボンへの夜行列車』、ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』、トーマス・マン『トニオ・クレーガー』ほか。2021年日本翻訳家協会賞翻訳特別賞を受賞。

ローベルト・ゼーターラー[著]浅井晶子[訳]

新潮社
2022年10月24日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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