副社長を務めていたジャニーズ事務所から退社することを発表した滝沢秀明。13歳でジャニーズ事務所に入所、ジャニーズJr.の黄金期を築き上げた滝沢だが、2018年に芸能活動を引退。以降は、裏方として後進の育成などにあたっていた。
現役時代から後輩の面倒をよく見ていたという滝沢だが、そうした行動の原点は? 恩師・ジャニー喜多川への想いとは? 16人のジャニーズのキャリアを詳細にレポートした『ジャニーズは努力が9割』(霜田明寛著、新潮新書2019年刊)より、滝沢秀明の「努力の軌跡」を公開いたします。
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厳しい境遇を乗り越えたスーパースター
はたして「運命」というものは存在するのでしょうか?
天が人の人生を動かすのか、それとも、人の人生を動かすのはやはり人なのか――。
貧乏に苦しんだ少年が、稀代のスーパースターになっていく。そして引退し、今度はスターを育てる側にまわる。その人生には「運命」というものを強く感じます。
滝沢秀明は、ジャニーズ事務所の歴史の中でも、類を見ないスーパーエリートです。
1995年、13歳で事務所に履歴書を送り、約1週間後に「ジャニーさんらしき人」から電話がかかってきてレッスンに呼ばれ、その2週間後にはKinKi Kidsのバックで踊ることに。さらに、半年後には『木曜の怪談~怪奇倶楽部』というドラマの主演を務めます(*1)。そのスピードは後輩の山下智久が「タッキーは特別なことが普通(*2)」と語るほど。
しかし滝沢は、積極的にアイドルを志していたわけではありません。応募は自らしたものの「どこでもよかったんですよね。とにかく何かやらなきゃいけないなと思っていたら最終的にジャニーズ事務所にたどり着いた(*2)」と語ります。
実は滝沢の家は、幼少期に父親が出ていってから、母親ひとり子ども3人となり、生活には苦労したようです。服が買えずに、冬でも同じタンクトップと短パンで学校に通い、鉛筆や消しゴムも落とし物を自分のもののフリをして拝借しなければならないほど。
中学に入った時にはすでに、自立すること、働くことを考えていた滝沢の最初の憧れはプロレスラー。しかし、プロレス団体に問い合わせ入団条件を聞くも、身長も体重も足りないと言われて断念(*1)。他の芸能事務所にも応募をしていたといいますが、一番先に返事が来たジャニーズ事務所のオーディションを受けます(*2)。
同じ日にオーディションを受けていた今井翼は、「目つきが人と違った」と振り返っていますから、その時点で、覚悟が出来上がっていたのかもしれません(*2)。
「人生が180度変わった(*2)」「ジャニーズに拾われなければ今の自分は想像できない(*2)」と、謙遜する滝沢ですが、滝沢の加入とその後の奮闘によってジャニーズJr.の存在は激変しました。
それまではバックダンサーが大きな役割だったのを、単独でコンサートを行い、ゴールデンを含む冠番組が3つも存在する、一大人気ユニットにまで変化したのです。
そこから現在の嵐や関ジャニ∞のメンバーが輩出し、今でも「ジャニーズJr.黄金期」と呼ばれる時代を作り上げたのが滝沢秀明なのです。
孤軍奮闘するリーダー
当時のジャニーズJr.は約120人(*1)。ジャニー喜多川に指名され、滝沢は16歳の頃から、Jr.全体を取りまとめる役割を担い始めます。ジャニー喜多川の助手としてオーディションにも立ち会っていたといいますから、その信頼の厚さがうかがえます(*2)。
とはいえ、もともとは「とにかく静かで常に隅っこにいる子」「人前に立つことも苦手なタイプ(*2)」だったという滝沢。「リーダーは元々苦手なんです。最初は、この会社に入って、やらされた、みたいな感じだったんじゃないかな(笑)(*3)」と振り返ります。
下は小学校5年生から、上は22、23歳までの大所帯(*1)をまとめるのですから、その苦労は想像に難くありません。先輩には「ここはこういう出番でよろしいですか?」と聞きに行ってライブのセットリストを作り、すると「何でお前の言うことを聞かなきゃいけないんだ」と返され、同期にも「なんで俺はマイクを持てないんだ」と言われる、調整役ならではの難しさを10代から体験します(*4)。
それでも続けたのは、「せっかく用意してもらったチャンスをなくしたくなかった(*4)」。
「先輩のバックについてなんぼの人たちが、急に自分たちのコンサートができるってなったわけですから。そのチャンスに死に物狂いに食いついていった感じです(*5)」
もちろん、まとめるだけではなく、自身も中心に立つプレイヤーとして人気を得ながら、さらに後輩を育てる監督のような役割も果たし続けたのです。
ジャニーズJr.という世界は、数年に一度CDデビューできるタレントに選ばれるため、皆が熾烈な競争を繰り広げています。
番組ではMCを務め、歌番組やコンサートではいつも中心にいた滝沢。倒れて点滴を打つほどのハードスケジュールでも、相談できる仲間はいなかったと振り返っています。
「先輩に相談するのは失礼だと思ったし。Jr.の仲間にも弱音を吐けない。誰にも。相談したり、弱音を吐いたら“贅沢な悩みだな”って思われるだろうから(*5)」
自分が先頭を走り、先輩すら自分の後ろにいるような状況だと、頼る人もいなくなるのです。当時は、ジュニアの仲間にだけではなく、「滝沢ばっかり」と思っているであろう他のジュニアのファンに対しても、「みんなが敵に見えてた」という感情を抱いていて、しんどかったのだといいます(*6)。
先輩を追い抜いて中心に立つことで、誰にも相談できない状況になりながら、滝沢は孤軍奮闘していたのです。
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- ジャニーズは努力が9割
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「努力する意味あるのかな?」
ちなみに滝沢秀明と同い年で、半年遅れで入所したのは、今は嵐として活躍する櫻井翔。当時の滝沢の活躍は、「努力する意味あるのかな?」と櫻井の戦意を喪失させるほどのものがあったようです。当時の櫻井は、滝沢の「大変さも知らずに」ジュニアの舞台の端っこから「なんだかなー」と思いながら見ていたことを告白しています(*6)。
そんな櫻井が嵐としてデビューする1999年前後は、滝沢個人としても、ジャニーズJr.全体としても人気はうなぎのぼりでした。
滝沢はドラマ『魔女の条件』で、松嶋菜々子扮する女教師と禁断の恋をする男子高校生という役でダブル主演。最終回の視聴率は29.5パーセントを記録します。
その頃の滝沢は「取材だったり、生放送の歌番組だったり、その日、何をするのかわからない生活が、14歳からCDデビューする20歳くらいまで続きました(*1)」という日々。その期間で「自分でどこへでも行き、なんでもやり、その場でお題を出されて、全力を出すという対応力は鍛えられました(*1)」と振り返ります。
2002年には“タッキー&翼”としてCDデビュー。しかしデビューして、ジャニーズJr.を卒業してからも、後輩の相談に乗ったり、飲みに連れていくことはもちろん、「滝CHANnel」として早くからネット上のジャニーズJr.の出演動画をプロデュースしたり、演出を手がける自らの舞台ではジュニアの見せ場もきちんと作るなど、労を惜しみませんでした。
後輩への面倒見の良さは、まさに伝説。とにかく話を聞くことを大事にし、後輩とも頻繁にご飯へ(*7)。それは、舞台での共演が多かったKis-My-Ft2の北山宏光が、滝沢の舞台のギャラ分と同じくらいおごってもらったと語るほど(*8)。他にもHey!Say!JUMPの八乙女光はまだジュニアに入りたての少年だった頃に、学校帰りに「ヒマなんだけど」と電話をしても、滝沢はきちんと応対してくれたと証言するなど(*4)、「タッキーにお世話になった」エピソードは枚挙にいとまがありません。グループ内で仲が悪い2人がいると、その2人を仲直りさせ、さらにはキスまでさせるという、独自の手法も駆使する徹底した先輩っぷりです(*8)。
滝沢が心がけているのは、たとえ相手が後輩であっても「一人一人に男として接してる(*9)」と対等な関係でいること。「『今言ってあげないともったいないな』っていうタイミングを逃がさないようにはしてる(*10)」と、相手の様子を見ながら、あくまで、いいところを伸ばすためにアドバイスをしていきます。
「だからJr.と話すときには絶対に『オレのときはこうだったんだよ』って言い方はしないようにしてるんだ。絶対に自分の考え方を押しつけないようにしようって気をつけてる(*11)」
その滝沢の人と接するときの究極の形が、決して怒らない姿勢です。
「僕はプライベートでも、感情をバーッと出すことはないんです。負けですよね。仕事だろうとプライベートだろうと、感情的になった時点で。ほえたら負け(*12)」
滝沢は、感情的にならずに適切に後輩を導く“大人”として周囲に頼られているのです。頼る先輩のいなかった滝沢は、ジュニアを卒業してからも、率先して頼られる先輩で居続けました。自分の時代の押しつけはしないという心配りの一方で、自分の見た美しい景色を後輩にも見せようとしているようにも思えます。
なぜ後輩を育てるのか
2016年には、櫻井翔が対談の中で、滝沢のジャニーズJr.全体に気を配る20年前から変わらない姿勢を知り、その後輩への面倒見の良さに驚いています。
そして「そっちに思い注ぎすぎちゃってさ、自分のことが手薄になっちゃってる時とかないの?」と櫻井は本質的な質問をぶつけます。それに対して「正直あるかもしれない」と答えた滝沢は、その理由をジャニー喜多川への恩返しだ、と語り、こう続けます。
「ジャニーズという歴史をつないでいく作業もひとつの恩返しかなと思っていて。せっかくジャニーさんが見つけたコたちだから、何かしらの魅力があるだろうし。もったいないじゃん? 失敗したら(*6)」
このジャニー喜多川への恩返しをしたいという気持ちの根底には、かつてのジャニー喜多川とのこんなエピソードがあるようです。
「15、16才のころかな、“Youに10あげるから1返しなさい”って言われたことがあって。それは、Jr.がテレビ局の人に挨拶をしなくて、ジャニーさんに怒られたときの言葉なんです。チャンスや環境、すべてを与える。挨拶は1だ。だから最低限、挨拶はしろって。本当にすべてを与えられていたので、少しでも返したいんですけどね。ただ、与えていただいたものの大きさを考えると、どんだけ恩返ししても足りない(*13)」
ジャニー喜多川から与えられたものを後輩に返し続けてきたようにも見える滝沢。自身の芸能活動も続けながら、後輩の面倒も見る「プレイングマネージャー」を続けてきたのは、“最初にすべてを与えられた者”なりの恩返しなのかもしれません。
そして、36歳を迎えた2018年、滝沢は芸能活動からの引退を表明。ジャニーズJr.の育成や、コンサート、舞台などのプロデュース業に専念することになりました。プレイングマネージャーとして自身も芸能活動を続けながら育成する道もあったものの、滝沢は「ジュニアといえども、やっぱりみんな人生をかけて活動しているので、僕もやっぱり人生をかけなければいけない(*2)」と強い意志を語ります。
「僕はジャニーズが大好きなんです」「僕たちが知ってるいいジャニーズを伝えていきたい(*2)」と語る姿には迷いがありません。
引退発表時に、ジャニー喜多川は「『ジャニーズJr.たちの育成で、ジャニーさんを手伝いたい。』と言ってくれた時、私は驚きと共に嬉しくて涙がこぼれそうでした(*14)」とコメント。
ジャニー喜多川にかつて言われた、「Youに10あげるから1返しなさい」について、引退直前のタイミングで中居正広に「いくつくらい返せた?」と聞かれた滝沢秀明は、「まだ1個も返せてないと思います」と答えました(*2)。
「ジャニーさんに親孝行したい(*2)」と語る滝沢は、いなくなった父の姿を重ねているようにも思えます。何もない状況の中から立ち上がった少年は、ジャニー喜多川という“父親”に出会ったことで、人生が一変。
人生を誰かに変えてもらった経験のある人間は、人が人の人生を変えられることを知っている。だからこそ、自身も誰かの人生を変えようと立ち上がれるのかもしれません。
引退直前に、その人生について運命だったのかと聞かれた滝沢は、軽く否定してこう答えます。
「運命もあるかもしれないけど、それは僕だけの力ではないと思っているんです。僕がいま、こうして自由にやらせていただけているのも、周りの方々の協力や努力があっての結果。それを運命という言葉で片付けてしまうのは何だか失礼な気がしてしまうんです(*4)」
努力と感謝で人を引き寄せ、変えていった人生。もしかしたら人生を変えていけたポイントがもうひとつあるかもしれません。
ジャニーズ入りが決まり、初めての取材を受けるために家を出る日。13歳の滝沢少年は母親にこう言って家を出ていったそうです。
「僕はこれからマイナスなことは絶対言わないよ(*2)」
*1:「女性自身」2016年12月13日号
*2:TBS「中居正広のキンスマスペシャル」2018年12月28日放送
*3:「TVガイド PERSON VOL.65」(2018年1月)
*4:「an・an」2018年12月12日号
*5:「MyoJo」2011年5月号
*6:TBS『櫻井・有吉 THE夜会』2016年7月14日放送
*7:「週刊SPA!」2017年3月21日・28日合併号
*8:TBS「A-Studio」2016年7月8日放送
*9:「STORY」2015年9月号
*10:「POTATO」2013年10月号
*11:「POTATO」2011年8月号
*12:「サンキュ!」2012年10月号
*13:「MyoJo」2015年5月号
*14:「ジャニーズ事務所公式サイト」(2018年9月13日、社長メッセージ)
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