山本文緒さんがいなければ、私の作家としての道は開かれなかった 直木賞作家・窪美澄が振り返る【山本文緒さん追悼】

エッセイ

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山本文緒さん

 膵臓がんを患い、闘病生活を経て、2021年10月に惜しまれながらこの世を去った作家の山本文緒さん。2022年10月には134日間に及んだ闘病日記が『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』と題されて書籍化され、改めて故人を偲ぶ声が寄せられている。

 本記事では、山本文緒さんが選考委員でなかったら、私は「女による女のためのR-18文学賞」に応募しなかった、と公言する作家の窪美澄さんが、文芸誌「小説新潮」(2021年12月号)に寄せた追悼文をお届けします。

「文庫が出るまで頑張りなね」という文緒さんの言葉を胸に、作家として歩み始め、ついには直木賞を受賞した窪さんが故人に伝えた感謝とは?

窪美澄・追悼エッセイ「文緒さんに教えていただいたこと」

 お別れはあまりに突然だった。

 今もまだ、山本文緒さんがこの世界にいない、という事実に慣れない。

 遺作となった『ばにらさま』を担当の編集者の方から受け取り、さて、これからゆっくり読むぞ、と思っていた矢先のことだった。感想の言葉を文緒さんに伝えられなかったのが、いちばんの心残りである。

 山本文緒という作家が「女による女のためのR‐18文学賞」の選考委員をしていなかったら、私はこの賞に心を惹かれることはなかった。角田光代さん、唯川恵さん、そして文緒さん。このお三方に作品を読んでいただくこと(それは、つまり最終選考に残ること)を目標にして、作品を描き、応募した。この賞に応募する書き手、そしてデビューした作家にはそういう人が少なくないと思う。文緒さんがいなければ、私の作家としての道は開かれなかった。

 シスターフッド、という言葉を聞くと、私はR‐18文学賞のことが頭に浮かぶ。

 文緒さんはじめ、どの作家さんも、新人作家がデビューすると、全力で応援し、そして、帯や文庫解説などのお仕事を振ってくださる。もちろん、新人作家としては喜びよりも緊張度のほうが高いのだが、女性作家同士の連帯、というかたい言葉でなく、ゆるやかに繋がってお互いに切磋琢磨していきましょう、というエールであると図々しくも思っていた。だから、本屋大賞にも入賞した『自転しながら公転する』の帯や書評を書かせていただけたのも、私にとっては、文緒さんからのエールのようで嬉しかった。

 山本周五郎賞をいただいたとき、受賞後、たくさんの編集者や関係者の皆さんに「どうぞよろしくお願いいたします」と頭を下げるのだが、文緒さんだけが、「声が、嗄れてる」とおっしゃってくださった。たった一言だが、そんな風に言葉をかけてくださったのは文緒さんだけだった。お人柄などよく知らなかったのに、なんだかとても文緒さんらしいな、と思った。

 その後、プライベートでも何回か遊んでいただいた。新宿のルミネtheよしもとに二人で行ったことは今でも思い出す。私はただ、ぼんやりとおもしろいな、と思っていただけだったが、芸人さんに対して、文緒さんの感想はたいそう具体的に厳しく、それもまた、文緒さんらしい言葉だった。そのときだったろうか。「文庫が出るまで頑張りなね。そうしたら、少し楽になるから」という言葉をかけていただいたのは。そうか、文庫が出るまでは頑張ろうと、素直に思った。デビューして、なにがなんだかわからなくなっていた時期だったので、この言葉は自分の深い所に響いた。文緒さんの言う「文庫化されるまで」というマイルストーンが見えるまでは頑張ろうと思えた。

 以前、下北沢の書店B&Bで、ゲストに作家さんを呼んで、定期的にイベントを行っていたのだが、「文芸あねもね」(R‐18文学賞に由縁のある十名の作家による、東日本大震災のチャリティとして企画された電子書籍、のちに文庫化。私は不参加)の回で、吉川トリコさん、蛭田亜紗子さんと共に文緒さんにもご登場いただいた。「文芸あねもね」への参加そのものもそうだが、後輩作家のイベントに登場してくださるところなど、とてもフットワークの軽い方でもあった。このときの文緒さんが「人前に出るのは久しぶりなので」とおっしゃっていたが、とても楽しそうに語っていたことが強く記憶に残っている。

 書き手としての山本文緒さんに教えられたことはいくつもあるが、いちばん大きなことは、「この世に存在するどんな感情も描いていいのだ」ということだと思う。女性の心のちょっとした動き、声を大にして言えない思い、それがどんなにネガティブなことであっても、書いてはいけないということはこの世にはない。それを私は文緒さんのたくさんの作品から教えていただいたと思う。

 人と人とが交わるときに起こる感情のかすかなにじみ(多くの人にとっては、それは最初から存在しない)、そういうものがよく見える目を持っていらした作家であった。

 うつを体験なさり、休養期間を経て、それでも作家として書き続けた。

 同じ病気を発症した自分にとって、その病を抱えながら小説というフィクションを書き続けた文緒さんは、常に先を、ずっとずっと先を行く作家であった。それでも小説を描くという作業は身も心も容赦なく削り取る。すべての神経が剥き出しになるような感覚と共に生きていかねばならない。それでも、文緒さんは最後までやり遂げた。

 文緒さんがこの世界にいない、山本文緒の新作がもう出ない、ということは、とても悲しいことではあるけれど、十分書き切りましたよね、という言葉をかけたい。プロット作りも、締め切りも、ゲラの催促もない場所で、安らかに体と心を休めてほしいと心から思う。

 猫ちゃんとコーヒーと何か甘いもの。文緒さんの好きなものだけに囲まれて。

新潮社 小説新潮
2021年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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