「せんせえ、遅くなってしまったけど……」作家・吉川トリコが山本文緒さんに伝えられなかった言葉【山本文緒さん追悼】

特集

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク


山本文緒さん

 膵臓がんを患い、闘病生活を経て、2021年10月に惜しまれながらこの世を去った作家の山本文緒さん。2022年10月には134日間に及んだ闘病日記が『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』と題されて書籍化され、改めて故人を偲ぶ声が寄せられている。

 本記事では、2022年夏、『余命一年、男をかう』で第28回島清恋愛文学賞を受賞し、歴代受賞者として文緒さんの後につづいた作家の吉川トリコさんが、文芸誌「小説新潮」(2021年12月号)に寄せた追悼文をお届けします。

 文緒さんをかけがえのない“推し”と仰ぐ吉川さんが、生前の「ふみおせんせえ」に伝えられなかった言葉とは?

吉川トリコ・追悼エッセイ「私 a.k.a. 子供おばさん」

 ふみおせんせいがもういないなんて、まだ信じられないでいる。日に何度も、ふいにメソメソしてしまう瞬間がある。今日もヨガの途中に猛烈にかなしくなって、ダウンドッグの姿勢のままだらだら涙を逆流させていた。

 大好きな人が、いってしまった。

 この先、こんなつらいことをくりかえしていかなきゃいけないんだろうか。いつかこれに慣れるときがくるんだろうか。想像するだけでおそろしく、途方もない気持ちになってしまう。

 せんせいは私がデビューした「R‐18文学賞」の選考委員であり、偉大な先輩であり、東日本大震災の際にチャリティ同人誌『文芸あねもね』をともに作った同志でもあるのだが、私としては「推し」と呼ぶのがいちばんしっくりくる。

 昨年、七年ぶりにリリースされた推しの新作『自転しながら公転する』を読んだとき、小説ってこんなに面白かったっけ? と脳がびりびりとしびれるような快感をおぼえた。そんな読書をするのはずいぶんひさしぶりのことで、ああ、そうか、山本文緒の新作を読むこと自体ずいぶんひさしぶりなんだと気づいた。

 デビューする前、まだ二十歳やそこらだった私は、少女小説や海外のYAにはそれなりに親しんでいたけれど、次になにを読んだらいいのかわからないでいた。そんなときに、山本文緒に出会った。どの作品にも、大人になりきれない不器用な人たちが世界とのずれに苦しみながら必死に生きている姿が書かれていた。小説ってこんなに面白かったっけ? とやはり脳をびりびりとしびれさせながら夢中で読みふけった。とくに『きっと君は泣く』『眠れるラプンツェル』あたりはことあるごとになんべんも読み返しているし、いまでも小説の書き方がわからなくなるとお手本のように開いたりする。これを「推し」と呼ばずしてなんと呼ぼう。

「R‐18文学賞」からデビューした作家はみな年齢も近く、年に一度の受賞パーティーなどで集まると、せんせ~、ふみおせんせ~と女学校の生徒のように推しを取り囲んでいた。推しはいつもにこやかに笑って、一人一人、親身に言葉をかけていた。下北沢の中華料理屋でべろべろに酔っぱらってさんざん無礼を働いた私の友人にまで、「しっかり生きるんだよ」と帰り際に声をかけてくださっていた。神さまみたいだった。

 しかし、私ときたら、長いあいだ推しとの距離を測りかねていた。だれかに推しの隣に座るよう勧められても、「結構です!」「緊張するから無理!」と突っぱねた。そのくせ、同じ空間に推しがいることを意識しまくり挙動不審に陥るたいへんにめんどくさい痛オタであった。

『文芸あねもね』の打ちあげで、十一人の作家とイラストレーターが奇跡的に全員集合したことがある。後にも先にも、そんな夜はあの一度きりである。大好きな作家であり大好きな友人たちに囲まれて、なんだかふわふわと夢みたいで、

「すごい、好きな人しかいない飲み会なんてこの世に存在するんだ」

 と思わず漏らした私を、おい、とばかりに推しが小突いた。

 そんなやりかたでしか好意を伝えられなかったことを、いまとなっては悔いるばかりである。そんな子供っぽい態度も数々の失礼な言動も、しょうがないねえと笑って許してくれそうな懐の深さが推しにはあって、それで余計に甘えてしまったのかもしれない。せんせいはいつだって信じられないほどやさしかったが、その笑顔の奥にぴんと張りつめた厳しさのようなものがあって、そんなところも神さまみたいだった。

 推しの最新刊『ばにらさま』の最後を飾るのは、『文芸あねもね』に寄せていただいた「子供おばさん」である。当時、子供おばさんどころかただの三十三歳の子供だった私には、この短編の真価がわかっていなかったのだが、押しも押されもせぬ子供おばさんになったいまになって、ようやくこの小説に出会えた気がしている。きっとこの先もうんざりするほど幼稚に、後悔ばかりを積みあげながらだらしなく生きていくのだろう。そのことを予感させるような、壮絶な一篇である。

「ゲームをしてても直木賞はとれないなと思って、いっさいやめることにしたの」

 いつだったか、推しが言っていた言葉を思い出しながら、今日も私 a.k.a. 子供おばさんはゲームをしている。

 せんせえ、私いまだにゲームをやめられません。だから直木賞とれないんでしょうか。楽しかった思い出もいまは思い出すそばから涙に変わってしまうけれど、いつか笑って思い返せる日がくるんでしょうか。せんせえ、遅くなってしまったけど、大好きでした。これからもずっと、大好きです。たくさんの宝物のような作品と時間をありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしています。

山本文緒
(1962-2021)神奈川県生れ。OL生活を経て作家デビュー。1999(平成11)年『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞、2001年『プラナリア』で直木賞、2021(令和3)年、『自転しながら公転する』で島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞した。著書に『絶対泣かない』『群青の夜の羽毛布』『落花流水』『そして私は一人になった』『ファースト・プライオリティー』『再婚生活』『アカペラ』『なぎさ』『ばにらさま』『残されたつぶやき』『無人島のふたり』など多数。

新潮社 小説新潮
2021年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

株式会社新潮社「小説新潮」のご案内

現代小説、時代小説、ミステリー、恋愛、官能……。ジャンルにこだわらず、クオリティの高い、心を揺り動かされる小説を掲載しています。
小説と並ぶ両輪が、エッセイと豊富な読物です。小説新潮では、毎号、ボリュームのある情報特集や作家特集を用意しています。読み応えは新書一冊分。誰かに教えたくなる情報が、きっとあります。