亡くなった実感がないままでもいい――唯川恵が振り返る、「山本」との30年【山本文緒さん追悼】

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山本文緒さん

 膵臓がんを患い、闘病生活を経て、2021年10月に惜しまれながらこの世を去った作家の山本文緒さん。2022年10月には134日間に及んだ闘病日記が『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』と題されて書籍化され、改めて故人を偲ぶ声が寄せられている。

本記事では、上京以来、文緒さんとの付き合いが30年に及ぶという作家の唯川恵さんが、文芸誌「小説新潮」(2021年12月号)に寄せた追悼文をお届けします。

距離を置いた時期もあれど、いつでも会えると信じていたのに……突然の訃報に呆然としながらも語られたのは、公私にわたる思い出と感謝の言葉でした。

唯川恵・追悼エッセイ「山本と過ごした時間」

山本は七歳下で、同じ少女小説のコバルト(集英社)出身です。私が上京した頃からの付き合いだから、三十年あまりになります。「山本」と呼び捨てにしてごめんなさい。作家の中で呼び捨てにできるのは山本だけです。なぜだかすぐに「山本さん」から「山本」になり、ずっとそう呼んで来ました。

あの頃、東京に知り合いのない私の家によく遊びに来てくれました。住んでいた三軒茶屋あたりを二人で飲み回ったものです。彼女が横浜を出て東京に住みはじめてからも行き来は続きました。

プライベートで旅行もしました。鹿児島、香港、バリ……。そうそう、高尾山にも一緒に登りました。バリ島に行った時、ビーチで現地の男の子に山本が言い寄られた時のことです。初めは軽くいなしていたのですが、あまりのしつこさに我慢の限界となり「いい加減にしなさい!」と大声で一喝し、その迫力に男の子は逃げて行きました。

そんな山本を見るのは初めてで、驚くやら吹き出すやら……。山本は普段あまり怒りを表に出さない人でしたが、私はずっと彼女の創作のベースには怒りがあると思っていました。だからあの時はその片鱗が見えて「やはり」と確信したんです。心の奥底に絶対に曲げないものを持っていて、それが彼女の強みであり、ふと怖さを感じるときもありました。そういうものがあれば、小説もぶれないだろうなと思っていました。

R‐18文学賞の選考委員を五年間一緒に務めたのもいい思い出です。選考会後に、ホテルのバーでの打ち上げがあったのですが、あまりにも楽しくて女子高生のように盛り上がってしまい、ボーイさんに「静かにしてください」と注意されたのは恥ずかしかったです。それは山本も同じだったようで、会うとよくその話が出ました。選考に関しては対立することはあまりなかったと思います。候補作について、好きなところはいろいろあると思うのですが、こういうところが嫌い、納得できない、というのは似ていた気がします。角田光代さんと三人、意見を尊重し合って、意地を張ることもなく、角田さんと私は十二歳違いなのですが、その間に山本がいて、世代が違うから感性も違うし、それも含めて議論が楽しかったです。

山本が吉川英治文学新人賞、直木賞と段階的に受賞していくのを目の当たりにした時、さすがに私にも葛藤がありました。山本も気遣ってくれたと思います。が、付き合いは変わらなかった。私の直木賞受賞の時もお祝いに駆け付けてくれました。ただほどなく、彼女はうつ病になってしまい、それからしばらく疎遠になりました。彼女も会いたくなかったと思います。再び会うようになったのは、私が軽井沢に移住し、数年後、山本もこちらに引っ越してからです。

夫婦で家を行き来したり、食事に出掛けたりしました。しょっちゅう会っていたわけではありませんが、会いたいと思えばいつでも会える、という安心感がありました。そして本当の付き合いができるのは、お互い年をとってゆくこれからだと思っていました。

山本の病状を知ったのは、今年の六月末です。まさかと思いながら、七月に入ってすぐ自宅療養中の彼女に会いに行きました。身体的にも精神的にもとても辛い時期だったはずですが、そんなことは微塵も感じさせず、とてもにこやかに迎え入れてくれました。正直なところ、私はとても緊張していました。もし言葉の選択を間違えて山本を傷つけたり不快な思いをさせてしまったらどうしよう。けれど目の前にいたのは、穏やかな笑みを浮かべるいつもの山本でした。

次に会ったのは九月二十九日です。午前中に連絡があったので飛んで行きました。一緒にお茶を飲み、チョコレートを食べて、あれこれお喋りしました。その時も泣きごとめいた発言は一切ありませんでした。様子も以前と少しも変わらず、お肌もきれいで、ふっくらした頬もそのまま。予断を許さない状況とはとても信じられず、絶対に大丈夫と信じていました。

だから、二週間ほどして、ご主人から訃報を聞いた時は、ただただ呆然としました。

 山本に感謝していることはたくさんありますが、何より作家として少女小説からの道を拓いてくれたことがあります。三十年前は、一般文芸に移行しようとしても「しょせん少女小説家」という雰囲気がまだ色濃くあり、なかなか受け入れてもらえませんでした。そんな時、山本が『パイナップルの彼方』で文芸評論家や書評家に大いに評価され、少女小説界にも一般文芸の書き手がいるという風潮に変わっていったのです。垣根を取り払ってくれた山本に、心からありがとうと言いたいです。

よく「山本さんの作品で好きだったのは?」と聞かれます。選ぶのは難しい。皆さんもよくご存知の『恋愛中毒』や『プラナリア』はもちろんですが、出会った頃のコバルト『ぼくのパジャマでおやすみ』も忘れられません。また『ブルーもしくはブルー』『群青の夜の羽毛布』、短編集の『絶対泣かない』も好きです。最新刊も素晴らしかった。

正直なところ、まだ山本が亡くなったという実感がありません。でも今は、実感がないままでもいいのではないかと思うようになりました。

山本と話したければ彼女の遺した小説を読めばいい。それでいつでもまた会えるのだから――。(談)

山本文緒
(1962-2021)神奈川県生れ。OL生活を経て作家デビュー。1999(平成11)年『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞、2001年『プラナリア』で直木賞、2021(令和3)年、『自転しながら公転する』で島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞した。著書に『絶対泣かない』『群青の夜の羽毛布』『落花流水』『そして私は一人になった』『ファースト・プライオリティー』『再婚生活』『アカペラ』『なぎさ』『ばにらさま』『残されたつぶやき』『無人島のふたり』など多数。

新潮社 小説新潮
2021年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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