58歳で余命宣告を受けた作家・山本文緒の闘病の記録 『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』試し読み

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これを書くことをお別れの挨拶とさせて下さい――。思いがけない大波にさらわれ、夫とふたりだけで無人島に流されてしまったかのように、ある日突然にがんと診断され、コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった。58歳で余命宣告を受け、それでも書くことを手放さなかった作家が、最期まで綴っていた日記の、冒頭部分を公開します。

 ***

 2021年4月、私は突然膵臓がんと診断され、そのとき既にステージは4bだった。治療法はなく、抗がん剤で進行を遅らせることしか手立てはなかった。
 昔と違って副作用は軽くなっていると聞いて臨んだ抗がん剤治療は地獄だった。がんで死ぬより先に抗がん剤で死んでしまうと思ったほどだ。医師やカウンセラー、そして夫と話し合い、私は緩和ケアへ進むことを決めた。
 そんな2021年、5月からの日記です。

第一章 5月24日~6月21日

5月24日(月)
 本当は夫と東京へ出掛ける予定があったのだが、昨夜からひどい下痢をしてしまい今朝も回復せずぐったりで、夫だけで行ってもらうことになった。
 夫は私が借りていたワンルームを引き払うための下見で駒込へ。大事な物だけをピックアップしてあとは業者にお金を払って捨ててもらうことになった。できることなら自分で全部後始末したかったのだが、できないものはできなくてつらい。
 相談してそういうことにしたのに、親切な夫は何度もゴミステーションまで往復して相当物を捨ててくれた模様。そして失くしたと思っていた貸金庫のキーも見つけてくれた。
 その後夫は築地の国立がんセンターまで、私のセカンドオピニオン用の資料を提出に行ってくれた。
 私はその間、ごろごろが収まらないお腹を抱えて寝そべっていて、 普段鳴らない固定電話が何度も鳴ったが出なかった。
 あとで留守番電話のメッセージを聞いてみると、(1)在宅医療をお願いしたクリニックの方、(2)NHKの経理の方から問い合わせ、(3)長年通っている心療内科の先生から「心配しています」とのメッセージ、(4)Wi-Fiのセールス、だった。
 それとは別に、長年使っていた電子レンジが壊れた。

5月25日(火)
 突然髪が抜け始めた。
 朝起きてパジャマを脱ぐと裸の背中に何か触るような感触があって振り向くと床に大量の毛が落ちていた。指でひっぱると束になって抜けて青くなった。昔見た「太陽を盗んだ男」という映画で被爆したジュリーの髪がごそっと抜けていたシーンが頭を過る。洗面所へ走り、ブラシで梳かすと引くほど抜けた。
 抗がん剤は一度しかやっていないし、それも3週間ほど前に終わっていたので脱毛はもうしないものだと思っていたのでショックが大きかった。
 夫を呼んで伝えようとしたら、言葉より先に涙が出てしまった。床に抜け落ちる大量の髪を見て事態を察した夫は、「大丈夫だよ、大丈夫」と自分に言い聞かせるように呟きながらも、もらい泣きをしていた。
 髪は引っ張れば引っ張るほどいくらでも抜けて、洗面所に座り込んで狂ったように髪を抜いた。その間、夫は私の寝室の床に掃除機をかけ、毛だらけになったシーツも洗濯してくれた。
 しかし人間の頭には驚くほど髪が生えていて、いくら抜いても傍目にはまだどこも脱毛しているようには見えない。頭皮が痛くなって呆然としているうちに、そうだ、まだ自分の髪があるうちに外を歩きたいと思いつき、夫に頼んで車で少し行ったところにあるカフェに連れて行ってもらった。
 そのカフェはまあまあ山の中にあり、店に上がる階段で思った以上に足がふらふらして、自分が衰えてきているのがわかった。もしかしたら近いうちにここにも来られなくなるんだなと実感する。帽子の隙間から抜けた髪がどんどん肩に落ちて、それを夫が払ってくれた。
 帰りに電器店で新しい電子レンジを買った。
 明日は緩和ケアをやってくれるクリニックへ初診に行く。
 ちょっと前までは重病患者は大きな病院の主治医の先生に頼り切りの印象だったけれど、今は様々な相談先があるようで有り難い。うまく死ねますように。

5月26日(水)
 まぶしいくらい日差しが強く、空が青い日。
 家からそう遠くないところにある、小さな医院へ初診に行く。
 まだ開院して2年たっていないそのAクリニックは、訪問介護やお子さんの治療、緩和ケアなどを請け負っているそうだ。
 私がそれまで通院していた、地域で一番大きながん診療連携拠点病院であるB医療センターのカウンセラーの方が紹介して下さった。B医療センターでも緩和ケアが受けられないわけではないが、私はできれば入院したまま最期を迎えるのを避けたい気持ちが大きくて、それには在宅医療を受けるのがいいだろうと思ったのだ。
 クリニックを訪ねてみると、そこはまったく病院らしさがない、別荘のような建物だった。大きい台所と吹き抜けと、小さい部屋がいくつかあってどの部屋も床でごろごろできそうな居心地の良さがあった。壁は白くて、大きな窓の外は新緑がきれいで、裏の林に置いた椅子でスタッフの方々が打ち合わせをしているのが見えた。
 私と夫は庭に面した部屋に通されて、女性スタッフと向き合った。おふたりともお医者さんらしい(名刺を下さるわけでもないのではっきりはしなかった)が、まったくの普段着だ。
 みんなニコニコと世間話をしてから、女性スタッフOさんが「ではこれまでのことを聞かせて頂いていいですか」と柔らかく言った。
 B医療センターから紹介状というか病状と一通りのあらましを書いたものがこちらに届いているのは知っていたので、私の口から私の言葉で話していいんだな、と思った。
「ええと、そもそも」と私は言った。

続きは書籍でお楽しみください

山本文緒
(1962-2021)神奈川県生れ。OL生活を経て作家デビュー。1999(平成11)年『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞、2001年『プラナリア』で直木賞、2021(令和3)年、『自転しながら公転する』で島清恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞した。著書に『絶対泣かない』『群青の夜の羽毛布』『落花流水』『そして私は一人になった』『ファースト・プライオリティー』『再婚生活』『アカペラ』『なぎさ』『ばにらさま』『残されたつぶやき』など多数。

新潮社
2022年11月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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