『アジア人物史』刊行記念対談 姜尚中×上野千鶴子 歴史から「目的」がなくなったいまこそ、「人物史」から学ばなければならない

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『アジア人物史』刊行記念対談 姜尚中×上野千鶴子 歴史から「目的」がなくなったいまこそ、「人物史」から学ばなければならない

[文] 増子信一(編集者)

『アジア人物史』刊行記念対談 姜尚中×上野千鶴子 歴史から「目的」がなくなったいまこそ、「人物史」から学ばなければならない

姜尚中、上野千鶴子
姜尚中、上野千鶴子

集英社創業95周年記念企画『アジア人物史』(全12巻+索引巻)が、第1回配本の第7巻『近世の帝国の繁栄とヨーロッパ』、第8巻『アジアのかたちの完成』(共に12月1日刊行)を皮切りに、いよいよスタートします。
刊行に当たって、本企画の総監修者の姜尚中さんと、第10巻『民族解放の夢』の月報「エッセイ」を執筆されている上野千鶴子さんに、本企画の意義と特徴をお話しいただきました。

上野千鶴子
上野千鶴子

「ザ・世界史」に出てくる人名が
ほぼ出てこない

 今回の『アジア人物史』は「有名無名の人々の評伝を積み重ねて描く」ものですが、ぼく自身は人を通じて歴史を語ることがあまり好きじゃなかったんです。たとえば司馬遼太郎さんなどは、人を通じて歴史を語るのが大変巧みな人でした。しかし、人物を躍動的に描くことで歴史の重要な部分が抜け落ちてしまうこともある。また一方に、唯物(ゆいぶつ)史観や被虐史観といった、いわゆる「史観」というものがある。
 そのどちらとも違う、人が躍動しながら、なおかつ何か一本の筋が通るような歴史が描けないかということで、この企画が立ち上がったわけです。構成としては、各巻の編集委員のそれぞれの専門領域の特徴を活かしながら、単なる通史ではなく、交流をキーワードにして、各巻が有機的に関連し合うような歴史を描いていきたいということです。

上野 私は、出口治明さんの『人類5000年史』を読んだときに、最初は、歴史家でもない人が五千年の通史を書くなんて、無謀というか、ほとんどほら吹きじゃないかと思ったんですよ。ところが読んでいくうちに、知らない人たちの名前が驚くほどどんどん出てきて、人と人とがつながっていることがとてもよく分かるように書いてある。無類の読書家で、しかも歴史書が好きだという彼の自負は誇大広告ではなかったということが分かりました。
「五千年」というのはとんでもない時間の幅ですけど、今回の『アジア人物史』も第1巻の神話の時代から数えれば六千年ぐらいの時間を扱っているわけですね。まず最初に思ったのは、ここに取り上げられている人物の名前の多くは私が知らない人ばかりだということです。
 二つめは、「ザ・世界史」に出てくる人名がほぼ出てこない。そのこと自体がすごいと思った。つまり、ザ・世界史という西洋中心の歴史に出てくる人物名を除いても、これだけの人々が歴史をつくってきたのだということ、そして、歴史というのは偶然と必然の混合物なのだということがよく分かりました。
 その人、その個性がなぜその時代のその場にいたのか。たとえばチンギス・カンがもっと早く死んでいたらどうなったのか、とか。そういう歴史の「イフ」に想像力が働くのは、人物中心に書いたことの功績だと思います。
 先ほど姜さんは二つの歴史観について触れましたが、それまでの人物中心的な評伝的歴史観と、いわゆる括弧つきの「科学的歴史観」がありますね。科学的歴史観といわれるものは、ほぼすべて進化論と発展段階論とに基づいた定向進化説で、唯物史観もその例外ではありませんでした。歴史にはテロス(目的)があるというテレオロジーから歴史は逃れられませんでした。いまから思えば、唯物史観は十九世紀的な歴史観で、この歴史観が完全に覆されたのはミシェル・フーコーのおかげです。
 フーコーは、歴史という概念の代わりに「系譜学(ジェネアロジー)」という概念を使います。系譜学という概念には二つのインプリケーションがあって、一つには歴史のイフ、つまりこうではなかったかもしれない歴史の潜勢態をオルタナティヴな可能性として示すことができるようになったということです。
 フーコーの系譜学を誰よりもうまく日本語で説明した人は加藤典洋です。彼は系譜学を「歴史のあみだくじを逆にたどり直すこと」といった。これは大ヒットです。つまり、あみだくじに線を一本足すことで歴史ががらりと変わることもある。系譜学という考え方をすることで、この人が長生きしていたら、この人がいなかったら、この人が同時代だったら……といったさまざまな歴史の潜勢態に対する想像力を私たちは持ちえるようになりました。
 もう一つは、経路依存性(パス・ディペンダンシー)です。つまり、あみだくじでたどっていけば、分岐点で選択肢は限られます。どんな社会にとっても歴史のとり得る選択肢は無限にあるわけではない。ですが、それは決定論ではありません。
 要するに、歴史を目的論と決定論から解放したのがフーコーの系譜学という概念なんです。私たちが彼から学んだことは、歴史は変化するが進化するとは限らない、ということです。実際、二十世紀から二十一世紀にかけての歴史を見ると、一歩前進二歩後退、あるいは三歩後退だってあるかもしれない、ということを実感させられました。
 この『アジア人物史』には、偶然と必然の混合物である歴史において、人間というファクターが果たす役割の大きさが浮かび上がってきて、それが非常に生き生きと描かれている――というのが、私のまず最初の感想です。褒め過ぎでしょうか。

「人物史」でアジア史を語るのは
ある意味王道

 ありがとうございます。当初この企画を編集するときにはそこまで意識しなかったと思うのですが、結果として、いま上野さんがおっしゃったように、ある種の歴史の選択における蓋然性みたいなものが人物を通じてより分かるようなかたちになっている。
 また、あみだくじの例も出ましたけれども、歴史のある時点で選択肢は複数あって、それがのちのち必然のように理解されているわけですね。そういう意味でも、人物論を中心にしてよかったと了解できたような気がします。

上野 「歴史の選択における蓋然性」ということをおっしゃいましたね。科学的歴史観とは歴史の法則性、すなわち因果則を打ち立てるものだと、唯物史観の信奉者たちは言ってきました。因果則とは何かというと、私たち社会科学者にとってはものすごくシンプルです。「Aという出来事の後にBという出来事が起きる蓋然性が高い」。単にそれだけで、それ以上でも以下でもありません。
 その蓋然性は高いかもしれないし、そうでないかもしれない。しかし、決定論的な法則性はない、ということをフーコーははっきりいったわけです。

 逆にいうと、フーコー以前には、因果則というものを固く信じて、決定論を目的論に切り替えれば必ずこうなるんだというのが自分の信念になり、その思想信条に殉じた人もたくさんいたわけですよね。

上野 近代になって「神の死」が生じ、「神」の位置に「科学」が代入されて、そこから「科学的歴史観」というものが生まれました。いまから思えば、歴史の決定論とか目的論とは、真理ではなく時代拘束的なイデオロギーであり、「科学的歴史観」とは十九世紀的なイデオロギーであったということなんですね。そして、その時代その時代に、信仰に殉ずる人がいるように、イデオロギーに殉ずる人たちがいたということでしょう。
 その後、フーコーは「神の死」に続いて「人間の死」、「主体の死」までを宣告し、歴史から目的を消去しました。これはニヒリズムにもなれば希望にもなる。現に、ロシアのウクライナ侵攻を見ていたら、歴史は進化するわけじゃないんだって絶望もしますよね。

 二十世紀はもう終わったと思っていたら、二十世紀の亡霊みたいなものがヌッと出てきて、後ろ側から鷲づかみにされる、そういう感覚をぼくも持ちました。
 歴史の選択を蓋然性として見ていくと、いろいろ見えてくる部分があると思いますが、今度の第1巻には神話が出てきます。上野さんから見て、神話について何か考えていることがあれば。

上野 1巻に出てくる神話ってほとんどが建国神話ですね。そもそも、神話とは集団の形成に関わる建国神話だというのは常識です。
 建国神話が面白いと思うのは、旧約聖書と古事記を並べて読んでみると、びっくりするような共通点があります。どちらも系譜誌なんです。誰が誰と結婚して、誰が誰の子供で、その子供が誰を産んで……つまり人物誌なんです。ジェネアロジーは系譜学とも、系譜誌とも訳します。なぜ系譜誌が重要であるかといえば、誰が統治するかについての支配の正統性を語っているからです。
 そう考えると、歴史の起源は神話であり、神話は系譜誌であり、人物史であるということがよく分かります。ですから、「人物史」で歴史を語るというのは、ある意味、王道なんじゃないでしょうか。

 先ほど上野さんがおっしゃったように、目的論的な方向性を失っているいまのような時代に、建国神話からの数千年をもう一度振り返ってみることは、無謀な試みだとは思いますが、意味のあることだと思います。

上野 歴史は変化するが、進化するとは限らないということを、背筋が寒くなる思いで味わったのが世界戦争とホロコーストを経験した二十世紀でした。それが二十一世紀でも起きている。なにしろ二十一世紀の幕開けは9・11でしたからね。
 だからといって、何をしてもムダだというニヒリズムに陥ることはできません。私たちがたゆみなく努力や異議申し立てをしない限り、現状維持さえ難しいということを突きつけられたからです。何かを獲得したからといって、ホッと安心しているわけにはいかない。手に入れたものだって、いつどんなふうに奪われるか分からないし、いつ足元を掘り崩されるか分からないということを歴史は私たちに教えました。

日本のアジア史研究者は層が厚い

上野 全巻を通じて執筆者は、ほとんど人文社会系、主として歴史学者ですよね。これだけの時間と空間の幅、これだけの分野のこれだけの人名を挙げているのに、それぞれの書き手は日本国籍の人が大半です。
 これだけ多くの国を扱う場合には国際プロジェクトを組むのが常道です。自国のヒーロー、ヒロインについてはその国の学者に書いてもらって、それを日本語に翻訳することも選択肢としてあったと思いますが、それができなかったのか、それともしなかったのか。私の目からはほとんど未知というしかないアジア史の歴史的人物たちについて書ける人材が、日本人の研究者の中にこれだけいたということに、ほとんど感動しています。

 それについては、ぼくよりも現場の編集者に話してもらいましょう。

―― もともと、アジアで共有される歴史の大シリーズをつくりたいと思って、十五年ぐらい前から付き合いのある中国、韓国、台湾などアジアの出版人たちと連携して、それぞれの専門の人に書いてもらったものを相互翻訳して出そうか、というような構想もしていました。しかし、予算の都合とか国際会議の難しさ等々があって断念しました。
 そこで、日本の人文社会系の学者だけでアジア史全体を展望することにチャレンジしようというのがこの企画の一番最初の試みでした。そこで分かったのは、日本の東洋史はものすごい厚みがあるということです。これは、ある種の帝国主義の産物といえば産物なのですが、専門家が一番多かったのがこの分野ということに気づきました。実際、アジアのほぼ全地域にわたって専門家が見つかり、ある程度隈なくアジア史を網羅することができました。そこを理解していただいて本当にうれしいです。

上野 日本にアジア圏の地域研究の専門家といわれる人たちが揃っていて、これだけのコンテンツが出てきたわけですね。しかも、私たちよりも若い世代の人が結構いる。アジア史研究者の層がちゃんと世代的に再生産されているということも分かって、とても心強かった。
 もしかしたら、漢字・漢文学の研究の最後の牙城は日本かもしれません。簡体字に変えた中国や、ハングルから漢字を放逐した韓国の人たちは、古文書を読めなくなってきていると聞きます。漢字・漢文学研究や中国思想研究をやろうと思ったら、日本の研究書に学ぶしかないという状況が生まれています。この企画は、日本のアジア研究においても、一つの大きな蓄積になると思います。

 たとえば、第10巻の最初に登場する尹致昊(ユンチホ)という人は、韓国では民族主義の立場から決してポジティヴに評価されている人物ではないんですね。ところが今度の本では、あえてAランクのトップに持ってきた。そのように、韓国や中国のオーソドックスな歴史観と相反したり衝突することもあるのですが、ぼくはこれは非常にいいことだと思います。

上野 たしかに、自国の歴史を外国人が書くことによって、その国の公定歴史観から自由になるということもありますね。

 外側の目を通すことで公定ナショナリズムと違うものが出てくることもあるし、解毒剤の役割も果たしてほしい。

上野 女性の登場人物が少ないことは気になります。社会的カテゴリーに、民族・階級・性(別)がありますが、階級は十九世紀的な概念です。ジェンダーつまり性別というカテゴリーが社会的カテゴリーとして顕在化したのは10巻から後、近代以降です。それより前の巻には武則天、西太后の名前がありますが、彼らは女としてふるまったのではなく、権力者としてふるまった人びとです。
 女性が登場しない理由には、もう一つ、女性によって書かれた文書資料が残っていないということがあります。ミシェル・ペローが『中世女性史は可能か』という論文を書いていますが、西洋史においては近代以前に女性が残した文書はほとんどありません。日本と違って西欧では女性の識字率が著しく低かったからです。ですが、女性は記録に描かれる対象になりました。もちろん描かれた女性の表象と現実は違いますから、ペローは男たちのテキストを通じて、女性に対する男性の妄想を歴史として描き出すという方法を採りました。
 西洋中世においてリテラシーを持っていたのは聖職者たちですが、彼らは建前上、一生禁欲を要求されるはずの人々です(実際にはやりまくっていても)。一生女と触れることのない独身を強要された男たちが女とは何者か、女がどうあるべきかについて語った記録だと、ペローは皮肉を書いています。

グローバリゼーションって
何だったの? 

上野 いまの私たちは、十六世紀から二十一世紀にかけてのアーリーモダンとモダンとポストモダンのつながりの中にいるのだと巻頭言にありましたね。そうしてみると、近代、モダンとは一体何だったのかという問いが10巻から12巻までの課題なのだと思います。その中で一番大きな軸はグローバリゼーションです。そしてモダンとポストモダンの一つの分岐点が、ネーションステート(国民国家)と、モダンファミリー(近代家族)の形成と解体です。
 10巻から12巻にかけては、グローバリゼーションの下での国民国家の形成期を扱っています。そこで起こるのが帝国主義のもとでの植民地化とそこからの民族解放運動や独立運動です。私が10巻の月報に書いたのは、植民地化と脱植民地化のプロセスがワンセットになっているのが、アーリーモダンからポストモダンにかけて起きた世界史的な出来事だということでした。ポストモダンではグローバリゼーションがさらに加速して、近代の産物だった国民国家と近代家族のセットを解体してくれるはずだったのです。
 それを証明したのが、EUの成立とソ連邦の崩壊です。この二つの大きな出来事で近代は終わると期待した。にもかかわらず、新型コロナウイルスの蔓延とウクライナ侵攻によって、時代は大きく後退しました。国家は解体するどころか、また息を吹き返しました。そこで痛感したのは、グローバリゼーションって何だったの? ということなのですが、姜さん、いかがですか。

 全く同感です。国家が緊急事態宣言によって人の移動を止めればあっけなく経済が止まってしまう。これほど市民社会というのは脆弱なのかと痛感した。

上野 ここに来て、ナショナリズムや民族紛争という十九世紀の亡霊が復活してきました。そこにジェンダーを絡めると、フランスでもイタリアでも、女が極右の政治的リーダーになるという事態が起きています。

 かつて上野さんと、オバマと(ヒラリー・)クリントンとどちらがいいかというのをちょっと冗談で話していたじゃないですか。ぼくはオバマで、上野さんはクリントンだったわけだけど、オバマになってよかったかというと、そんなことはまったくなかった。つまり、アフリカ系の出身だからいい政治をやってくれるなんて思っていたぼく自身が、甘ちゃんといえば甘ちゃんなんだけど、それがいま、こっぱみじんに粉砕されたというのは、ご指摘のとおりです。

上野 女なら誰でもいいのか、というのと同じです。植民地化はグローバリゼーションが進まなければ決して起きなかったことですが、その後、帝国主義戦争の結果として独立戦争が起きました。そのプロセスで起きている脱植民地化の課題を、私たちはいまだに解決できていません。時間の幅を考えると、どんなに少なくても三世代はツケが残る。いまのウクライナ侵攻のツケは、ウクライナの人にとってもロシアの人にとっても、三世代、およそ一世紀分のツケが残ると思います。

 特に日本の場合は、脱植民地化が、宗主国にとっての脱植民地化と植民地化された国の脱植民地化がまるっきり重なっていない。そこがいまの日韓関係として現れているのだと思う。
 自分たちが歴史的に獲得したものすら崩壊するかもしれないと思って、少し頑張ろうという気になるのですが、ポストモダンに対する上野さんのインプリケーションはずいぶん変わりました? 

上野 モダンというのは国民国家と近代家族のセットから成り立っていて、国民国家は近代家族に依存しました。近代家族の方は人口学的に解体しています。国がどんなに少子化対策をいっても、個人は動きません。
 それに対して近代家族を死守せよと断末魔の叫びを上げているのが、旧統一教会や日本会議です。

 旧統一教会が家族連合といっているのはいみじくそうなわけですよね。だから、これは根が深い。本来だったら解体して跡形もなくなっているものが自分たちの理想になっているという空恐ろしい事態が起きている。依然として国家がこんなにも強靭なのかというのは改めて考えさせられました。

上野 国民国家と近代家族のセットの一方が解体すれば、もう一方も安泰ではいられないはずなのですが、これが執拗によみがえってきます。民族という概念もナショナリズムという概念も、そのつど、再領有されて、ゾンビのごとく復活するのを私たちは目の当たりにしています。

 歴史は変化するけれども、それは進化でも発展段階でもなくて一歩前進、三歩後退、五歩後退もあり得る。そこにある先入観を持たずに人々はどう生きたのかということをここから学んでくれればいいなと思いました。

上野 人物史であることの価値はそういうことですね。かつての唯物史観は、歴史の発展は必然であるといいました。必然であるなら、黙って寝て待っていれば歴史は変わるのかといえば、いや、それは階級闘争によってしか変わらないんだと、階級的主体形成をマルクス主義者たちはいってきた。
 しかし、そういう無理筋なことをいうよりも、目的も定向的な進化もないところでは、私たちが変化を起こそうと思えば、不断の努力をするほかないということです。日本国憲法が「国民の自由及び権利は国民の不断の努力によって保持しなければならない」とあるのと同じですね。不断の努力をいっときたりとも怠ってはならない。怠った途端に押し戻される。怠った途端に隙をつかれ、つけこまれる。それは困難でもあり希望でもある。それが、歴史から目的がなくなったことの効果であり、私たちが人物史から学ばなければならない意味だと思います。

 目的論がなくなったことで、パルタイ的な前衛原理はもうとっくに崩壊したわけですよ。だから、あとは、個々人が自分の人生をどう生きるか。これはとても重要なことで、いい結論が出ましたね。

姜尚中
姜尚中

上野千鶴子
うえの・ちづこ●社会学者。
1948年富山県生まれ。東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門は女性学、ジェンダー研究。2011年度「朝日賞」受賞。著書に『近代家族の成立と終焉』(サントリー学芸賞)『最期まで在宅おひとりさまで機嫌よく』等、共著書に『学問の自由が危ない』『「自由」の危機――息苦しさの正体』等多数。

姜尚中
カン・サンジュン●政治学者。
1950年熊本県生まれ。東京大学名誉教授、熊本県立劇場館長兼理事長、鎮西学院学院長、鎮西学院大学学長。著書に『マックス・ウェーバーと近代』『姜尚中の政治学入門』『愛国の作法』『悩む力』『母―オモニ―』『トーキョー・ストレンジャー』『心』『朝鮮半島と日本の未来』『それでも生きていく――不安社会を読み解く知のことば』等多数。

構成=増子信一

青春と読書
2022年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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