緊迫感あふれる物語 北方謙三『チンギス紀 十五 子午(しご)』を北上次郎さんが読む

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チンギス紀 十五 子午

『チンギス紀 十五 子午』

著者
北方 謙三 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087718249
発売日
2022/11/25
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

緊迫感あふれる物語 北方謙三『チンギス紀 十五 子午(しご)』を北上次郎さんが読む

[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)

緊迫感あふれる物語

『チンギス紀』と「大水滸伝」は違うシリーズである、と作者自身が語っている。しかし別のシリーズではあっても、微妙に繋がっていることも事実なのだ。そこで、『水滸伝』19巻、『楊令伝』15巻、『岳飛伝』17巻の合計51巻という「大水滸伝」をこよなく愛する者としては、どういうふうに繋がっているのか、やはり確認しておきたい。
 たとえば、『チンギス紀』の第2巻「鳴動」の中に、ホエルン(テムジン=のちのチンギス・カンの母)をさらったメルキト族の集落を襲う男が登場する。この段階では、これが楊令の遺児、胡土児(ことじ)であるとの明確な記述はなく、読者が勝手にそう考えているにすぎないが、それが明らかになるのは、第5巻「絶影」だ。第3巻「虹暈(こううん)」から登場する玄翁(げんおう)という謎の男がいて、強力な五十騎を率いてテムジンたちを幻惑するのだが、その玄翁とテムジンがついに対決するのが、第5巻「絶影」。そのときに玄翁は言う。
「おまえは、俺の息子だ、テムジン」
 結局、テムジンは玄翁を斬るのだが、しばらくしてから、胡土児の従者がやってくる。胡土児が金国軍総帥、兀朮(ウジユ)の息子(ただし養子。実父は梁山泊頭領、楊令)であったこと。兀朮は本来なら帝位を継ぐ立場にありながら庶子に帝位を譲った存在であり、胡土児はコンギラト族の領内に庵を結んでから玄翁を名乗ったこと。で、吹毛剣(すいもうけん)(もともとは楊志が持っていたものだが、息子の楊令が受け継ぎ、さらにそれを九紋竜の史進が胡土児に届ける)を置いていくこと――そういうことが一気に語られるのである。ちなみに、第5巻「絶影」の段階では、梁山泊の統括をしていた宣凱(せんがい)がまだ存命で、テムジンを見て思わず、「楊令様」と呟くシーンがある。

『チンギス紀』と「大水滸伝」は別のシリーズではあるのだが、このように際どいところでゆらゆらと繋がっている。だから、「大水滸伝」を未読の方がいらっしゃるのならば、『チンギス紀』を読み終えたら、「大水滸伝」に遡ることをおすすめしたい。至福の読書があなたを待っているはずだ。
 というわけで、『チンギス紀』である。『水滸伝』『楊令伝』『岳飛伝』が総巻数51巻で終わったとき、ようやく完結したのかと虚脱感に襲われたものだが、吹毛剣がリレーされてテムジンに渡り、新たな物語が始まるとは思ってもいなかった。「続くのかよ! 」というあのときの驚きはまだ鮮明だ。いや、『チンギス紀』は別のシリーズなのだから、続くわけではないのだが、あのときはそう思った。これ、いつ終わるんだ? と。永遠に終わらないんじゃないかと。ずっと続いていくんじゃないかと。
「大水滸伝」もすごかったが、この『チンギス紀』もすごい。モンゴルの遊牧民族を統一しただけでなく、中国、中央アジア、東ヨーロッパなどを次々と征服して、広大なモンゴル帝国を作り上げたチンギス・カンの、波瀾の半生を描くというのだから、壮大な歴史小説である。それを北方謙三が描くのだ。この事実だけでノックダウンだ。
『チンギス紀』前半の山場は、第7巻「虎落(もがり)」である。テムジンと盟友ジャムカが敵味方にわかれて戦うのである。ここから始まる戦いが圧巻だが、それは読んでのお楽しみにしておく。ここに書いておきたいのは、アインガに族長の地位を譲って引退するメルキト族のトクトアのように(山の中で狼と暮らすんだぜ。サイコーだ)、戦いから降りた者のその後の日々も描かれていくことだ。トクトアのもとには、チンギスとの戦いに敗れたあとで、タルグダイとラシャーン(この大柄の女戦士は強烈な個性の持ち主で印象深い)が訪ねてくるが、この夫婦も表舞台から降りながらも『チンギス紀』に登場し続ける。遠く離れた地で商売を始めたりするのだ。ジャムカの息子マルガーシも全国を放浪しているときにトクトアのところに寄ったし、物語から退場しない人物は多い。
 本書第15巻で、そのマルガーシがトクトアを思い出すくだりは印象深い。あらゆるものが燃える。人の思いなどはたやすく燃え尽きる、とトクトアは言った。いまでもマルガーシはその言葉の意味を考えている。第14巻のラストは、マルガーシとチンギスの側近ムカリの鬼気せまる対決だったが、そのとき自分はジャムカだとマルガーシが名乗った意味について、父ジャムカを倒したチンギス・カンを、今度はおれが倒す、という宣言だったと、この第15巻に出てくる。そういう意味だったのか。ならば、この『チンギス紀』のラストは、チンギス・カンとマルガーシの対決だろうと思ったものの、第15巻を最後まで読むと、ホラズム国皇子ジャラールッディーンとチンギス・カンの対決こそ、この大河小説のラストにふさわしいという気がしてくる。おお、どっちなんだ。
 チンギス・カンの軍団が、ホラズム・シャー国に侵攻して一年。決着はもうそろそろだろう。その戦闘の行方がこの大河小説の終着点と重なるのかどうか、いまの時点では皆目見当もつかないが、終盤直前の緊迫感が物語全体に漲(みなぎ)っていることだけは確かである。あともう少しだ。最後まで行く末を見届けたい。

北上次郎
きたがみ・じろう●文芸評論家

青春と読書
2022年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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