「やられたらやり返す」「なめられたら終わり」――苛酷な実力社会を生きた武士たち 呉座勇一『武士とは何か』試し読み

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 どんな理由があっても暴力を振るってはいけません――日本人の多くはそのような教育を受けて育ってきはずだ。しかし、中世日本を支配した武士たちは、その暴力を背景に自らの権利と尊厳を守ってきた。歴史学者・呉座勇一さんは、そのような武士たちの考え方や行動原理を分析する『武士とは何か』を刊行した。今回は試し読みとして終章の一部を公開します。

報復の連鎖

 武士が短期的利益よりも名誉を重んじたのは、それが長期的利益につながるからである。彼らの財産を担保するものは究極的には彼ら自身の武力、暴力である。武士としての強さを周囲に示すことが、自身の財産を維持拡大する最良の術であった。逆に武士としての面子を失えば、自身の財産を他者から守ることができなくなる。現代のヤクザ社会がそうであるように、なめられたら終わりなのである。

 中世社会は自力救済社会である。自力救済とは、権利者が侵害された権利を司法手続きによらず自己の力で回復する行為をいう。古代律令制の衰退とともに、日本においては権利の保全は実力行使によらざるを得なくなった。司法制度が十分に機能しないので、侵害された自らの権利を回復するためには、武力に訴えるしかないのである。

 たとえば殺人が発生した場合、被害者側の集団が加害者側に下手人の引き渡しを要求し、引き渡しを拒否されれば、抗争に至った。こうした自力救済の論理が最も広範に展開したのが、武士の世界である。武士たちの領地争いは、しばしば合戦により解決された。また、曾我兄弟の仇討ちに見られるように、司法制度を無視した敵討ちが「武士の鑑」として称賛されたのである。

 苛酷な自力救済社会に生きる武士たちは、「やられたらやり返す」というメンタリティーを強く持っている。やり返さなければ面子を保てず、周囲の武士から侮られて権利をどんどん侵害されてしまうからである。結果、報復せざるを得なくなる。報復すれば相手も報復してくるので、報復が繰り返されることになる。

 報復の連鎖を回避するには二つの方法しかない。第三者による停戦調停か、徹底的な殲滅である。この武士の掟に従えば、平治の乱に敗者の側として参戦した源頼朝は斬られて当然であった。幼少の男子であっても、斬ることで将来の報復を防止するのである。

 平清盛の温情によって、頼朝は命を救われたが、この情けが仇になったことは良く知られている。清盛は頼朝を殺さなかったことを後悔しただろう。頼朝は同じ轍を踏まなかった。木曾義仲の嫡男である義高を殺し、静御前が産んだ源義経の男児を殺している。報復の連鎖を断ち切るためである。

 中世武士は執念深く報復の機会を待つ。治承4年(1180)8月、源頼朝方の三浦氏は石橋山での頼朝の敗戦を知り、三浦半島に引き返したが、平家方の武蔵武士である畠山重忠らが進攻してきた。三浦一族は本拠の衣笠城(現在の神奈川県横須賀市衣笠町)に籠城するが、劣勢となった。三浦義明は89歳の老将であったが、嫡男の義澄以下の一族に、「源氏累代の家人として、源氏再興の時を見ることができて、思い残すことはない。余命わずかな自分は城を枕にして頼朝様に命を捧げるから、その間にお前たちは逃げて頼朝様をお探ししろ」と命じた。三浦義澄・和田義盛ら三浦一族は城を脱出し、安房に渡海したが、義明は戦死した(衣笠合戦)。

 その後、房総半島で源頼朝は再起し、大軍を率いて鎌倉を目指し、武蔵国に進軍した。畠山重忠らは頼朝に降伏を願い出た。重忠らは衣笠合戦で三浦義明を殺したので、三浦一族から見れば仇である。三浦義澄らは重忠たちの助命に反対したが、頼朝は「勢力のある者たちを取り込まなければ、事は成就しない。私への忠義の心があるのなら私怨を捨てよ」と説得したという(『吾妻鏡』)。

 それから25年経った元久2年(1205)6月、北条時政は畠山重忠に謀反の嫌疑をかけて滅ぼした(54頁を参照)。この際、実働部隊として活躍したのは、北条義時と三浦一族であった。衣笠合戦の時の遺恨を、三浦義村(義澄の嫡男)・和田義盛らはまだ忘れていなかった。時政は敵討ちに燃える三浦一族を利用して重忠を討ったのである。

 畠山氏と三浦氏との間の遺恨は、源頼朝という上位者の調停によって一時的に棚上げされた。だが頼朝が亡くなると、報復合戦が再開されてしまった。ここに武士の報復感情の根深さがうかがえる。その意味では第三者による停戦調停よりも、徹底的な殲滅の方が報復の連鎖を断つ上で効果的であり、ゆえに武士の世界での抗争は激しさを増していった。

続きは書籍でお楽しみください

新潮社
2022年12月14日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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