<書評>『この父ありて娘たちの歳月』梯久美子 著

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この父ありて : 娘たちの歳月

『この父ありて : 娘たちの歳月』

著者
梯, 久美子, 1961-
出版社
文藝春秋
ISBN
9784163916095
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

<書評>『この父ありて娘たちの歳月』梯久美子 著

[レビュアー] 小松成美(ノンフィクション作家)

◆葛藤も 断ち切れぬ愛情

 著者の代表作である『散るぞ悲しき−硫黄島総指揮官・栗林忠道』を読んだ時、私は不思議な体験をした。読み進めるとモノクロ写真に浮かぶ端正な顔立ちの栗林中将の存在を身近に感じ、彼の声をはっきりと聞くようになったのだ。息遣いすら感じる知覚はどのように呼び覚まされたのか。それは、著者が執念を持って調べ上げた栗林の生涯とその魂を私、つまり読者へ、無垢(むく)な心と確かな筆致で届け切ったからに他ならない。

 本書でも著者は、主題とした九人の「書く女」たちの声を、その凜(りん)とした佇(たたず)まいを、絹糸を紡ぐように丁寧な取材で伝えている。縦糸となる時代の流れに壮絶な絵柄を描くのは、横糸となる女性作家たちの文章や言葉の数々だ。

 そこに浮かび上がるのはほのぼのとした父娘の光景だけではない。父に持つ葛藤や悔恨、批判や尊敬、そして何があっても断ち切ることのできない愛情が、生を受けた時代を背景に綴(つづ)られていく。

 島尾敏雄に『死の棘』を書かせ、島尾文学のミューズとなった島尾ミホは、人望篤(あつ)き父を捨て、結婚を選んだ自分に嘆き続けている。軍国少女だった田辺聖子は、芸術家肌の穏やかな父が終戦の年に亡くなると、優しい言葉ひとつ掛けられなかったことを七十代になって顧みる。角川書店の創業者、角川源義の長女である辺見じゅんは、戦争と切り離せない「父たちの世紀」を書き記すため、小説を捨ててタフなノンフィクションに身を投じていく。

 詳(つまび)らかにされる父と娘の関係。それが浮かび上がる過程は、閉ざされた部屋をのぞくようでスリリングでもあり、新たな歴史書を読むような深い感慨もある。

 冒頭の二篇、修道女である渡辺和子と歌人である齋藤史とそれぞれの父をつなぐ事象が二・二六事件である衝撃は著者が遠ざかる昭和に思いを寄せる精神の表れと感じた。

 敬愛する九人の作品が読まれることを望んでやまないと記す著者は、十人目の「書く女」だ。彼女の願いはその文章の熱とともに必ずや読者に届くはずである。

(文芸春秋・1980円)

1961年生まれ。ノンフィクション作家。著書『狂うひと−「死の棘」の妻・島尾ミホ』など。

◆もう1冊

井上荒野著『ひどい感じ−父・井上光晴』(講談社文庫)

中日新聞 東京新聞
2022年12月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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