慶應大学卒、吉本所属、芸歴20年――ブレイクを果たせぬまま数多くのバイトを経験してきた芸人・ピストジャム。
極貧生活を招いた時給90円の深夜バイト、笑いが止まらない超絶ラクな自治体仕事、金髪NGを突破する裏ワザ、二度と経験したくない飛び降りの後始末など、不思議な仕事から職場でのトンデモ事件まで、様々なエピソードを持つピン芸人・ピストジャムの素顔に迫る。
本記事では、20年間のバイト生活を赤裸々につづった『こんなにバイトして芸人つづけなあかんか』(新潮社)の中から、「受験なんかしない!」と喧嘩した母娘の修羅場に遭遇した家庭教師のエピソードを紹介する。
僕たちの受験勉強
下北沢のバーでバイトしているときに、高校生のころから聴いているバンドマンのかたが飲みに来た。僕は、すぐに気がついた。なぜなら、その人の見た目は特徴的すぎるからだ。
ピンクのモヒカン頭に、たっぷりのひげ。こんないでたちの人は下北沢でもそうそう見かけない。服装も個性的で、ゆったりとしたチェックのシャツに、まるでスカートのようなシルエットのパンツをはいていた。僕からすると、もうおしゃれをとおり越して、傾奇者だ。
話してみると、見た目とは裏腹にとても気さくなかただった。そののちも何度か飲みに来てくださって、連絡先を交換する仲になった。
それから、しばらく会わない時期が続いたが、僕から連絡することはなかった。向こうからしたら、僕はただの売れない芸人だと思われているだろうから、自分から連絡するのはなんとなく申し訳ない気がしてできなかった。
会わなくなって何年か経ったある日、ライブ終わりに後輩数人と下北沢を歩いていたら、道端でばったり再会した。僕は、深々と頭をさげて「ごぶさたしてます」と挨拶した。一緒にいた後輩は、みな驚いていた。そりゃそうだ。いままで「何食べる?」「居酒屋もいいけど王将もいいな」とかだべっていた先輩が、突然目の前に現れたピンクのモヒカン頭の人に急にお辞儀し出したのだ。後輩も僕に釣られて、一斉に「おはようございます」と挨拶していた。その人は、「しばらく見ない間に売れたなあ。こんなに後輩連れてえ」と言った。僕は、「いや、たまたま。ライブ終わりだったんで。本当に」としどろもどろになりながら答えた。「連絡先、変わってない? 今度誘うわ」と言って、その人は去っていった。後輩たちは「いまの誰?」「他事務所の人?」「なんか俺見たことある」などと口々に言い合っていた。
それから、頻繁に飲みに誘ってもらうようになった。バンドのライブや打ちあげに呼んでもらったり、飛び入りでライブのステージにあげてもらったこともあった。
家に呼んでいただいて飲むことも多かった。その人のお宅には、いつも大勢の後輩バンドマンやミュージシャンが集まって、深夜まで酒盛りしていた。奥さんは、たいへんだったとは思うが、後輩が増えるたびにかいがいしく席を立ち、手際よくつまみをつくって出してくれた。娘さん二人も、「今日は誰々来ないの?」とか「この前、誰々と買いもの行った」と、そんな生活を楽しんでいる様子だった。
僕は、なんだかうらやましい気持ちになった。芸人でも、こんなにしたわれている先輩はなかなかいない。その人のあけっぴろげな性格にひかれて、みんな集まって来る。ただ、家にやってくる後輩の人たちが、飲んだあとに平気で家に泊まっていくのにはびっくりした。
その人の家族が家を空けているのに、後輩だけが家で寝ているなんて日常茶飯事だった。なかには、2日続けて泊まっているから自分の家には帰っていないという人もいた。芸人でも、こんなことはさすがにない。これを許せる懐の深さが、この人の魅力なんだなと改めて感心した。
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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。
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