執筆生活60年――試行錯誤の連続だった直木賞作家への道のりとは? 阿刀田高『小説作法の奥義』試し読み

試し読み

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 生涯に生み出した短編小説は900以上! 小説界の鉄人であり、『ギリシア神話を知っていますか』など大ロングセラーの「知っていますか」シリーズでもおなじみの作家・阿刀田高さん。米寿(88歳)を迎え、自らの創作人生とそこで得たノウハウやルールを明かした著書『小説作法の奥義』を刊行しました。

 国立国会図書館員からライターに転じ、ひょんなことから小説を依頼された阿刀田さんは、どのようにして「作家」となり、直木賞受賞に至ったか。今回はその試行錯誤の過程を描いた「第二章 習作に惑いながら」を公開します。

 ***

二 習作に惑いながら

 初めて書いた小説はミステリー、「記号の惨殺」と題して図書館が舞台だった。つい先年まで勤務していた大図書館に模してトリックを創った。
 書きやすい。深い考えもなく創ったが、思いのほか大切なものが潜んでいたのかもしれない。
 それは……小説には世間にはあまり知られていない知識を披露する特性がある。読者をして、
 ――へぇー、そういうことなのか――
 ユニークな情報を提示するのも、おもしろさの一つである。未熟な書き手にとっては、これがメリットとなることも多い。数年後、私自身がミステリーの新人賞の選考委員となったとき、有力な候補作三つのうち、病院を舞台とした事件を医師が書き、銀行員が金融のあやを描き、コンピュータの技師が電子工学のトリックを用いていた。
 ――なるほどね――
 書きやすいばかりではなく、部外者にとっては新鮮な知識がいろいろと散っていて、それだけでも読む楽しみとなった。新人には勧めたい作法の一つであり、そこで、さて、
 ――特殊な知識はどこにあるか――
 一般的な方策は、たった今、新人賞の選考で見たように、それぞれの職業に関わるものだ。どんな仕事でも、それを専門とする者にしか知りえないところがあるものだ。
 私が大図書館をテーマとしたのも、無意識ながらこの一例であったのかもしれない。大図書館には何層もの書庫がある。遠い層には滅多に利用されない本だけを集めているところがあり、まったくの話、一日中、だれもそこへは行かない。節電のため自動照明となっていて、普段はまっ暗に近い。しかし、こんな人気(ひとけ)ない層あてにスリップ一枚を、つまりその層に所蔵されている本の請求記号を記したスリップ一枚を受付カウンターに投ずれば、決まった出納(すいとう)担当者が暗闇の中へ本を取りに行くのだ。大図書館の職員であれば、おおよそが知っている事情だが、世間では知られていない。
 ――あの人を殺そう――
 図書館の中で殺意が生ずれば、これは役に立つ。大図書館には数十人が勤務しているから人の世の軋轢(あつれき)は当然生ずる。エリートの女性職員と若い低俗な男性職員……。かつて、たまたま肉体関係を持ってしまったが……犯罪の動機も、私が職場で感じたことを十倍くらいに膨らませて創った。
 四十枚ほどの短編ミステリー「記号の惨殺」は活字となり、それなりの原稿料となった。
 続いて書いたのは「死亡診断書」だったろうか。これも短編ミステリーで、
 ――医者が死亡診断書を書けば、人の死は合法的に認められるんだな――
 そこにトリックの介入する余地があるだろう、と考えて創った。そして、もう一つ幼いころの殺人は記憶に残るかどうか、
 ――残らないはずはないと思うが、残らない可能性もあるかも――
 それが一つの鍵となった。
 ほかにもいくつか小説めいたものを(注文のあるまま)書いて商品となったが、すべてがミステリーに属するものだった。注文がそれだから、と、これは事実だが、そして私がそれまでにたくさんのミステリー小説を読んでいたこともこの営みを可能にした理由でもあったろうが、そこにはもう一つ、当時は気づかない、もっと重要な創作上の事情があったにちがいない。なぜ私は「小説が書けない」と思っていたのか。それがなぜ急に書けるようになったのか。
 私はモチーフに拘(こだわ)っていた。モチーフについては前章で触れておいたが、作家が作品に委ねる主張であり、読者へのメッセージである。小説家は作品の中になにか崇高なものを示さねばなるまい、と私は信じていた。井伏鱒二の『黒い雨』は原爆の悲劇を伝えてつきづきしい。ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』は人格の成長を描いて間然するところがない。芥川龍之介の「地獄変」は小品ながら芸術至上主義を見事にストーリィ化して深い。五木寛之さんの『蒼ざめた馬を見よ』はソビエト連邦の独裁制の非を文学的に描き出し、現在の中国に重ねて読んでも古びるところがない。みんなモチーフが尊い。だが、
 ――私のどこにそんなりっぱなモチーフがあるのか――
 それを考えると、とても小説を書く気になれなかったのである。
 しかし、これも後年、作家として多くの経験を積んでからのことだが、
 ――あ、そうか。推理小説は必ずしもモチーフを必要としない文学なのだ――
 一つの傾向に気がついた。
 江戸川乱歩の名作には“人生はどうあるべきか”などに無縁のものが少なくない。応えようともしていない。アガサ・クリスティなんか深刻なモチーフなど、どこ吹く風だろう。雑文書きの私が編集者に「小説を書いてみませんか」と誘われ、
 ――ミステリーなら書けそうだな――
 と思い、その通り書いてみたプロセスは、まさにいま述べた思案が明確に伏在していたのではないか。直感的にそれを感じ、筆を執ったのではなかったか。
 話は少し横道にそれるが、松本清張を考えるとき、
 ――この作家の凄さ、新しさは社会悪の存在を詳細に、明確に示すモチーフを謎解きに加えたから――
 と、これは明言してよいだろう。
 不肖、私は大切なモチーフをほとんど意識せず、ミステリーの真似事を綴ってみたが、それが商品にはなったものの、
 ――ちがうな――
 満足はできなかった。とりわけ実感していたのは、
 ――独自性がないな――
 私の作品と言える特徴がどこにもない。そのうえ下手糞である。
 ――これじゃあ駄目だな――
 小説を書くことへの不安が募った。そして、いかなる幸いか、こんなときにめぐりあったのがロアルド・ダールの短編小説集『キス・キス』だった。
 ――凄い。すばらしい――
 衝撃だった。啓示だった。理屈はなにもない。伊藤整のエッセイも文学のモチーフも、どこかへ飛んで消えてしまった。
 ――これでいいのだ――
 ロアルド・ダールは文学史に載るような作家ではない。「南から来た男」というトンデモナイ名作を書いていることは知っていたが、『キス・キス』には私の脳みそを揺さぶる作品がいくつか集められていた。脳裏でなにかが躍った。
「女主人」は、好青年がなぜか偶然ベルを押した宿の女主人が優しく、怪しい。「天国への登り道」では老夫人の苛立(いらだ)ちが、さりげない夫殺しとなる。「牧師のたのしみ」は牧師に化けて骨董品を探すペテン師の失敗談。「暴君エドワード」は飼い猫が音楽家リストの生まれ替わりと信ずる妻に困惑する夫。どれもみんなユニークで、おもしろい。奇妙な味と言うのだろうか。しゃれていて、残酷で、ユーモラスで、トリックが優れている。
 ――私の好みだ。これなら書けるかもしれない――
 ダールのテーストを、日本を舞台にして日本人を登場させ、私たちの日常の中で綴ったら新しいものが書けるのではないか。これが方針となった。
 もちろん方針が定まったからと言って、それにふさわしい作品がすぐに創れるはずもない。たくさんの試行錯誤があった。しかし、一年ほど後にそれらしいものが、自分なりに納得できるものが創れたのは、やはりダールへの強い傾倒のせいだったろう。ダールからの啓示だったろう。そして、もう一つ、療養生活の折など欧米の短編小説を次から次へと読んで、それを頭に貯えていたからだったろう。

書き出しと語り口は短編の命

 短編小説は読者のもとに長くお邪魔しない。奥ゆかしく、礼儀正しい文学である。現実の出来事を写したり、あるいは写したように見せる物語を基本に作られる長編小説に比べて、イマジネーションを多彩に、自由に膨らませることもできる。しかし、逆に言えば、最初の数行で読者をイマジネーションの世界に引き込まなくてはならない。そうなると魅力的な書き出し、そして語り口が重要となる。
 まず書き出しについて考察してみよう。私の場合、書き出しがうまく行けば、レールの上を蒸気機関車が進むがごとく、調子よくいくことが多い。それにはまず、小説の基本的な要素を決めておかねばならない。描く内容は恋愛か殺人か、ムードは明るいか暗いか、主人公はどんな人物? 視点はどこに置く?
 それが決まったら、実際に文章を書き出してみよう。おおまかに四つのパターンをまず試してみる。
(1)登場人物同士の会話から始める。
(2)カメラが遠景を映してから近景に移り、ある人物に焦点を合わせるように、描写していく。映画の始まりを想像してもらえばよい。
(3)主要登場人物の紹介から始める。谷崎潤一郎の『春琴抄(しゅんきんしょう)』は“春琴、ほんとうの名は鵙屋琴(もずやこと)、大阪道修町の薬種商の生れで歿年は明治十九年十月十四日、墓は市内下寺町の浄土宗の某寺にある”はこのパターン。
(4)アフォリズム(名言、格言のたぐい)めいた文章から入る。“智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい”の夏目漱石『草枕』のパターン。
 もちろん、これ以外にも有効な書き出しはあるだろうが、ゼロから悩むよりは、こんな類型をあれこれ試してみれば、これだ、という書き出しに巡り合える確率も上がるのではないだろうか。
 語り口のほうは“レトリック”と言い換えてもいいかもしれない。レトリックは、古代ギリシャの雄弁術を意味する言葉で、今風に言えばディベートで相手を説得して打ち負かすテクニックのこと。転じて、ある目的を表現するために巧みに修飾された文章を紡ぎ出すことをいう。
 この目的というのは様々である。思わず口ずさみたくなるような美文を綴りたい、巧みな比喩で人物を表現したい、そこはかとないおかしみを滲ませたい、読者を上手く騙したい……こうなると文章の数だけレトリックがあると言える。それほどにこの技法は小説と切り離せない。
「この文章は何を目的に書かれているのか」を意識して読めば、作者の意図を感じとれるようになるだろう。世に満ち満ちている様々なレトリックの存在に気づけば、自分の書く文章にも反映されるに違いない。

 講談社では短編小説集を編むプランが少しずつ進んでいた。新潮社の「小説新潮」誌には、さながら新人のテストのような原稿を書き、短編小説も一つ、二つ、ページを占めていた。
 ――「オール讀物」にも書きたいな――
 雑文書きとして編集者には知りあいが多い。「オール讀物」の編集長S氏を紹介され、会ってみれば「原稿を見せてください」。早速注文を受けた。編集者はつねにこれを言う。
 もとよりこれはテストである。よい原稿なら採用するが、「もう少し、工夫して」と突き返されることも多いケースだ。
 編集者とのやりとりには少しく慣れていた。
 このときだけではなく長い執筆生活を通じて、自分自身を省みたり多くの作家志望者の体験を見聞したりして断言するのだが、大げさながら“編集者に原稿を委ねるときは一期一会”、つまり“この編集者に自分の原稿を吟味してもらうのはこの一回限り、力を尽してよい作品を示さねばならない”のだ。「オール讀物」の編集長と会ったときも、私自身雑文書きを充分に体験していたので、この覚悟はできていた。
 ――一番よい作品を渡そう――
 優れたミステリーには……ダール風の短編には秀逸な、ユニークなアイデアがなくてはいけない。このとき、
 ――これなら、いいぞ――
 すてきなトリックが胸中にあった。これについて少しく詳しく述べよう。
 記憶は正確ではないが、ある夜、家に帰るとテレビが外国のドラマを映していた。私は着替えをしながら見るともなしに眺め、なんとなく、
 ――どういう筋かな――
 と、これも考えるともなしに想像した。
 ――えっ、そういうことなの――
 気がかりのところがあり、本気で眼を向けたときには放映は終っていた。
 しかしポイントだけはわかった。わかった、と思った。それが正確にそのドラマのポイントであったかどうか確信はなかったが、私はサムシングをつかんだらしい。詳細はわからない。とにかく毎日大きなギャンブルが実施されているらしい。結果はAか、Bか。すると電話がかかり、
「Aに賭けなさい」
 すると、その通りAが勝つのだ。翌日にも同じころ、
「Bに賭けなさい」
 するとBが勝つのだ。電話の受け手は、これを信じ、莫大な利益をえるが……結末はどうだったか。それはわからなかったが、示唆を与える電話は……予言はインチキでもなくオカルトでもない。りっぱな理屈に立っているのだ。たとえばギャンブルに一二八人が参加している。それを二つに分け六四人に「Aが勝つ」と電話し、残りの六四人に「Bが勝つ」と伝える。実際にAが勝てば、次にはこの六四人を二つに分け、三二人に「Aが勝つ」と「Bが勝つ」を伝える。実際に勝った三二人に「Aが勝つ」「Bが勝つ」。次々に半分に電話をしていけば、最後に残る一人は一貫して的中する予言を受けたことになる。
 ――トーナメント理論だな――
 私は少し後にこのからくりを勝手にこう名付けた。高校野球などのトーナメント方式と同じことだ。半分ずつがつねに落ちて行き、最後に一つだけが勝ち残る。全体の構造が見えなければ、その一人は奇蹟を感ずるかもしれない。
 私があの夜に見たドラマは、このトーナメント理論を応用しているにちがいない。ドラマがヒッチコック劇場であることは調べてわかったが、それ以上は知りえなかった。
 ――しかし、どういう情況ならこのトーナメント理論が私たちの日常になりうるのかな――
 これがむつかしい。
 ――あのドラマも、このあたりなんだかヘンテコだったな――
 ぼんやりと眺めただけだから確かなことは言えないが、ストーリィ創りには無理をしているような感じが残っていた。
 ――じゃあ私が創ってみるか――
 トーナメント理論を私たちの日常の中で現実感充分に小説化できないだろうか。「オール讀物」に初めて執筆を誘われたとき、
 ――よし、これで行こう――
 と決心した。トーナメント理論はヒッチコック劇場からの借り物となるが現実感充分に創れば、これはアイデアの剽窃(ひょうせつ)とはなるまい。
 かくて四十枚ほどの短編「幸福通信」が成った。「オール讀物」の編集部はこれをよしとしてくれた。
 作品の冒頭は“サラリーマンが酒場で話す話題はおおむね決まっている。仕事の話か、上役の悪口か、あるいはプロ野球の戦評、競馬の予想、ゴルフ談義に魚釣りの自慢、まれには女の噂に花が咲くこともある。そんな雑多の話題を当たり障りのない範囲で論じあううちに酔いが廻り、時間がたち、あとは歌でも歌っておひらきになる”と、サラリーマンの日常を描くところから始まるが、これ以上は実際に読んでいただくのがよろしいだろう。が、それとはべつに、この執筆には後日談がある。
 ――あのドラマの原作は、なにかな――
 探すともなく探していたのだが、十年ほどたって、
 ――あれはエラリ・クイーンの「賭博クラブ」だったのか――
 と突き止めた。
 原作はとても短い。情報伝達の手段に電話と手紙のちがいがあったりして私の推測はところどころ異なっているが、トーナメント理論をキイとしていることは確かだ。
 ――なるほどね――
 と納得したが、クイーンの作品はタイトル通りギャンブルを趣味とする十数人のグループ内の特殊な謀(たくら)みで、一般性が薄い。私の「幸福通信」のほうが身近である。小説は読者に身近であるほうがよい。
 ――よかった――
 アイデアを借用したのなら元の作品より上等でなくてはなるまい。安堵を覚えたが、某ミステリー評論家も二つを比べて私の自惚れを諒としてくれた。けだしトーナメント理論は短編ミステリーに用いられて、すこぶるユニークな試みとなった。
「幸福通信」に気をよくして「オール讀物」誌には「ナポレオン狂」や「ゴルフ事始め」を寄せ、やがてこのあたりが直木賞へとつながっていったのだと思う。

 頭の中はいろいろな断片的知識のカオスだった。カオスの中に小説のアイデアを探し求めた。しばらくはエンタテインメントを主眼とする小説雑誌に乞われるまま短編を書き続けた。ダールのテーストを偲びながらいろいろな作家の作品に思いを馳せた。断片的な記憶が思いのほか役に立った。
 レイ・ブラッドベリのショートショート「夜」は南国の暑い夏の夜、貧しい家の少年が父の帰りを待っている。脳裏に浮かぶ楽しい出来事や恐怖、静かな情感が快い。
 冒頭は“あなたは田舎町に住む小さな男の子。正確にいえば、あなたは八歳。今はもう夜ふけ。夜ふけ、というのは、あなたのふだんの就寝時刻は九時または九時半だから。ときたま、母さんか父さんにせがんで、もっと夜ふかしをして、今年つまり一九二七年の流行の奇妙なかたちのラジオで、「サムとヘンリ」を聴くこともある。でも、たいていは、この時刻になると、あなたはさっさとベッドへもぐりこみ、いい気持で眠ってしまう”
 とあり、私は主人公を“あなた”とする文章の軽さに惚れ込み、早速まねをして「菊の香り」を創り、

 あなたは一年生。もうすぐ七歳になる。
 家は木造アパートの二階で、母さんはいつもいない。母さんは東町のレジャー・ランドでキップ切りをやっている。
 学校が終わると、あなたはアパートの鍵をあけ、だーれもいない部屋へ帰る。テーブルの上のおやつを食べ、ヤクルトを飲む。それから文字盤に漫画のいっぱいかいてある置時計を見る。針が縦にまっすぐになるまでには、まだまだたくさんの時間、待たなければいけない。

 と書き始めてしまった。
 アンデルセンの童話『雪の女王』では、悪魔の鏡があって、よいものを悪く映し、悪いものをさらに悪く映す。これがこなごなに砕け、あちこちに小さな鏡となって広がったからたまらない、と綴られているのだが、それが私の記憶に強く残っていて、短編「ゴルフ事始め」の骨子となった。
「小説新潮」誌に寄せた「ホーム・スイート・ホーム」は明らかにダールの「女主人」をヒントとしているし、西洋格言集で見た一行“恋は狂暴過ぎて家庭生活にそぐわない。ライオンが家畜に適さないと同様だ”とあるのを見て「狂暴なライオン」という一編を創った。
 まったくの話「なにをきっかけとして奇妙な小説を創るのですか」と問われても、わからない。微妙なものがヒントとなり、それを膨らませると短編になる。なにかしらユニークなアイデアが必要なのだ。
 ここで重要なのは、アイデアが降ってきたら脳みその中に留めておくのではなく、かならず文字に残すこと。創作を志す向きには、とくに強くおすすめする。

 いつでもどこでもなにかしら、
 ――これだな――
 と思うことがあったら、それをメモに取る。読書のさなか、車窓から外を眺めているとき、眠れない夜のベッド、メモの取りにくい情況にあっても、とにかく記す。紙がなければ紙幣に留めたこともあった。筆記用具がなければマッチのすり残しで記した。
 エスカレータに乗り“どこまでも登っていくエスカレータ”を想像し、これをメモってそこにサラリーマンの長い勤務を委ねて「銀色の登り道」というショートショートになった。
 メモは一行でいい。一語でもかまわない。自分の頭に浮かんだことだから片言で思い出せる。そののち書斎に入ったとき備忘録に少し詳しく記す。備忘録では“朝、出勤した若いサラリーマンがオフィス・ビルのエスカレータに乗り、長い行先を望み、これからの数十年の勤めを思う”くらいでよろしい。
 備忘録が執筆のための大切な道具となった。執筆の注文があれば、このノートをめくって眺めてアイデアを拾い、構想を描く。そのために普段から思いつくものはなんでもメモにとり、ここに膨らませて書き込む。書き忘れてしまうと“逃がした魚は大きいぞ”となる。
 ――名作を一つ創りそこなったのではあるまいか――
 屈託が残る。
 現実問題として、それなりの日常生活を送りながら、この習慣を貫くのは厄介なところがなきにしもあらず。夜の眠りが近づいているのになにかを思いつきメモを取ったり、備忘録に留めたりするのは、眠りそのものをむつかしくしてつらい。作法に適った会食や情熱的なプロポーズの最中にポケットからメモ用紙と鉛筆を抜き出すのは失礼の謗(そし)りを受けてしまう。
 それでも書き込む。
 そして、これだけ頑張ってみても実際に記述が役立つ割合は十パーセントくらい。一度利用したアイデアは赤線で消しておくのだが、現実にはノートのページに赤線のないアイデアがいくつも残っているわけだ。
 残っているものを何度も見る。あきるほど視線を送る。最初の備忘録の最初のページに残っているのは“ドラキュラが血液銀行に就職したら、どうなるか”だ。何十回も眺めただろう。漫画にはなるかもしれないが、小説には向かない。
 しかし……今、ふと考えた。ドラキュラは爵位を持っているだろう。血液銀行に勤めるとすれば総裁がふさわしい。命をかけて血液に愛着を覚えたインテリジェンスは、この立場にむしろ適しているのではないか。集まりにくい血液の収集にすばらしい策を講ずるのではあるまいか。このアイデアは小説になるかもしれない。と、まあ、こんな馬鹿らしい思案を備忘録をめくりながらめぐらすわけだ。
 今ほど役立つものは十パーセントくらいと記したが、この“役立つ”にも、さながら柔道のポイントのように“一本”があり、それ一つで一本短編が書けるケースで、これは少ない。“技あり”もあって、ほかのメモと組み合わせて初めて“これで一本”になるケースも多い。もちろん“有効”くらいのちっぽけなもの、箸にも棒にもかからぬものも多い。
 が、何年、何十年も先に役立つ日があるかもしれないのだ。その日を信じてメモを取られたい。
 とにかく備忘録は今日現在、第17冊にまで達し、黒字に赤線のついたページをさらしている。これが私の創作作法の基本なのだ。
 そしてうれしいことに松本清張もメモの活用をエッセイに綴っている。相当に入念だ。そのエッセイ『黒い手帖』からメモの一例を拾えば、

 ×月×日
 時間表マニア、殺人事件の発覚。
* 『点と線』の原型的ヒント。

 この一行から名作『点と線』が生まれたとすれば、これに続く想像力が凄い。
 もう一例をそえれば、

 ×月×日
 井伏鱒二を訪う。将棋。一勝三敗。
 中野の「ほととぎす」に行く。
 小説は筋ということ。
 麓の一点に立てば、山岳の全貌は見渡せると思ったが、山岳はやはり登攀しなければ分らないこと。
 現在、生命のある小説はみな筋があること。
 絵具はナマのまま出してはならぬこと。パレットで一度、殺さねばならぬこと。
 菊池寛の偉さのこと。

 メモは当人だけがわかれば、それでよい。第三者として推測すれば、ある日、松本清張は井伏鱒二と会い、小説について話しあったのだろう。筋の必要性を語りあい、菊池寛をそこで論じたのかどうか。山岳と絵具は、このままのメモでは小説の執筆に役立つとは思えないが、これをヒントに深い想像が広がるのかもしれない。こんなメモを実例としていくつか示したのち松本清張は、

 何かの参考になればと、実物見本のつもりで私のメモノートを出しましたが、私の経験から考えてメモをまめにとるということは非常に大切なことだと思います。けれども御覧の通り、あまり詳しいメモは、私はとっていません。あまりに行きとどいた詳しいメモは、あとになって、かえってそれに拘束されてしまうため、結果がよくないようです。ですから、その時ふいと思いついたこと、人から聞いたこと、思い浮かんだヒントを、そのままに記しておくだけなのですが、そのくらいにとどめておいたほうが、暗示にとんで、あとの発想を発展させていいように思われます。
 ヒントは、前にも書いた通り、私の場合、ぼんやりと何もほかのことを考えないで、頭脳が解放された、のんびりした状態の時にポカッと浮かんでくるので、こればかりは、一生懸命に机にしがみついて、頭をかかえこんだからといって浮かんでくるものではありません。だから、浮かんできたら、その場で、ただちに、持ちあわせた手帳なり何なりにメモしておきます。突然湧いたものだけに、すぐ記憶からうすれるということが非常に多く、あとで考えても、一体あれは何だったかなと、思いだそうとしても出てこないことがあるほどです。だから、なるべく、いつもノートを用意しておいて、思いついたら、すぐに一語でも二語でも簡単にメモしておくことが大切であります。
 さて、このメモは、すぐ使おうとはせずに、しばらく時間をおいてから、取りだして見ます。ちょうど私たちが、文章を書いたときに、一度書きあげた文章を、すぐその場で訂正しないで、理想的に言えば、一週間くらい机の中に入れておいてから、あらためて読みかえし、筆を入れたほうが効果的なのと同じです。これは、最初書いたときの状態から解放されていますから、客観的に、冷静に筆を入れることができるからです。
 このメモも、時日を経てから取りだして眺めてみますと、その時はすばらしくいいアイデアだと思ってメモしたものであっても、それほどでもなかった、なんだ、こんなものか、とがっかりすることがあります。
 この、あとから見て感じたのが、間違いのない感じ方で、私たちは、何か思いついた時は、そればかりに頭が熱中してしまって、どうしても主観にとらわれてしまうため、大しておもしろくないものでも、非常におもしろいように思いこんでしまうものなのです。
 そのようにして時間をおいて見直した時に、やっぱりおもしろいと思うヒントこそ、本当によいヒントでしょう。すると今度は、それを、どういうふうに発展させていったらよいか、そのわずかな、ほんの一粒のかけらくらいしかないヒントを、どのようにふくらませ、肉づけしていったなら、一つの作品にまで練りあげてゆくことができるかという段階にはいるわけであります。

 と、長い引用になってしまったが、私自身、
 ――松本清張と同じことを同じ心構えでやっていたんだ――
 と、うれしい。
 私の備忘録から一番新しいメモをここに記しておけば、

 病床の窓。電線が五本見え、雀が何匹かとまっている。昔、親しんだ曲。

 五線譜が見えたのだ。その曲を若い日の恋の思い出とするか、殺人にからませるか、ストーリィにするのは一苦労だが……オー・ヘンリーの「最後の一葉」と似たものになってしまうかどうか。昨今は短編をほとんど書くことができない。
 話をデビューのころに戻そう。
 小説雑誌へ次々に短編を発表するうちに、それらをまとめて短編集を一冊上梓しようということになった。十数編をまとめる必要があるだろう。比較的出来のよい五、六編を図書の出版部に提出すると、
「いいですね。あと五本くらい、お願いしますよ」
「わかりました」
 数カ月後、五、六本を加えて持っていくと、
「うん。今度のはみんな傑作ですね。前のを二つ、三つ落として……あと二、三作ですね」
「そうですか」
 新人の短編集なんて売りにくい。簡単には出版できない。二、三カ月後、ふたたび二、三本を加えると、
「これはすばらしい。前のに見劣りするのがあるから、それを省いて、もう一、二作を見せてください」
「そうですか」
 こんなやりとりを繰り返して、ようやく短編集『冷蔵庫より愛をこめて』が講談社より出版された。
 小説にとってタイトルはとても大切だ。読者が小説を手に取るとき、手がかりとしてなにが一番効果があるかと言えば、もちろん作者名である。興味のある作者の執筆だから手に取るし、購入へと進むのだ。しかし、だからと言って私が松本清張を名乗るわけにはいかない。
「次に大切なのはタイトルですよ」
「わかります」
 実はこの『冷蔵庫より愛をこめて』は短編のタイトルであり、一冊の短編集を作るとき代表として全体のタイトルとなったのだが、そもそも一編の短編として発表したときは『親切な男』とつけられていたのだ。そのときの編集者のいわく、
「星新一さんなら『親切な男』でいいんですよ。読者はなにか仕掛けが含まれているだろうって思いますから」
 新人はこんな月並みなタイトルでは駄目なのだ。
「じゃあ『冷蔵庫より愛をこめて』で」
 もとよりこれはイアン・フレミングの『ロシアより愛をこめて』からの借用だ。
「いいでしょう」
 短編集のタイトルにもなり料理の本の中に混り込むこともあったが、わるいタイトルではなかったろう。
 タイトルを決めるのはつくづくむずかしいが、長年の思案のすえ、私が目安にしているのは次の三点である。
(1)言葉として整っているもの
文学的であったり、気が利いていたり。日本語として美しいのも条件だろう。小説や映画の名文句や名タイトルを上手にもじったものも含まれる。『冷蔵庫より愛をこめて』はこのタイプ。
(2)内容を巧みに暗示するもの
小説の場合はあからさまに内容を示すことは避けたい。が、作品のテーストや意図によっては露骨なタイトルもありうる。ミステリーであれば、あえて読者を惑わせるタイトルを付けることも効果的だ。
(3)読者の目を引きつけるもの
見た人が「おや?」と思うような言葉を使ったり、相反する言葉を込めたり、読者の足を止めさせることが肝心。
 いずれにしても、タイトルは短い方が印象的であり、好ましい。

直木賞祝いは鮪の刺身!?

 短編集の出版はうれしかったが、もっとうれしいことが起きた。第八〇回直木賞の候補になったのだ。
 まったく予想していなかった。直木賞は奇妙な味なんかじゃない、もっとほかのもの、たとえば時代小説とか恋愛小説とか、もっと普通の大衆小説を対象とするものだと考えていたからだ。長いスパンで眺めれば私のこの観測は必ずしもまちがってはいない。私のころから情況が変わったようにも思う。
 このときは受賞できなかったが、次いで第八一回には類似の短編集『ナポレオン狂』で続けて候補となった。前作より少し垢抜けていたかもしれない。「有力だ」という声も聞こえて来た。
 夏であった。私はろくな背広を持っていなかった。
 ――もし受賞したらどうしよう――
 記者会見とかがあるらしい。テレビ局にも呼ばれるかもしれない。一着くらい買ってもよいときだったが、こういうことはなまじ用意を整えると、かえってよくない。運命の神様の意地悪に遭ってしまう。
 おおいに迷ったが選考会の前日になって、
 ――どの道、必要なものだから――
 とベージュ色の上下を新調した。そして当日の夜、『ナポレオン狂』の編集者と待つ仕事場に電話のベルが鳴り、知らない声が聞こえた。
 知った声が聞こえたら、これは文藝春秋の私の担当者からのもので、中身は「残念でした」なのだ。少し重々しい、偉そうな声のほうがよろしい。文藝春秋が主導する日本文学振興会の幹部からの電話なのだ。
「受賞が決まりました。お受けになりますか」
「喜んでお受けします」
 家族に伝え、すぐに新橋のホテルで催される記者会見に赴いた。もちろんベージュの背広を着て……。
 ――よかった――
 写真などわりとよく写っている。翌朝はNHKの朝のワイド・ショウに招かれ、型通りのインタビューに答えた。
 当時、私の仕事場は自宅から三百メートルほど離れたアパートで、いつも夕刻に仕事を終えると廻り道をして魚屋に立ち寄り、安い蒲鉾を一つ買って晩酌の友としていたのだが、この日、魚屋の前に立つと大将が、
「旦那、偉いんだね」
 テレビを見たらしい。直木賞の名誉のためにこの夜は蒲鉾のほか鮪の刺身も買って帰った……と馬鹿らしいことが記憶に残っている。
 受賞後の一年、なにを書いて発表するか、これこそ実力を問われるときだろう。その自覚はあった。
 次々に書く。ダールのみならず他の作家たちを考え、たとえば、
 ――モーパッサンなら、こんなこと、どう書くかな――
 ストーリィを創った。自分の独創性をそこに探した。備忘録を何度もめくって考えた。
 すると雑文書きをもっぱらにしていたとき世話になった婦人誌から、
「うちにもなにか書いてよ。小説でなくていいから。軽いものを」
「ギリシャ神話でいいかな」
 この神話はストーリィ性に富み、優れた寓意性を含んでいる。欧米の文化に触れるとき、とりわけ絵画や彫刻を鑑賞するときには欠かせない。私は若いときから親しみ、卒業論文もこれと関わりが深い。
「おもしろそうね」
「ダイジェスト風のエッセイで」
「お願いするわ」
 婦人誌に連載して、これが後に一冊の本『ギリシア神話を知っていますか』となって親しまれた。この企画は、やがて『旧約聖書を知っていますか』や『新約聖書を知っていますか』となり、さらに後年の『源氏物語を知っていますか』『漱石を知っていますか』などなどとなり、“知っていますか”シリーズとして私の執筆を支えてくれた。これについては、また後に触れよう。

続きは書籍でお楽しみください

阿刀田高
1935年東京生れ。早稲田大学文学部卒。国立国会図書館に司書として勤務しながら執筆活動を続け、1978年『冷蔵庫より愛をこめて』でデビュー。1979年「来訪者」で日本推理作家協会賞、短編集『ナポレオン狂』で直木賞、1995年『新トロイア物語』で吉川英治文学賞を受賞した。短編小説、古典教養入門書、エッセイの名手として知られ、他の著書に『花あらし』『闇彦』『ローマへ行こう』『地下水路の夜』『ギリシア神話を知っていますか』『シェイクスピアを楽しむために』『知的創造の作法』『老いてこそユーモア』など多数。2003年に紫綬褒章、2009年に旭日中綬章を受章。2018年には文化功労者に選出。文化審議会会長や日本ペンクラブ会長、山梨県立図書館名誉館長を務め、妻で朗読家の阿刀田慶子と結成した「朗読21の会」の公演を通じて短編小説の魅力を伝える活動も行っている。

新潮社
2023年2月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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