ゲーム「ピクロス」の誕生に繋がるパズルの生みの親・西尾徹也が語った「お絵かきロジック」発明秘話

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パズルマスター西尾徹也に聞く日本パズルブームの舞台裏 第1回

[文] 世界文化社

■『パズルマスター西尾徹也のザ・パズル』を刊行した西尾徹也さんに聞く


パズル作家の西尾徹也さん

 2023年2月1日、パズル作家歴40年の集大成として『パズルマスター西尾徹也のザ・パズル』(世界文化社)を刊行した西尾徹也さん。

 日本にパズル文化を紹介し、現在まで続くパズルブームの礎を作った草分けである西尾さんは、これまでにどんなパズルを作り出し、どんなパズルを世に広めてきたのか?

 これまでのパズル作家としての歩みとパズルブーム舞台裏について、西尾さん本人に聞いた。

 本記事では、西尾さんが生み出した「お絵かきロジック」誕生秘話と当時の反響についてスポットをあてる。

(全3回の1回目)

■パズル作家業40年に至るまで

――2023年2月に、パズル作家歴40年の集大成本である『パズルマスター西尾徹也のザ・パズル』を刊行されました。作家業40年おめでとうございます。パズルの問題を作成するパズル作家という職業自体に馴染みのない方も多くいるかと思いますが、そもそもどういった経緯でパズル作家になられたのでしょうか?

西尾:私自身も、パズル作家という職業をまさか40年続けるとは思っていませんでした。
 私は子どもの頃からパズルが好きな少年ではあったのですが、その頃はパズル作家という職業にそれこそ馴染みがありませんでした。

 時は過ぎ、20代の頃、洋書専門店でパズル雑誌を物色中に『GAMES』なるアメリカのパズル誌を見つけたんです。驚きました。そのパズル誌はビジュアルがおしゃれでパズル自体も知的でセンスがよく、何よりユーモアがあふれていました。「こんなパズル雑誌が日本にもあればいいな」と、毎月その雑誌を購読するようになりまして…。

 それから数年後の1983年のこと。フリーの編集ライターのような仕事をしていた頃なのですが、『GAMES』と提携を結んでいる世界文化社からパズル誌『パズラー』を創刊するという話を小耳にはさんだのです。人材を募集しているということでしたので、そこからパズル作成に関わるようになり…今に至ります。


外側の数字をヒントにマス目を塗りつぶすと絵が出てくるパズル

■画期的発明! 絵が出るパズル「お絵かきロジック」

――『GAMES』とは運命的な出合いだったということですね。西尾さんは、1983年に創刊された『パズラー』初期から関わり、次々と新作パズルや良問を発表されていきました。たくさんのパズルを作成されていますが、その中でも一番といえるパズルは何でしょうか。

西尾:パズル作家40年の間にいくつかのオリジナルパズルを生み出してきましたが、それらの中で最も世に受けいれられたのが1988年に発表した「お絵かきロジック」です。

 解くと最終的に絵が浮かび上がるパズルを生み出すことは私の夢のひとつでした。ただ、なかなか満足のいくものはできなかった。ところがあの1988年の5月の金色の昼下がり、天啓のようなアイデアがひらめいたんです。「ろじっくパズルのマトリックスを使えばどうだろう」と。

■ゲーム「ピクロス」の誕生に繋がる


マトリックス表を使い、データを整理して全体像を明らかにするパズル

――天啓がおりてきたのですね。その「ろじっくパズルのマトリックス」とは、なんのことを指しているか教えていただけますか。

西尾:「ろじっくパズル」は著書にも掲載しているパズルなのですが、部分的なデータを突き合わせて全体像を明らかにするというパズルです。推理パズルとも呼ばれています。これは、マトリックス表を使い、対応関係にあるものには○、そうでないものには×を書き込んで解いていく。この○が連続する数をデータとして提示すれば絵が描けるのではないかと思いついたのです。

 試してみると唯一解とならないケースがあるため、どんな絵でもとはいかないものの、その点さえ注意すれば自由に絵が描けることがわかりました。これが「お絵かきロジック」の誕生となりました。

――そのような経緯で「お絵かきロジック」が誕生したのですね。当時の大ブームはすごかったと聞いています。

西尾:はい。このお絵かきロジック、まずは雑誌『パズラー』の読者たちに大うけしました。1993年に単行本を出版するために読者の作品を募集したところ、計1000問以上の作品が届きチェックするのでへとへとになったほど。

 人気パズルになった常といいますか、「お絵かきロジック」は、「イラストロジック」など他の名称で、私が関係していないパズル誌にも掲載されるようになったり、某ゲーム会社から同じルールのゲームソフトが発売されるようになったりもしました(※1)。


ゲームボーイソフト「マリオのピクロス」

■国内にとどまらない「お絵かきロジック」の人気

――海外でも話題になったそうですね。

西尾:海外においては、まずアメリカで“PaintbyNumbers”のネーミングで翻訳本が出版されました。この名付け親はパズル作家のウィル・ショーツ氏でした。その後ヨーロッパ各国で専門誌の形態でさまざまな問題が掲載されるようになったのですが、オランダでは“JAPANSEPUZZELS”、イギリスが“TSUNAMI-津波-ツナミ”、とまあ、たいていが日本生まれのパズルであることをうたっていました。極めつけはスロバキアで、スロバキア語のタイトルには日本語の「お絵かきロジック」が併記されていたんですよ。

――たくさんの方が楽しんでいたということですね。

西尾:そうですね。どんなネーミングにしろ、内外問わず多くの人がお絵かきロジックを楽しんでくれていることは考案者にとってこれ以上うれしいことはありません。

編集部注

※1任天堂株式会社の『ピクロス』のこと。

 ***

(第2回を読む)
〈Sudokuが世界を席巻した日をナンプレ製作者の西尾徹也が語る 「思わぬブームに戸惑いながらも笑い合った」〉

(第3回を読む)
〈世界ナンプレ選手権で4位になったことも パズル制作の第一人者・西尾徹也が語った「世界パズル選手権」の舞台裏〉

 ***

西尾徹也(パズル作家)
日本を代表するパズル作家。日本パズル連盟代表理事。日本にパズル文化を紹介し、現在まで続くパズルブームの礎を作った草分け。1980年代前半にパズルの制作集団「菫工房」を設立し、世界文化社の『パズラー』創刊時から同誌で多くの作品を発表。『お絵かきロジック』の考案者であり、『ナンプレ(ナンバープレース)』育ての親。雑誌『パズラー』では投稿コーナーである「激作塾」の担当も務め、ここから多くのパズルやパズル作家が生まれている。世界パズル選手権へはアメリカで開催された第1回目から参加し解き手としても活躍。著書・編著書は170冊以上。2023年はパズル業40周年の節目にあたる。

聞き手:編集部

世界文化社
2023年2月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

世界文化社

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