イギリス貴族が生き延びて、フランス貴族が滅びたのはなぜか? 『貴族とは何か』試し読み

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トクヴィルが注目したイギリス貴族

「イギリス的貴族制の傑作は、次の2点である。すなわち、それは非常に長期に亘(わた)って共通の敵が君主であることを社会の民主的諸階級に信じさせていること、そしてそういうわけで貴族が民主的諸階級の主たる敵として留まる代りに、民主的諸階級の代表となることに成功していることである。」

「イギリスでは、18世紀に、税の特権を享受しているのは貧民である。フランスでは、逆に富者である。イギリスでは、貴族階級は統治することを許してもらうために、最も重い公共的負担を引き受けている。ところが、フランスでは、貴族階級は統治権を失ったことのくやしさを自ら慰めるために、最後まで免税権を留保したのである。」

 これは19世紀のフランスを代表する思想家アレクシ・ド・トクヴィル(1805~1859)の代表作のひとつ『旧体制(アンシァン・レジーム)と革命』のなかの1節である。フランスの名門貴族の家に生まれたトクヴィルは、1830年代にアメリカ合衆国を旅する機会に恵まれ、そこで目にした光景から「民主的社会の到来こそが、人類の必然的な運命である」と悟った。

 トクヴィルは帰国後に政界入りし、外務大臣まで務めたが、ナポレオン3世の登場により失脚した。その彼が政界引退後の1856年に刊行したのが『旧体制と革命』である。そこではフランス貴族が革命の勃発(1789年)で没落するに至った原因も考察しているが、トクヴィルが特に注目していたのがいまだ絶大な勢力を有するイギリス貴族との対比であった。それが冒頭に掲げた言葉にも集約されていよう。


『旧体制と革命』の著者トクヴィル

税金を払い、公務も負担したイギリス貴族

 トクヴィルによれば、フランスで貴族が特権と権力とを合わせ持っていたとき、貴族が全体的に政治をおこない、貴族は領民に束縛を与える権利を持ち、その他さまざまな諸特権を有していたが、その一方で、貴族は社会秩序を確保し、裁判を裁決し、法律を執行し、弱者を救済し、公務を処理してもいたのである。「貴族がこれらのものごとをやめるにつれて、[領民たちにとっては]貴族の諸特権の重圧はさらに重くなったように思われたし、貴族の存在そのものももはや理解されないものとなっていった」のである。

 ところが、このような貴族の後退が顕著に見られたフランスとは異なり、イギリスでは貴族は中央と地方の双方で相変わらず政治権力の中枢に居座り続けていた。それは冒頭の言葉にもあるが、イギリスでは貴族が統治することを許してもらうために最も重い公共的負担を引き受けたからであり、それは具体的には「税金」であった。第2章でもみたとおり、フランスでは国庫の半分近くを直接税(タイユ)が占めていたにもかかわらず、貴族や教会は免税特権に守られていた。これに対してイギリスでは、貴族は直接税も間接税も支払わされていた。

 特にイギリスの国家歳入の多くを占めたのが間接税であり、フランス革命勃発の3年前にあたる1786年の段階で、国家歳入(1510万ポンド)のうち、間接税収入は1230万ポンド(81.5%)にものぼっていた。しかも間接税の多くは一般庶民が消費する日用品ではなく、貴族や上流階級がその大半を消費する嗜好品に課せられていたのである。また非常時(戦時)には、広大な土地を有する貴族たちが率先して土地税を納めていた。イギリスの貴族は「特権[免税権など]のかわりに権力[統治権など]を手に入れ」るのがすでに長い慣例にもなっていたのだ。

 それゆえイギリスの貴族は、中央では貴族院議員や庶民院議員、さらには政府の大臣や次官、各種裁判所の裁判官などを務め、地方でも州統監(現在の日本でいう都道府県知事)や治安判事、地方裁判所の裁判官などを務めてきた。19世紀に入ってからも、イギリス全土でまさにトクヴィルがいう「公務を処理し」ていたのであった。そして、彼らが重い課税負担を担っていたがゆえに、貴族による「支配」に、一般庶民が強い不満を抱き、ひいては大革命にいたるという事態はイギリスでは見られなかった。イギリスには「市民革命」が生じた歴史はないのである。

続きは書籍でお楽しみください

君塚直隆
関東学院大学国際文化学部教授。1967年東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業。英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・コレッジ留学。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。東京大学客員助教授、神奈川県立外語短期大学教授などを経て、関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『立憲君主制の現在』(新潮選書/2018年サントリー学芸賞受賞)、『ヴィクトリア女王』(中公新書)、『エリザベス女王』(中公新書)、『物語 イギリスの歴史』(中公新書)、『ヨーロッパ近代史』(ちくま新書)、『悪党たちの大英帝国』(新潮選書)、『王室外交物語』(光文社新書)他多数。

新潮社
2023年2月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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