いつの間にか順応する 古川真人『ギフトライフ』

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ギフトライフ

『ギフトライフ』

著者
古川 真人 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103507437
発売日
2023/03/01
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

いつの間にか順応する

[レビュアー] 武田砂鉄(フリーライター)

武田砂鉄・評「いつの間にか順応する」

 今、舌打ちと謝罪がコンスタントに繰り返されている場所といえば、駅の自動改札機である。ICカードの残高不足などに気付かないまま通過しようとして鳴り響く大げさな音と同時に、舌打ちと謝罪が聞こえる。これだけ大勢の人がスムーズに改札を通過し、効率的な動き方を徹底しているのに、どうしてあなたはそれができないのか、という舌打ち。そして、どうして私はそれをできなかったのか、という謝罪。

 大縄跳びが苦手だった。「ほら、ここで入ればいいんだよ! ここ! ここ!」と先生や同級生の声が飛ぶ。「そうか、ここか」と体を動かした時には、彼らの言う「ここ」ではなくなっている。落胆の声が聞こえる。おまえのせいで、乱れた、止まった、負けた、そんな目を向けられた。反射的に「ごめん」とつぶやき続けた。

 古川真人『ギフトライフ』を読みながら、この2つの光景が浮かんだ。この日本で生きている多くの人が、とにかく迷惑をかけてはいけない、迷惑をかけない範囲で自由に動いていいと思っている。順応するのが前提で、順応した後で自由を探し始める。もはや、それを不自由とは思わなくなっている。あなたはどうして人と違う意見を言うのですか、なんて言われる。それぞれの意見は異なるものだという前提がいつの間にか外されている。うっかり、「すみません」と言ってしまう。

 役に立つか、そうではないか。みんなと同じような人間でいられるかどうか。そうではないのなら、大きな顔をしないでいただきたいと要請してくる。そんな社会がそのうちやってくるのかもしれない。いや、もう、やってきているのだろうか。本作では、安楽死・人体実験のために生体贈与を行い、提供者の家族にポイントが与えられる「ギフトライフ制度」が敷かれた社会が描かれる。

 いくつか引用すれば、「生」の価値が冷徹に問われる社会の空気が伝わるだろうか。

「上の世代との関わりが今の子育て世代の中で薄れ、日本っていう国が弱体化するのを防ぐために始まったのが『ディスカバー・ルーツ・キャンぺーン』なんだった」

「『指定経済特別区域戦略的新事業特例制度実施研究棟 生体贈与希望者一時収容施設 ギフトライフつばきの園』と、看板には書いてあった」

「重度不適性者だった妹は十六歳で施設に入った。十八歳までは施設利用料がかからなかった。それからは家で面倒を見ていたときの五倍のポイントが毎月わたしの家族の元に請求された。払うことなんてできない」

 この社会に生きている人たちの多くは、葛藤を抱えたり議論したりすることを望まない。もう、そういうことになっているので、そういうことでいいでしょう、と思っている。もはや、そこに思考はない。順応である。順応の仕方にわずかな差異が用意されるくらいのもの。気づけば、わずかに残っている主体性が削り取られていく。抜け殻のくせして、なぜか時に意気揚々としているのが不気味。味わったことのない心のざらつきを感じながら読み進めたが、味わったことがないという感覚に、ある種の安堵もある。これを感知できなくなったら、この社会と同化してしまう。

 このところずっと政府が躍起になっているのがマイナンバーカードの取得率アップ。自分は作る気ゼロだが、このところ、ポイントをつけるからいい加減作れ、とうるさい。CMのキャッチコピーを拾ってみる。「もらえるうちに、つくらなきゃ!」「もうつくらずにはいられない!」「つくらなくちゃ! もらわなくちゃ!」である。もらえるうちにつくらないともらえなくなるんだからつくらずにはいられないぞ。理由なんてない。意味もない。いい加減順応せよと「!」付きで繰り返してくる。この小説に漂っている空気と変わりはない。

 社会的強者が、社会的弱者を、あなたが弱いのはあなたのせい、と平然と叩きのめす瞬間を目にする。言いにくいことなのによくぞ言ったと、喝采を浴びていたりする。自動改札機が導入された当初、私たちは大げさな音を出しながら止まってしまう人にもっと優しかったはずである。でも、もう戻れない。順応って、引き算しながら非・順応には戻れないのだ。だとするならば、この小説に描かれている順応は、近づくことはあっても、遠ざかることはない。選民思想を持ちながら、選ばれればいいだけじゃんと鼻で笑うようなインフルエンサーの類いが、この本の推薦文として「2050年の社会モデルを先取りしている!」と書けば、「確かに」なんて声が集まるのかもしれない。これは、すぐそばにある世界なのだろうか。今、もうここにある世界なのだろうか。

新潮社 波
2023年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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