「いい加減にしろよ、おやじ」認知症の父を怒鳴っていた日々を変えた習慣とは? 『おやじはニーチェ』試し読み

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 とつぜん怒り、取り繕い、身近なことを忘れる……認知症の父を介護した息子が綴った『おやじはニーチェ―認知症の父と過ごした436日―』が刊行しました。

 介護の日々を書き残したのはノンフィクション作家の高橋秀実です。60近くになった著者が、戸惑いながらも、新しい環境に向き合っていく日々を記録した本作の一部を試し読みとして紹介します。

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 本書は私が認知症の父と過ごした日々(2018年12月8日~2020年2月16日)の記録です。2018年12月8日は母の命日で2020年2月16日が父の命日。つまり母に先立たれた父が亡くなるまでの436日を綴ったノンフィクションです。
 あくまで個人的な事柄ですが、父を介護するにあたって「認知症とは何か?」というテーマを突きつけられました。父との日々は認知症について考えさせられる日々だったのです。
 実は、認知症は病名ではありません。認知障害による症状群とされているのですが、障害というなら果たして正常な認知とは一体、どういう認知なのでしょうか。正常な認知を前提にするからこそ障害も特定できるはずで、ならば正常に認知するとは何をどう認知することなのでしょうか。問題は認知症ではなく、「認知」そのものではないかと思ったのです。
 以前から父は「自分って俺?」などと言うとぼけた人で、ボケているのかとぼけているのかよくわかりません。自分に不都合なことがあると怒り出したり、家族が困っている時に鼻歌を歌ったりするので、私たちは苛立ちました。私自身も突然、母を亡くし、いきなり父の介護を余儀なくされ、仕事もできなくなり、経済的にも追い詰められて「正常な認知」がわからなくなっていたのです。苛立ちのあまり「いい加減にしろよ、おやじ」と怒鳴ったり、なぜか暖房の電源プラグを抜いてしまう父に対して「あんたかがやったんじゃないか」などと暴言を吐いたりしました。怒りっぽいという点では、どっちが認知症なのかわからなくなるほどだったのですが、ある日、妻にこう言われました。
「メモしてないの?」 と。彼女に「お父さんはどう言っていたの?」と訊かれ、「相変わらず、わけのわかんないことを言ってた」と答えたところ、そう指摘されたのです。
 そうだ、メモしようと私は思い立ちました。父が言うことをノートに書きとる。一字一句、正確に書きとる。かれこれ30年以上続けているインタビューのスタイルで、インタビューするつもりで父に接すればよいのではないかと気がついたのです。水を得た魚というのでしょうか、ノートを片手にすると私の苛立ちは消えました。聞きとりや書きとりに集中するからかもしれません。時には父に「今、なんて言った? もう一回言ってみて」などと確認したりする。「100引く7は?」と質問した時に「じかに引くのか?」と訊き返され、「じかに?」「今、じかにって言った?」という具合に再確認したのも、正確に書きとめようとしているからなのです。私はノートに向かっているので、目が合わないせいか、父も気楽に話せるようでした。不信感も違和感もないようで、「なんで書いているんだ?」と訊かれたことは一度もありません。むしろ「大変だよな」と労ってくれる。なんだかわからないけど一生懸命何かに励んでいるように見えたのだと思います。
 ノートに書きとめることで父の言葉を吟味することができました。「わけのわかんないこと」も、書きとめているとわけがわかるようになってくるのです。例えば、父がひたすら繰り返す子供時代の話も、私が「同じ話」と決めつけていただけで、実は微妙に変化していました。新たな身ぶりが加わったり、突然聞いたことのない人物が登場したりする。父の話を私が反復することで「そうじゃなくて」と言いたいのか、何かが甦(よみがえ)るようなのです。確かに私たちの日常会話も決まり文句を繰り返しているうちに、「そういえば」などと何かを思い出して話が派生していくわけで、その点は共通しているのではないでしょうか。共通といえば、昔のことは覚えているが最近のことは覚えていないという認知症の特徴も、遠くはよく見えるが近くが見えないという遠視のようだし、感受性豊かな時のほうが鈍感になった現在より物事が身に刻まれるのは当然のことです。「経験そのものを忘れる」ことが認知症の特徴らしいのですが、忘れることを人間の能力だとすれば、経験そのものを忘れなければ忘れたことになりません。父の「探し物」にも悩まされましたが、私も探し物をします。常に何かを探したくなる、探していないと落ち着かないわけで、共通点に着目すると誰もが認知症に思えてくるのです。もしかすると正常な認知を前提に認知障害があるのではなく、認知の異常性を隠蔽するために「正常な認知」があるのかもしれない。それは一種のフィクションで、だとするなら認知症こそがノンフィクションなのです。
 認知症は病気ではありません。それは個人の症状でもなく、人間関係における次元のズレではないだろうか。
 と私は思いました。次元とは数学で線を「1次元」、面を「2次元」、立体を「3次元」などという時の次元です。物事のとらえ方、正確にいうと「基準のとり方」(『新潮国語辞典』新潮社 昭和57年新装改訂版)で、そのズレを認知症と呼ぶのではないでしょうか。通常、私たちは3次元に加え、時間を含めた4次元の時空間を生きていると思い、そこに時間軸のない3次元の父がいると認知症という症状が現われる。3次元ゆえに昨日のことも「ない」し、「ある」はずのものが突然消えたり、「ない」はずのものが突然現われたりするのですから。しかし4次元の時空間はあくまで社会生活を営むための約束事にすぎません。私なども歪(ゆが)んだ次元を生きているわけで、大切なのは4次元とのズレを嘆くことより、お互いの次元を調整することです。実際、認知症の父と認知症のおじさんの間に挟まれて会話したことがありますが、両方とも昨日が「ない」ので、昨日の話をする私が異常な人になってしまう。3人中2人が忘れていると忘れるほうが正常なので、そちらに合わせなければいけない。3次元、いや、未知の次元、n次元を探っていかなければいけないのです。
 そのためにとても役に立ったのは「哲学」でした。哲学の存在論は「ある」と「ない」、認識論は「もの」や「こと」、「さま」や「とき」についての基準のとり方の考察です。言い換えると、哲学は次元を調整する手段なのです。もともと私は学生時代から「哲学」に馴染めず、嫌悪感すら抱いておりましたが、次元調整のツールだと考えると、あの難解なヘーゲルまですっと理解できました。そして介護の傍ら、プラトンやアリストテレス、デカルト、ニーチェ、サルトル、ベルクソンや西田幾多郎、九鬼周造などの哲学書を読み耽りました。もしかすると認知症とは根源的な言語体験かもしれない。哲学とは認知症対策だったのかと膝を打つほどだったのですが、ある日、妻にこう指摘されました。
「存在とか言ってる場合じゃないでしょ」
 私は目が覚めました。考えてみれば哲学用語の「存在」とは、次元を移動する乗り物のようなものです。それに乗ることで次元を調整できるような気はするのですが、往々にしてそれは調整できるよろこびを得る自己満足にすぎません。日常生活からの逃避行。苛立ちを避けて冷静さを保つためのボディ(車体)ともいえます。いわゆる哲学者たちは乗り物好きのようですが、乗るだけでは現実には何も解決しません。大切なのは乗ることではなく、乗り捨てることなのです。

 父が亡くなって3年になります。私の顔の右半分あたりに「いる」という感覚はだいぶ薄れましたが、時折、自分が父と同じことをしていることに気がつきます。例えば、何か都合が悪い時に目を丸くしてびっくりするような仕草をする。それこそ身に覚えというか、父の次元が身についてしまったようです。それからコンビニに行ってあんパンを目にすると、その場に立ちすくんでしまいます。あんパンが大好物だった父を思い出すというより、とりあえずあんパンを買って置いておけばいいや、と手を抜いた自分が甦り、思わず父に謝りたくなるのです。インタビューにかまけてごめんねと。

続きは本書でお読みください

高橋秀実
1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第 10 回小林秀雄賞、『「弱くても勝 てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノスポーツライター優秀賞受賞。他の著書に『TOKYO外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『男は邪魔!』『不明解日本語辞典』『パワースポットはここですか』『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』『道徳教室いい人じゃなきゃダメですか』など。

新潮社
2023年3月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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