いまはマルクスをフラットに読むチャンス! 私たちが『資本論』に惹かれる理由 『大洪水の前に』文庫化記念 斎藤幸平✕佐々木隆治対談

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いまはマルクスをフラットに読むチャンス! 私たちが『資本論』に惹かれる理由 『大洪水の前に』文庫化記念 斎藤幸平✕佐々木隆治対談

[文] カドブン

構成/斎藤哲也
写真/島本絵梨佳

経済思想家の斎藤幸平さんが、マルクス主義の研究に与えられる世界最高峰の賞、ドイッチャー記念賞を史上最年少、日本人で初めて受賞した『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』が文庫になりました。

世界で絶賛され、その後の日本国内でのマルクスブームの先駆けともなった『大洪水の前に』はどうやって生まれたのか。いま、マルクスを学ぶ理由やその魅力とはいったいどこにあるのか。

斎藤さんにとってマルクス研究の先輩でもあり、角川選書『マルクス 資本論 シリーズ世界の思想』の著者、佐々木隆治さんをゲストにお迎えし、お二人にたっぷり教えていただきました!

■日本人初!ドイッチャー記念賞受賞作『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』(角川ソフィア文庫)

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いまはマルクスをフラットに読むチャンス! 私たちが『資本論』に惹かれる理由…

■抜粋ノートの衝撃

佐々木:今回文庫化された『大洪水の前に』では、晩年のマルクスが作っていた抜粋ノートを重要な資料として取り上げていますね。私と斎藤さんは、ともに『新マルクス・エンゲルス全集』(Marx-Engels-Gesamtausgabe 以下「MEGA」)の日本人編集チームに参加して、そこで抜粋ノートの編纂に携わるようになりました。
 私はアクティビストとしての関心からマルクスを研究していたので、最初、まったく乗り気がしなかったんですよ。「こまごまとした抜粋ノートなんて読んで意味あるのか?」って(笑)。ただ、実際に読んでみて、たいへんな衝撃を受けました。
 私たちが担当したのは、1864年から68年の抜粋ノートでした。『資本論』第一巻が出版されたのが1867年ですから、マルクスは『資本論』を書きながら、この抜粋ノートを作っていたわけです。ノートを見ると、マルクスが農業や農芸化学に関して、当時の最先端の研究書を読み込んで、いろいろ書き抜きしていたことがわかります。はっきりいって超人的な勉強です。いまでいえば資本主義の研究をしながら、専門的な量子力学を勉強するようなものですよ。

斎藤:しかも量がすごいですよね。私たちが担当したのは、マルクスが書き残している抜粋ノートの一部です。それだけでもたいへんな勉強量ですが、生涯で残した抜粋ノートの量が半端ない。MEGAで言うと、抜粋ノートや勉強ノートだけで32巻もある。印刷したら1万ページくらいになるかもしれません。それだけの量をマルクスは勉強していたんですよね。

佐々木:この抜粋ノートを読んだことで、マルクスの印象がガラッと変わりました。そのガラッと変わった印象を理論的に体系化したのが、私の博士論文である『マルクスの物象化論』です。
 この論文では、マルクスを「素材の思想家」として読み解きました。ただ、当時は抜粋ノートの編集作業に専念していたから、ノートの細かい研究まではできなかった。だから論文の最後に、抜粋ノートを研究したらもっと豊かなマルクス像が出てくるに違いないと示唆するにとどまりました。ところが、斎藤さんの『大洪水の前に』は、まさに抜粋ノートを研究して、私が想像した以上の議論を展開してくれたんです。『大洪水の前に』の元になったドイツ語の博士論文(Natur gegen Kapital)を読んだときの衝撃はいまでも忘れられません。
 『大洪水の前に』は、抜粋ノートからマルクスのエコロジーの思想を汲み取り、その発展を精緻に分析しています。この本の「はじめに」で書かれているように、マルクスの思想にエコロジー的な要素があることは、すでに海外の研究者も言っていた。でも斎藤さんは、エコロジーがマルクスの資本主義批判にとって根幹をなす要素であるという議論を非常に説得的に展開したと思うんです。

■『大洪水の前に』を生み出した三つのピース

斎藤:ありがとうございます。それもマルクスの『資本論』の理解があってのことで、その土台を提供してくれたのは、佐々木さんの「素材の思想」でした。
 素材というと抽象的に感じるかもしれませんが、抜粋ノートを見ると、マルクス自身は自然科学の文献を読み込むことによって、素材という概念を、土壌疲弊や森林伐採といった具体的な問題として考えようとしていたことがよくわかります。その際に鍵となるのが、「素材」(Stoff)という言葉が入った「物質代謝」(Stoffwechsel)という概念です。これが資本によって歪められるとマルクスは言います。例えば、現代の文脈に拡張すれば、気候変動であれ原子力であれ、資本主義は人間と自然との物質代謝を撹乱してしまっている。それで博士論文では「人間と自然との物質代謝」という概念を理論的に展開しようと思ったわけです。
 もちろん、物質代謝という考え方じたいは、日本では1970年代後半くらいから議論されています。マルクス経済学の影響を受けた環境論もありました。ただ、90年代以降はそういった研究が下火になってしまった。だから21世紀に入って英米圏でジョン・ベラミー フォスターやポール・バーケットを筆頭としてマルクスのエコロジーが大きな注目を浴びたときに、うまく受容できなかったんです。

佐々木:斎藤さんは海外にいたから、その動向を敏感にキャッチできたわけですよね。

斎藤:そうですね。私はアメリカに留学して、その後、ドイツで論文を書いているので、マルクスのエコロジーを論じているフォスターたちの議論がいかに実践的で、理論的な貢献をしているかが肌感覚でわかりました。それを日本で蓄積されてきたマルクス経済学とドイツで刊行されているMEGAの新資料をつなげれば、もっと議論を発展させることができるんじゃないかと考えたのです。
 だから、日本のマルクス研究、英米圏のエコロジー論、そしてドイツのMEGAという三つのピースがうまくつながったのが『大洪水の前に』なんですよ。このうちの一つでも欠けていたら、いい論文にはならなかったと思います。

佐々木:抜粋ノートの研究って、本当に難しいじゃないですか。若いころのマルクスだと、わりと長めのコメントを付けているんです。有名な『経済学哲学草稿』も、もともとは抜粋ノートのコメントが長くなったものです。ところが、晩年になってくると、たまに「これはいい」とか「まぬけ」とかそういう短いコメントはありますが、基本的には抜粋して線を引いているだけ。それを読み解くのは至難の業です。当時の研究のコンテクストも押さえないといけませんからね。
 斎藤さんは20代の何年かでそれを一気にやって、一貫性のあるストーリーにまとめ上げた。抜粋ノートの研究で、ここまでできた人はいないと思います。研究書としても非常に水準が高いし、実践的な面から見ても、現在の気候危機をはじめとした資本主義の環境問題の本質を浮き彫りにしている。おだてるわけじゃありませんが、本当にすごいことです。マルクス研究の最高峰とされるドイッチャー記念賞を受賞するなど、海外で評価されるのもよくわかります。

■マルクスをいま読むことの意義

斎藤:せっかくの機会なので、マルクスを取り巻く状況についても議論したいんですが、一般的にはマルクスへの関心は高まっているように見えますよね。佐々木さんが書いた『カール・マルクス』(ちくま新書)や『マルクス 資本論』(角川選書)もロングセラーになっているし、私の『人新世の「資本論」』(集英社新書)も大勢の人に読まれています。2021年にビジネス誌の「週刊東洋経済」で「マルクスvs.ケインズ」という特集が組まれたのも画期的だと思いました。
 でも他方で、学会などアカデミックな土壌が充実しているとは言い難い。 若手も少ないし、刺激的な議論もあまり出ない。このアンバランスな状況を佐々木さんはどうご覧になっていますか。

佐々木:なかなか言いづらいけれど、根本問題で言うと、日本の左派の全般的な低迷だと思うんですよね。左派のパワーがあまりに低下してしまったために、金融緩和政策にしろ、非正規雇用にしろ、資本に異常に優しい環境が日本に作られて、そのぬるま湯につかっている間に、日本の資本そのものの競争力も低下するという皮肉な状況すら生まれています。そうしたなかで、左派もますます保守的になり、「経済成長が大事」だとか、「金をばら撒け」だとか、腑抜けたことしか言えなくなってきている。
 斎藤さんの本の読まれ方を見ていると、左派が読んで学んでいるというより、社会的起業家などビジネスシーン寄りなんだけれど、そこからいまの社会の停滞を打破しようというエネルギーがある層で読まれている気がしますね。

斎藤:そうですね。一方で、いまの資本主義の行き詰まり、あるいは新自由主義的な政策の矛盾に対するさまざまな批判を耳にする機会は増えていても、資本主義を超えていこうということは誰も言わなくなっています。
 行きすぎたアメリカ型の強欲資本主義はよくない。だからもう少し再分配をしたり、弱者に向けた財政出動をしましょうというぐあいに、資本主義ありきの土俵でしか相撲を取っていないわけです。
 いま私たちが直面している格差や雇用の不安定化、さらに気候変動といった大きな危機を前にして、多少足しになっても生活が根本から変わらない再分配、10万円を2、3回配ったりしたって何も変わらないわけですよね。
 『ゼロからの『資本論』』(NHK出版新書)でも強調したように、本当は、所有、労働、企業、市場のあり方など、いまの社会を根本から捉え直して、まったく別の社会を構想する想像力が必要だし、『資本論』を読む意義もそこにあります。資本主義の根幹にはどういう問題があり、それをどのように批判して乗り越えていくか。そういうユートピアを考えるヒントがマルクスの思想には詰まっているわけです。

■理論と実践はつながっている

佐々木:斎藤さんもそうだと思うけど、私は若い世代に期待しているんです。世界ではジェネレーション・レフトが大きな声を上げるようになっているし、日本でもそうなっていってほしいですよね。
 ただ経験上、社会運動に取り組む人でも、なにか思想や理論の柱がないと、すぐに流されてしまうんですよ。かといって、ただ思想や理論を信奉するだけでは、教条化して凝り固まってしまい、現実に対応できなくなってしまう。そこで一番頼りになるのがマルクスだと思うんです。マルクスの著作は現代社会を分析するための確固たる理論的基礎を与えてくれると同時に、その基礎そのものをたえず批判的に問いなおしていくための視点も与えてくれます。
 なかでも、やはり『資本論』は別格ですね。これを押さえていればそう簡単にブレないし、教条化することなく創造的に理論を発展させていくことができる。だからこそ、刊行から150年経っても、その理論を基礎にして現代を分析することができるわけです。独自の資本主義分析や近代国家の分析によって現代の社会運動に大きな影響を与えているアントニオ・ネグリやマイケル・ハートだって、『資本論』の経済学批判が基礎にありますよね。
 私が専門的な論文だけでなく、入門書や解説書に力を入れているのは、教条化したものじゃない、本当のマルクス自身の原理的な思考をちゃんと若い世代に伝えたいと考えているからです。資本主義ではない社会を構想していくための基礎となるような、批判的な概念をできるだけ正確に、そして明確なかたちで伝えていこうと。そういう思いで書いたのが『カール・マルクス』であり『マルクス 資本論』なんですね。いちばん原理的なところさえ伝わっていれば、あとはそれを使って、それぞれの人が独立して考えて、資本主義と闘っていけばいいわけだから。

斎藤:マルクスにはいろんな読み方や解釈の伝統がありますよね。なぜ佐々木さんの読み方が面白いかというと 、佐々木さんには、社会運動を考えるための理論としてマルクスがあるからです。
 これは当たり前のようでいて、実は一般的ではない、すごいことなんですね。とくに戦後の日本では、マルクス研究がアカデミックだけで先鋭化して、たとえば自らの権威付けのために『資本論』をさも難しげに解説するような研究者もいたほどです。
 それに対して、佐々木さんは実践と理論が密接に結びついている思想家としてマルクスを読む。そこが私には面白かったし、実際マルクス自身がそういう人でした。大学で教えていないし、就職もできない。ずっと第一インターナショナル(国際労働者協会)で活動しており、そういう実践を通じて紡がれてきた理論だから、実践に向けて書かれているわけです。

佐々木:社会を問い直すための思想が実践と切り離されてしまったら、その良さがなくなってしまいますよね。本来の社会主義者って、まずは活動に身を置いて、そこから理論的な営みが生まれていくものだと思うんです。ただ、戦後になってそれが分化していくんですよね。先端の理論研究はおもに大学教員に担われるようになり、活動家たちのほうは短期的な視野から教条的な理論に満足するようになっていく。もちろん、大学教員になると収入が安定してじっくり研究することができるから、研究のレベルは上がるわけだけど、そのぶんラディカルさというか、切迫した実践的な問題意識は退いていった気がします。

斎藤:私たちの共通の知人でも、現場で頑張っている人がいるわけですよね。一方、私はこれまでかなり理論寄りの研究をしてきました。現場でやるべきことはたくさんあるのに、理論だけやっていていいのかという悩みや葛藤もあったんですが、理論と実践が結びついているとすれば、しっかりした理論は、彼らの実践にとっても明確に役立つものになるんじゃないかということに気がついたんです。
 だったら、理論をやるからには単に論文を書いて就職するという話じゃなくて、社会を変えていくような言説や理論を作っていかなければならない。そういう責任を感じながらやっている感覚はあります。
 ただ、もちろん時間の許すかぎりで、現場にも足を運びたい。『大洪水の前に』と同時期に刊行された『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA)、略称「ウバシカ」は、その一つの試みの記録です。

佐々木:その点でもマルクスは稀有ですよね。本質的には革命家でありながら、研究も一流だった。そういう意味でも随一です。マルクス主義の歴史を振り返ったとき、後の人たちも何かしら付け加えているけれど、根本的なビジョンの大きさやラディカルさという点でマルクスには勝てない。そのぐらい圧倒的な理論なんですね。

斎藤:いまはマルクスを読むチャンスだと思うんですよ。20世紀後半は、先進国が豊かになり、労働者階級の生活は大幅に改善され、革命の機運は大きく後退した。そうした状況下で、マルクスが絶対正しいという証明ゲームをやろうとしても不毛です。
 けれども、21世紀になって20世紀を振り返ってみると、1950年以降の先進国の成長が例外であって、今後は先進国の成長も減速するなかで、資本主義自体が行き詰まっていくことが多くの人の目にも明らかになってきました。格差が広がり、戦争が起こって、環境破壊や気候変動で生存さえも脅かされている。資本主義を続けていればみんな豊かになるというストーリーは揺らいでいます。
 だから若者を中心に、新しい社会を希求する声が現実的にあがるようになりました。それに応えてくれる稀有な思想家としてマルクスがいる。
 幸いなことに、ひと世代前と異なり、いまはソ連的なイデオロギーや派閥など政治的な立ち位置にとらわれず、フラットな視点でマルクスを読み直しやすい。もちろんマルクスだけに答えがあるわけではないけれど、経済と社会のあり方、資本主義論に関してはマルクスの理論からポテンシャルはまだまだ引き出すことができるし、そのための文献資料も整備されてきました。それを手がかりにして、もっと誰しもが幸せに暮らせるような 社会を作るための理論と実践を一歩でも、二歩でも進めていきたいですね。

■プロフィール

■佐々木隆治(ささき・りゅうじ)

1974年生まれ。立教大学経済学研究科准教授。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。日本MEGA(『新マルクス・エンゲルス全集』)編集委員会編集委員。『マルクス 資本論』(シリーズ世界の思想、角川選書)は発売から重版を重ねるロングセラー。著書に『マルクスの物象化論 新版 資本主義批判としての素材の思想』(堀之内出版)、『カール・マルクス 「資本主義」と闘った社会思想家』(ちくま新書)、『私たちはなぜ働くのか マルクスと考える資本と労働の経済学』(旬報社)、共編著書に『マルクスとエコロジー 資本主義批判としての物質代謝論』(岩佐茂と共編著、堀之内出版)など。

■斎藤幸平(さいとう・こうへい)

1987年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism(邦訳『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』角川ソフィア文庫)によってドイッチャー記念賞を日本人初、歴代最年少で受賞。同書は世界九カ国語で翻訳刊行されている。日本国内では日本学術振興会賞受賞。47万部を超えるベストセラー『人新世の「資本論」』(集英社新書)で新書大賞2021を受賞。『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA)が好評発売中。他の著書に『ゼロからの『資本論』』(NHK出版新書)など。

KADOKAWA カドブン
2023年03月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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