隠れた人間心理を暴く とぼけた名探偵とそのルーツ・シリーズ

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書籍情報:openBD

隠れた人間心理を暴く とぼけた名探偵とそのルーツ・シリーズ

[レビュアー] 若林踏(書評家)

 不可解な出来事の裏に隠された、切実な人間の思いを炙り出す連作短編集だ。

 櫻田智也『蝉かえる』は昆虫好きのとぼけた青年、えり沢泉を探偵役に据えたシリーズの第二作品集で、櫻田は本作で第七四回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)と第二一回本格ミステリ大賞(小説部門)を受賞している。

〈えり沢泉〉シリーズの特徴は、“ホワットダニット”(What done it)と形容すべき謎が提示される点にある。表題作では山形県内の小村で、災害ボランティアの若者が少女の幽霊を見た体験談が語られ、その真相をえり沢泉が解いてみせる。説明のつかない不可思議な状況を描き、読者を「一体何が起こっていたのか」あるいは「起こっているのか」という謎で惑わせる、というのが物語の基本形だ。

 毎回、水面下に秘められた人間の感情が暴かれ、心を揺さぶられる。特に感慨深いのは後半に収められた「彼方の甲虫」「ホタル計画」「サブサハラの蠅」だ。それまで描かれることが少なかったえり沢泉の内面がこの三編では前面に押し出され、それが謎解きと重ね合わさることで余韻を残す。本書は名探偵の変化を辿る連作集でもあるのだ。

“とぼけた名探偵”というえり沢泉のルーツとなっているミステリのシリーズが二つある。一つはG・K・チェスタトンの〈ブラウン神父〉シリーズだ。一見冴えない風体のブラウン神父が逆説を駆使して謎を解くというもので、第一作『ブラウン神父の童心』(創元推理文庫、中村保男訳)に収録されている「見えない男」や「折れた剣」などで披露される推理は、現代ミステリに多大な影響を及ぼしている。

 もう一つは泡坂妻夫の〈亜愛一郎〉シリーズ。長身で容姿端麗だが間抜けな感じのカメラマン、亜愛一郎が探偵役を務める連作短編もので、『亜愛一郎の狼狽』(創元推理文庫)に始まる三冊の作品集は〈ブラウン神父〉シリーズの系譜に連なる。異様な出来事の裏側に合理的な人間の思考を見出す手法はチェスタトン作品と同じく、後生に多くのフォロワーを生み出した。

※「えり」の字は魚へんに入

新潮社 週刊新潮
2023年3月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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