朝ドラで話題! 『らんまんの笑顔「人間・牧野冨太郎」伝』「日本植物学の父」は、土佐の優しきいごっそう

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らんまんの笑顔 「人間・牧野富太郎」伝

『らんまんの笑顔 「人間・牧野富太郎」伝』

著者
谷 是 [著]/谷村 鯛夢 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784087817331
発売日
2023/03/24
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

朝ドラで話題! 『らんまんの笑顔「人間・牧野冨太郎」伝』「日本植物学の父」は、土佐の優しきいごっそう

[文] 宮内千和子(フリーライター)

「日本植物学の父」は、土佐の優しきいごっそう

谷村鯛夢
谷村鯛夢

「草を褥(しとね)に木の根を枕 花と恋して九十年」
これはただひたすら植物を愛し、その採集と研究、分類に生涯を費やした牧野富太郎が、晩年に詠んだ都々逸(どどいつ)だ。九十代を迎えても「まだ、せにゃならんことがいっぱいある」と、草花の研究に勤しんだ稀代の植物学者の評伝『らんまんの笑顔「人間・牧野富太郎」伝』が、同郷の土佐の応援団、谷是氏、谷村鯛夢氏によって刊行される。語り手の谷氏は、高知新聞の記者として郷土史研究をする中で牧野の人間的な魅力の虜(とりこ)になり、以来六十余年、講座や講演で牧野富太郎を語り続けてきたディープなファン。谷村氏は、谷氏の名調子講演を聞くたびに毎回感動し、いつしか「世界のマキノ」の全力応援団のひとりに。
植物研究にのめり込むあまり、大貧乏、莫大な借金、学界との軋轢(あつれき)など、幾度となく困難に見舞われても、研究への情熱はいや増すばかりで、「何とかなるろう」と飄々(ひようひよう)とやり過ごす。今度こそ絶体絶命というピンチにはなぜかどこからかサポーターが現れて窮地を救われる。そんな愛すべき天才の原点は、土佐のいごっそう気質にありという谷村氏に、本書で見えてくる人間・牧野富太郎の魅力についてうかがった。

谷村鯛夢
谷村鯛夢

土佐のいごっそうと泥酔文化

―― 語り手の谷さんも書き手の谷村さんも高知生まれで、牧野富太郎という稀代の植物学者が育まれた土壌をよく知ってらっしゃる。本書を読むと、土佐の方言や空気感の中から牧野富太郎という人間像が浮かび上がってくるようで、とても存在感を感じました。牧野の生涯をモデルに描いたNHKの朝ドラ「らんまん」が四月から始まりますが、それもまた楽しみです。

 これまで一九五〇年代頃から、少年・少女向けの牧野の偉人伝や伝記はいっぱい出ています。最近では小説(『ボタニカ』朝井まかて)にもなっていますね。そのほとんどに目を通していますが、牧野の人間像に関して、以前から抜けているところがあるなと感じていたんです。それは土佐の基本的な気質、いごっそうの部分なんだろうなと。いごっそうというのは、「異骨相」と書いて、頑固、気骨のある、一途なといった気質を意味する土佐弁ですね。谷さんが語るめちゃくちゃ面白い牧野富太郎伝は、まさにこのいごっそうぶりが醍醐味なんです。朝ドラが主人公をどう描くかわかりませんが、この部分を知っておいてもらって見ると、牧野の本質に迫ってより面白いだろうなと思っています。

―― いごっそうというと、なんかごつい感じがしますけど、裕福な造り酒屋の息子なのに酒が飲めず、大の甘党、さらに若い頃の牧野さんはけっこう女性受けしそうな優男ですよね。

 そうそう、そこがまた面白いんですよ。やっぱり何が一番魅力的かというと、この人は複雑な多面体なんですよ。だから、単なる偉人、もっと言うと学者ばかというだけではなくて、私は十一面観音と言っているんですが、まさにいろんな顔を持っている。十一面観音って観音さんですから、人の悩みを受け入れて穏やかにしてくれる仏さんなのですが、十一面ある一番裏正面の顔って御存じ? 大爆笑している顔なんですが、よく見ると目は笑っていない。ものすごく怖い顔をしている。この顔を「大笑面(たいしようめん)」と言うんですが、人間の悪を全部受け入れて全部お見通しだぞと笑い飛ばしているわけです。「らんまんの笑顔」というタイトルは、そういう意味も込めてつけたんです。牧野富太郎という人は、いろんな顔を持ちながら自分のやりたいことに没頭した人ですが、最後は突き抜けてさまざまな人間の煩悩を一緒くたに笑いで吹き飛ばす。そんな感じがしてならないんです。

―― そのたとえからも、優しそうな笑顔の中に、とんでもないマグマが隠れていそうな人間像が浮かびますね。

 ええ、まさにそこです。そういう土佐のいごっそう気質を僕自身はなかなか一言では語れない気がしていたんですが、最近、ズバッと本質を衝いた表現をしてくれた人に会いました。俳優の奥田瑛二さんの娘で、安藤桃子という映画監督がいますよね。安藤サクラのお姉さん。彼女は『0・5ミリ』という映画を撮って、幾つかの映画賞を取っているんですが、そのロケ地が高知だったんです。彼女もがんがん飲むほうで、土地の人たちと酒交流するうちに、えらく高知を気に入っちゃって、その後、高知に移住したんですよ。で、向こうで子供も産んで、離婚してシングルマザーになってからも、子育てしながら、東京の友達に高知は面白いよといろいろ発信してくれている。
 彼女に会ったとき、高知のどこが気に入ったのかと聞くと、間髪をいれずに「泥酔文化だから」という答えが返ってきた。ああ、彼女のセンスすごいなと思ってね。泥酔文化――言葉でそうまとめてもらったのは初めて。高知ってまさに泥酔文化なんですよ。土佐は酒の国と言いますけど、実際、大勢でじゃんじゃん飲むんです。飲み始めたらぐだんぐだんになるまで徹底的に飲む。そのノリが土佐の文化の全てなんだって彼女が言ったわけ。なるほどなと思った。やり始めたら夢中になって、行きつくところまで行ってしまうというノリ。酔っ払ったようにはまってしまう気質というのかな。このとき、ああ、牧野富太郎のいごっそうは、やはり土佐の泥酔文化の中にあったのだなと得心が行ったんです。この人は酒は飲めなくても、植物学という学問に泥酔した人間なんだなと腑に落ちたわけです。

「遅れてきた青年」の見据えた世界

―― 酔っぱらったように学問にはまっていく。その一途さがいごっそうたる所以(ゆえん)ということですね。土佐と言えば坂本龍馬ですが、世界を見据えて自分の道を突き進んでいく情熱は、生涯衰えませんでしたね。

 幕末の動乱期、土佐の坂本龍馬や中岡慎太郎たちが、日本の夜明けぜよとひた走る時代があって、牧野が生まれたのはその幕末のさなかで、森鷗外とは同い年。その五年後に漱石、正岡子規、幸田露伴、尾崎紅葉がいる。谷さんは「遅れてきた青年たち」と言っていますが、牧野を含めて維新に直接関われなかったけれども、文明開化を背負っているという意識は非常に強かったと思いますよ。それまで鎖国同然で学問の分野でも日本は相当世界に差をつけられていたわけですが、日本の植物研究を世界に発信して、国に貢献しようというスタンスは、はっきりと自分の中にあったと思いますよ。

―― 日本で発見したものをそのまま世界に発表できないとか、当時はいろんな壁があって、苦労しますね。

 発表できないという壁があったからこそ、やるなら世界レベルのものを発表するんだという情熱に火が付くわけですね。それは牧野にとっては、初めての世界なんです。また高知の話になりますが、その世界意識というのは、別段不思議もなく土佐人にはあるんですよ。土佐というところは、平安時代から流刑の地で、伊豆に匹敵する遠流の地です。その意味では非常に閉鎖的な僻地ではあるんだけれど、その一方で、向こうは太平洋で、ぼーんと開けた世界でもある。
 まあ、笑い話ですが、隣はどこですかって聞かれたら、徳島県ではなく、ハワイと答えるような世界観。島尾敏雄さんが、インドネシア、フィリピン、琉球、中国南部、鹿児島、土佐、紀州、静岡沖、房総沖まで引っくるめた黒潮文化圏=ヤポネシア文化圏というコンセプトを作ってくれたんですが、海側の漁師たちには国境意識ってそんなにないんですよ。そういう世界観がもともとあるので、土佐のど田舎にいながら、牧野のように世界と交流するという気分は普通にあるんですよ。

貧乏、借金、子だくさん「何とかなるろう」

―― 裕福だった牧野家の実家が傾いてからは、壮絶な貧乏時代に突入します。常に借金取りに追われ、家賃が払えず引っ越したのが三〇回以上、子供たちにお弁当も持たせてやれない。それでも妻の壽衛(すえ)さんは「うちには道楽息子がいるもので」と、苦境も厭わず、富太郎を支えたそうですね。

 妻の壽衛さんは富太郎の一番の理解者でしたね。土佐弁で、「何とかなるろう」と言うんですけどね。関西弁で言うと「何とかなるやろう」という気分がどこの土地より強いかもしれない。その辺は南国っぽいというのか、雪国とはまるで違いますね。実際、牧野は何があっても飄々として「何とかなるろう」で乗り切ってきたわけですから。

―― 不思議なのは、どんなに崖っぷちに来ても、悲惨な感じや惨めな感じを一切受けないんですね。むしろそこはかとないおかしみや明るさまである。

 ある意味、自然人なんですよ。おとといも仲間うちで話していたら、各県の最低賃金の話になって、高知県というのは最低賃金の比較で一番下らしいんですよ。だけど、だから何だって言うんだ、ほっといてくれ。それでうちらはハッピーなんだから、そんなデータで判断しないでくれと飲んでブイブイ言っていたんですよ(笑)。お金がなくても何となく食えてしまうっていう県民性みたいなのがある。好きなことをやって暮らせれば一番ええやんかと。たんすの中にお金がどんだけあってもしようがないという話ですね。

―― しかし、どんなに貧乏でも研究の質を落とさない。牧野が二十歳ぐらいのときに自身に課した「赭鞭一撻(しやべんいつたつ)」という勉強心得の十五か条は、今でも十分胸に響くし、ちっとも古びていませんね。

 あれはいいですね。永遠不滅だと思います。子供、女中、農夫らの言葉に耳を傾けよとか、いかにも牧野博士らしいし、植物学は物理学や地理学、動物学、画学、文章学とあらゆる分野の学問に通じるから勉強を怠るなとか。面白いのは「吝財者(りんざいしや)は植学者たるを得ず」と、ケチは学問をやっちゃだめだと書いてある。お前が言うなという話なんだけど、どんなに貧乏でも、研究に使う道具はケチらず一級品を使っていたし、土佐の人間が酒に回す金は全部本を買うのにつぎ込んでいましたからね。だから飲み尽くして財産を潰した人と重なるんですよ。酔っぱらう方法が違っただけでね(笑)。

―― 『日本植物志図篇』を作るにあたって、精密な植物画を印刷する技術を学ぶために一年間印刷会社の社員になったというエピソードも、妥協を許さない牧野らしい。その甲斐あって、牧野博士の描いた植物の精密画は感動的に美しいですね。

 そう、自分のやりたいことのためには手段を選ばない。植物図鑑は、図鑑ですから写真じゃない。写真よりも人相書きのほうが犯人が捕まりやすいと言うでしょう。それは特徴をつかんでいるからなんですね。牧野は写真ではわからない部分を大事にして、精密なイラストでその植物の生態を見せようとした。実の中とか地中の根の張り方まで詳細に描いて。それを細部まで印刷するには当時の印刷技術では満足できずに、とうとう無給で印刷会社の従業員になってしまう。まあ、死ぬまで飲むタイプと言っていいと思いますよ(笑)。

崖っぷちでいつも現れる助っ人

―― 大貧乏に重ねて、牧野さんは自身の研究場所であった東大の研究所を追われることになります。それは東大アカデミアの教授たちの嫉妬を買ったことが要因なんですね。そういうアカデミア特有の体質は今も変わらない気がします。

 普通の感覚で言うと、東大の助手になったら、次はしゃかりきに教授にごまをすって、講師になりたいとか、その次は教授になりたいとみんな努力をするんでしょうが、この人は関係ないですからね。目の前の研究しか興味がない。しかし、いくら出世欲とは無縁といっても、その研究成果が世界レベルで認められて、教授の自分よりも有名な助手がいるというのは嫌だし、やりにくいよね。だから牧野は追い出されてしまった。昔から日本の大学の最大欠陥は、教授会の権力が強すぎることだといいます。その壁に守られて、教授自身がタコつぼ化して、研究者としても教育者としても質を落としているところが大学アカデミズムにはありますね。
 後に牧野は大学に戻って研究を続けることになるわけですが、わかりやすく、ユーモアたっぷりの牧野の授業は学生たちに大人気で他の学部からも聴きに来る学生が後を絶たなかったといいます。牧野の大学教員としての資質や、こうした学部横断システムを是としたことも、時代を百年先取りしていたと言ってもいいのではないかと思いますよ。

―― なるほど。授業が人気だったのは、牧野さんの学問に対する心意気がダイレクトに学生たちに伝わったからでしょうね。
 心意気といえば、大学を追われたときも、絶体絶命の金銭ピンチのときも、不思議とどこからか牧野の助っ人が現れます。明治維新に関わった田中光顕(みつあき)から三菱の岩崎家など、土佐ネットワークのサポーターが次々と危機を救ってくれる。このサポーター現象を谷村さんはどう見ていますか。

 佐々木閑(しずか)さんの『出家的人生のすすめ』(集英社新書)にもありましたが、命がけの修行をするお坊さんたちだからこそ、お布施が来る。その姿を尊いと思って拝みながら、どうぞこれをと人はお布施を出すんです。死ぬ気で何かやらないと、お金は集まってこないんですよ。牧野の研究も修行僧レベルで命がけです。フィールドワークで野山を駆け巡って死ぬほどのケガや事故に何度も遭っていますが、本人はまるで頓着なし。サポーターの方が大借金を肩代わりしてくれても、感謝はするけれど、だからといって彼らに少しの遠慮もしない。卑屈にもならないし、自分のやり方も変えない。その意味では変人でもあるし、ものすごくピュアな人間でもあるんですね。
 命がけで何かをやっている人って、変てこな人が多いと言いましたが、見ようによっては、引きこもりだとかオタクの権化みたいな人もいるでしょう。でも、そんなふうに見ないで、あの人は出家しているんだと思って、助けましょう、支援しましょうよと言いたいですね。助けたほうも気持ちよくなる。見返りも御利益も要らない。いわゆるマイプレジャー。土佐のネットワークはそうした心意気からできたものです。何かを一生懸命やっている姿に感動するというのは、人間原初の気持ちだろうと思います。

―― 牧野富太郎は、江戸から明治、大正、昭和まで、植物の研究の道をひた走ってきた人です。「私は草木の栄枯盛衰を観て人生なるものを解し得た」とも言っています。自然学を探究した研究者の辿り着いた哲学的境地を感じます。

 牧野が生涯をかけたのは、命の根幹にかかわる研究です。よく小学生に生き物係やお花係を作って担当させるのは、命の姿、在りようを観察させるためですよね。種をまいて、芽が出てきて、土からぴょこっと双葉が出てくるときは感動的なものです。それから茎が伸びて、蕾(つぼみ)がついて順番に花が咲いて枯れていく。
 土の外だけでなく、土の中を掘ると根がばーっと張っている。土の上に見えている部分だけでなく、根をこんなに張って命を懸命に保っている姿も愛おしい。実がなって、その実を割ってみると、その中に種が幾つも入っていて命をつなぐシステムがわかっていく。牧野富太郎という人間は、植物、草花を観察しながら何千、何万もの命の形と推移を詳細に見てきた人だろうと思います。それは当然人生とつながっていくはずです。
 牧野伝説に、学生たちが浜昼顔の葉っぱを日に干して、形がわからないようにつぶして「これ何でしょうか」と差し出したら、それをポンと口の中に入れて嚙んで葉のエキスを吸って、「なんだ、これは浜昼顔じゃないか」と、一発で当てたというエピソードがあります。草花とまるで一体化しているようなこの話も、いかに深く命に寄り添っていたかがわかりますよね。現代盛んに言われる「自然との共生」を、明治の頃から言っていた人で、まさに時代の先駆者です。朝ドラの主人公とはまた違う牧野富太郎の一面が垣間見られますので、ぜひ興味のある方は読んでいただきたいなと思います。

谷村鯛夢
たにむら・たいむ
1949年高知県生まれ。同志社大学文学部卒。女性誌の編集に長く関わった後、出版プロデューサー、日本エッセイストクラブ会員、俳人協会会員、現代俳句協会会員、俳句結社「炎環」同人会会長、中浜万次郎国際協会監事。著書に『胸に突き刺さる恋の句─女性俳人百年の愛とその軌跡』『俳句ちょっといい話』『ジョン万次郎口述・漂巽紀畧 全現代語訳』。共著に『いきいき健康「脳活俳句」入門』。編著に『陰翳礼讃』『茶の本』ほか多数。

聞き手・構成=宮内千和子/撮影=chihiro.

青春と読書
2023年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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