Twitter文学略史『本当に欲しかったものは、もう――Twitter文学アンソロジー』刊行によせて

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本当に欲しかったものは、もう Twitter文学アンソロジー

『本当に欲しかったものは、もう Twitter文学アンソロジー』

著者
麻布競馬場 [著]/霞が関バイオレット [著]/かとう ゆうか [著]/木爾 チレン [著]/新庄 耕 [著]/外山 薫 [著]/豊洲銀行 網走支店 [著]/pho [著]/窓際三等兵 [著]/山下 素童 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087880892
発売日
2023/04/05
価格
1,430円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

Twitter文学略史『本当に欲しかったものは、もう――Twitter文学アンソロジー』刊行によせて

[レビュアー] 外山薫(小説家)

Twitter文学略史

「タワマン高層階は気圧が低いから米が硬い」
 インターネットの大海を漂う、荒唐無稽なジョーク。また馬鹿なことを言っている奴がいる、と消費され、そしてまた放り出され、3日も漂流するうちに忘れられる戯言(たわごと)だ。ネットの誕生以来、幾度も繰り返されてきた光景だが、ただ一つ、違うことがあった。たまたま、その冗談を拾い上げ文章として磨き上げ、「作品」として発表した人間がいたのだ。
 タワマン37階に住む世帯年収1500万円のエリートの陰鬱な日常を揶揄(やゆ)するショート・ショート。普段、豊島区椎名町で独居高齢者が住む木造アパートを地上げする不動産ブローカー、全宅ツイのグルと名乗る男が何を考えてあの文章を綴ったのか。今となっては知る由もない。しかし、二十六もの投稿を連ねたその力作は、ちょっとした注目を集めた。つまり、バズったのだ。Twitter文学、あるいはタワマン文学と巷(ちまた)で呼ばれているものが産声を上げた瞬間だった。
 少しの文章力と暇を持て余していた私にとり、それはあまりにも魅力的な玩具だった。湾岸タワマンに住む「勝ち組」内の格差や、子育て世帯の中学受験熱を面白おかしくおちょくった文字列はTwitterというプラットフォームで拡散され、笑い飛ばされ、そして時に罵倒された。肯定であれ否定であれ、確かなことは一つ、そこに「熱」が生まれたということだ。
 熱には、人を寄せ付ける力がある。それは太古の昔、人類が火を手に入れたときから変わらない。燃え盛る炎を前に、消費者ではなく、発信者に回る人間が次々と現れた。ある人はタワマンに住む中学生同士の純愛を描き、ある人はタワマン建設地の地上げ業者の手口を紹介した。何かを書きたい、発信したいという欲求と、読み手の反応が瞬時に分かるTwitterの特性が見事に嚙み合ったのだ。
 不動産業界を中心とした局地的な盛り上がりは業種の垣根を越え、次々と広がっていった。金融業界のパワハラを生々しく描写する陰湿金融文学、地方から上京した青年が東大や官僚機構の高い壁を前に膝を折る霞が関文学、白い巨塔の内情を冷めた目で斬る医局文学。多種多様なバックグラウンドを持った書き手が何の前触れもなく現れては、タイムラインを席巻していった。
 同時期に流行していたYouTubeと異なり、Twitterでいくらバズったところで一攫千金が狙えるわけではない。このムーブメントの参加者が野望を持って「物語」を発信したとは思えない。彼らは、いや、私たちは世間に訴えたかっただけだ。それは自身の筆力であり、これまでの人生で味わってきた理不尽であり、現代日本が抱える閉塞感だった。
 日本を代表するクリエイティブディレクターはこの無秩序で混沌とした状況を、地球上の生物に多様性をもたらしたカンブリア爆発にたとえた。Twitterというプラットフォームを使って、己の膨張した自意識を、そして創作意欲を爆発させる行為。損得を無視したそのエネルギーは、確かに新たな時代の息吹を感じさせた。
 すそ野の広がりは、新たな局面を生み出す。天才の登場だ。才能という概念が実体化したかのようなその男は麻布競馬場というふざけた名前をひっさげ、類(たぐい)まれなる筆力で独身アラサー世代の地獄を巧みに描き、またたく間に界隈の頂点へと駆け上っていった。『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』――あまりに厭世的で、あまりに絶望的で、そしてあまりに美しい言葉で紡がれたそのショートストーリー集は、出版不況の現代にあって異例のヒットを飛ばし、発売から約半年たった今もなお版を重ねている。
 Twitter文学。果たして、このムーブメントを日本社会はどう評価すればよいのだろうか。ある人は言った。「あんなものは文学ではない」と。あんな低俗な文章が評価されることは「義務教育の敗北」であり、本そのものが「資源の無駄」だと。一方、新橋のガールズバーで働く女の子が数年ぶりに本屋を訪れ、寝食を忘れ貪(むさぼ)るように麻布競馬場の本を読んでいるというのも、また一つの事実だ。
 経営危機すら囁(ささや)かれる企業のサービスに依存した、吹けば飛ぶような存在。それがTwitter文学の現在地だ。ジャンルとして定着するのか、それとも時代の徒花(あだばな)として消えていくのか。それは誰にもわからない。私自身、出版という望外の僥倖(ぎようこう)を得るに至ったが、次の行き先はまだ決まっていない。
 なお最後に、Twitter文学に対する「文学を気取っているが、よく読めば固有名詞を並べただけだ」という批判に対する私なりの見解を記すことで、本稿を締めたい。
「真名(まな)書き散らして侍(はべ)るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり」(利口ぶって漢字を書き散らしているが、よく見れば足りないところばかりじゃないか)
 今から千年以上前、紫式部が清少納言に対し書いたとされる批評(クソリプ)だ。筆がスマホに変わっただけで、我々人類は大して成長していないのかもしれない。

外山 薫
とやま・かおる
1985年生まれ。慶應義塾大学卒業。著書に『息が詰まるようなこの場所で』がある。

青春と読書
2023年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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