遠藤周作、「母」をテーマにした未発表作を公開 『影に対して』試し読み

試し読み

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク


遠藤周作

 遠藤周作の幻の原稿を収録した『影に対して』(新潮社)の文庫版が刊行されました。本書には遠藤文学の鍵となる「母」を描いた6編が収められています。

 表題作の「影に対して」は、2020年に遠藤周作文学館に寄託された資料の中から発見され、死後に完結した状態の未発表小説が見つかったのは初めてだったこともあり注目を集めました。

 今回は生誕100年を迎えたことを記念し、特別に表題作の冒頭を一部公開します。

 ***

 勝呂は畳に片手をついて、父の家に焼け残った古いアルバムをめくった。アルバムの黒い紙は色あせ、湿った臭いが充満していた。少年時代の彼の写真、父に撮ってもらったものである。高尾山に登った時の写真。丸坊主の彼がくたびれたような顔をして父と並んでいる。熱川の海岸でうつした写真。これも父と一緒である。どの写真のなかでも、今の彼と同じ年頃の父は愛想笑いを浮かべていた。(彼は自分も写真をとられる時、この父と同じように、気の弱わそうな微笑を頬に浮かべることをふと考えた)そして、それらの写真のところどころに、あきらかに前にはそこに貼りつけてあったのに、剥ぎとった痕があった。糊のあとだけが灰色に乾いて残っている。彼はその写真にうつっていた人が何者か、その写真を誰が剥ぎとったのかを、もちろん、知っていた。
「おいで。稔、手を引いてあげよう」
 父は勝呂の息子の手を引きながら、庭の小さな池の周りを歩いていた。うしろから勝呂の妻が義母と話をしながらついていく。日光躑躅の真赤な花が池のほとりに小さな炎のように燃えている。黒い地面から菖蒲が剣に似た芽を出している。

「これは鯉、金魚じゃないね。さあ稔、何匹いるかな」父は立ちどまって、稔をうしろから抱きかかえるようにして水面を覗きこんだ。「三匹、四匹」
 自分の子供が、その父の手を握りしめているのが、勝呂には不愉快だった。理窟ではそういうことが理不尽だと彼はうち消そうとする。彼は眼をアルバムに落して剥ぎとられた写真のなかの人に心のなかで呟く。あなたは稔の顔をみずに死んだ。稔をだく悦びも持たなかった。稔の顔だけではなく、ぼくの妻の顔も知らない。あなたは今、この春の日曜日、嫁や孫に囲まれているあの父をどんな気持で眺めているのか。
「二匹、三匹、四匹」
「まだその岩の下にもいるぞ。かくれているぞ」
 池の水面に陽炎のように陽が動いた。鯉が走ったのである。和服の上に手製のモンペをはいている父の満足そうな顔に照っている。焼ものや茶には、もともとこっていたのだが、勤めをやめてからは、父は着るものまで俳人風の恰好をするようになっていた。
「そろそろお茶にしましょう」と義母は、稔の頭をなでながら「さあ、茶の間でケーキをたべましょうね」
 アルバムを持って勝呂が、納戸のほうに行きかけると、息子が手にぶらさがってきた。
「見せて、その御本」
「アルバムね」妻もうしろから声をかけた。「その古いアルバム、私まだ見たことはないわ」
「お前の知らん写真ばかりだ。見るほどのもんじゃない」
 勝呂は不機嫌にそう答えると、納戸の戸をあけて雑多なものが並んでいる一番上の棚にその写真帳をかくした。
「どうしてかくすの」
「言ったろ、見たって仕方がないと。お前には、関係がない」
 彼は恨めしそうな顔をする妻に首をふった。首をふりながら、心のなかで、もう少し頭を働かせと言った。
「どうしたんだね」
 稔に手を洗わせるため追ってきた父は勝呂と嫁との顔をみながら、不審そうにたずねた。
「あのアルバムですの」妻は無思慮に答えた。「この人ったら、どうしてか、あんな高いところにかくして」
 父はうつむいて黙っていた。黙ったまま、稔の手をもって風呂場につれていった。父はそのアルバムのなかに、幾枚かの写真が剥ぎとられていることを知っていた。

「よくたべるね、稔は」
「そうなんですの。お腹をこわさないかといつも心配なんです」
「しかし、同じ年の子よりおかげでずっと大きいんじゃないか」
「お医者さまに、ほめられるんですよ」
 父は爪楊枝をつかって歯をほじくり、妻は息子をほめられたことに得意になってしゃべっていた。
「この人も、子供の時はこのくらい食べたんですか」と調子にのった妻は言った。「この頃、食が細いんですのよ」
 妻は自分が口に出した言葉が、父と義母とにどんな反応を与えるか気がついていない。勝呂の少年時代のことについては何も知らぬ義母の前でこんな質問を口に出すことは無神経だとも考えてもいない。勝呂は心のなかで舌打ちをした。
「なあに」父はわざと磊落な表情をつくって「こいつは間食ばかりしてね。いくら言いきかせても直らんものだった」
 知らん顔をしながら義母は義母で稔にプディングを匙ですくってやっていた。
「でも子供の頃はこんなに痩せてなかったんでしょう」
「普通だったろうね」父は義母にそっと眼をやりながら「しかし、大学の時は、一時、肥っていたこともあったじゃないか。食糧難の頃だったが、こいつに食べさせるためにシゲが随分買出しにいったもんだ」
 大学時代の自分の写真なら、妻に見せたことがある。だが、勝呂の子供時代をうつしたアルバムは、納戸の奥にかくすようにしまわれて、長年、白い埃をかぶっている。勝呂のまぶたの裏にもう一度あの誰かが剥ぎとった写真の跡が――乾いた、きたない灰色の糊跡が――うかんだ。私はあなたが時折、作ってくれたホットケーキの味を憶えている。小学校から帰った時、あなたはそのホットケーキにドリコノをたっぷりかけて食べさせてくれた。彼は稔にプディングをすくってやっている義母の手の動きを見ながら考えた。ドリコノの味。あのキャラメルに似た味のする飲料は勝呂が子供の頃しかなかったものだ。
「有造」と父は膝の上に稔が落した菓子屑を丁寧にとりながら「ところで話があるんだがねえ。一寸、来てくれないか」
 茶の間を出て、父の書斎にはいると、昔と同じようにすべてのものが、ちゃんと整頓

されていた。書棚には仏教訓話集や生長の家の全集が並べられ、机の上には筆立てやハンコや大きな銅の文鎮がおいてある。二十年前、彼が大学生だったころと何一つ変っていない。それは父の今日までの変化のない生活をあらわしているようである。この書斎に新しく入ったものは「人間万事無一物」と書いた額だけである。これは父とは何の関係もないなと勝呂はうす笑いを頬にうかべた。
「それか。それはこの間、頂戴してね」
「だれの字ですか」
「衆議院の田村さんが書いてくださったのだ」
 誰が父のために書こうが勝呂には興味がない。ただ彼は、人間万事無一物というような言葉が父の人生に全く無縁であることを知っていたから、少しおかしかった。
「話って何です」
「うん」父は空拭布で机をふきながら「私も教職を今年やめたからね」
「経済的なほうは?」
「いや、そのほうは心配ない。前からちゃんと備えておいたから」
 そうですね。父さんならそういうことは、十年も十五年も前からちゃんと準備しておかれるでしょう。あなたのこの部屋には昔、「備えあれば憂なし」という誰かの字がかけてあった。この老人が株を買い、老後保険に入り、それから義母のために生命保険に入っていることも彼は前から知っている。
「どうも、机というものは毎日、こう欠かさずふいておかないと光らないな」父は手を動かすのをやめて呟いた。「しかし何だね。人間も同じことだ。若いうちからちゃんと磨いておかないと、年とってから手がつけられなくなるぞ。お前のような年齢の時には、一寸した欠点でも、若さのために許してくれるが、年とると話がちがう。年をとった人間はもう世のなかのために役にたたぬからね。世の中からも、きびしく当たられるようになる。ここが大事だ」
 この父に少年時代から処世訓めいたこんな話を幾度、きかされたことだろう。「仏教訓話」や「生長の家全集」そういった書棚の中の本から取ってきたような話を父は勝呂にきかすように、自分の生徒たちにも聞かせてきたのである。
「実は、書きものをこの頃してみたんだがね。年とっても遊んでいてはいかん」
 父は机の下から大きな紙袋をだしてみせた。
「何の書きものですか」
「李商隠の伝記といったものだ」
 勝呂は、父が手渡したずっしりと重い紙袋を開いた。原稿用紙でほぼ百枚ぐらいの分量である。小さな字は父の小心な性格をよくあらわしていた。書き損じもなければ、訂正したあともない。父の人生にはたった一つのことを除いて、書き損じも訂正もなかった。そんな男にものを書くなどとはどんな意味があるのだろう。
「大変だったでしょう」勝呂はうす笑いを頬にうかべた。
「いずれ本にして出したいと思っている」
「本屋のあてはあるのですか」
「そこでそれをな、お前にたのもうと思ってね」急に媚びるような笑いを父はみせ「自分としてはまあ、A社などいいと思っている」
 A社というのは一流の出版社である。無名の老人が書いたものを持ちこんで、おいそれと出版する筈はなかった。
「しかし百枚じゃ本になりませんよ。普通、本というのはね……」と勝呂は逃げようとしたが、父はそれには気づかず「もちろんこれは全体の三分の一だよ」
 勝呂は不機嫌に煙草に火をつけた。探偵小説の翻訳家である彼は、A社などでも自分の本を出してもらいたいと考えていた。その自分ができないことを父は頼んでくる。自分には父の原稿までとてもA社に持ちこむ力などない。いや、それよりも、彼はもう二十年前のことを思いだしていた。文学部に入ることを反対して安全な人生の道を歩むようにすすめた父を。揚句の果て、彼は二年ほど家を出されて人の家にあずけられた。
 八時頃、むずかり出した稔をなだめなだめ、父の家を出た。息子の手を引いている勝呂のうしろから妻はボストンバッグをぶらさげながらついてきた。
「あとで気づいたのよ。あたし」と暗い道を歩きながら彼女は不意にいった。「なぜあなたが、あのアルバムを見せなかったか。ごめんなさい。うっかりしていたの」
 彼が黙っていると妻は彼に同情しているのを見せるように、
「あなたも、色々、気を使って生きてきたのねえ、あのお家で」
「お前なんかの知ったことじゃない」彼は道に唾をはいた。自分のあの家における姿勢を妻に見られたことが不愉快だった。「それより、稔の片手を引いてやれ」
「お母さま――、もちろん、あなたの死んだお母さまよ――なぜ、お父さまと別れたのかしら」
 勝呂は返事をしなかった。それは彼だけの秘密だった。たとえ妻でも母の思い出のなかに立ち入ってもらいたくはなかった。

続きは書籍でお楽しみください

遠藤周作
1923年東京生れ。幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955年「白い人」で芥川賞を受賞。一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。主な作品は『海と毒薬』『沈黙』『イエスの生涯』『侍』『スキャンダル』等。1995年、文化勲章受章。1996年逝去。

新潮社
2023年3月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

▼新潮社の平成ベストセラー100 https://www.shinchosha.co.jp/heisei100/