宝塚から医療大学へ進学した元花組男役スター・鳳真由の不屈のメンタル 『すみれの花、また咲く頃』試し読み

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鳳真由さん

 宝塚音楽学校の合格倍率は平均約25倍。そんな狭き門を乗り越えた9名の元タカラジェンヌを取材したノンフィクション『すみれの花、また咲く頃 タカラジェンヌのセカンドキャリア』が話題だ。

 子供の頃からの夢を叶え、20代から30代半ばで宝塚を卒業していくタカラジェンヌにとって、「その後の人生」の方がはるかに長い。本書に登場する9名のセカンドキャリアも、会社員に大学生、専業主婦、俳優、振付師など多岐にわたっている。そんな彼女たちの「ライフシフト」には、人生100年時代を生き抜くヒントが溢れていた。

 今回はその中から、卒業後に医療系の大学に進学した元花組男役スター・鳳真由さんの章「宝塚から医療大学へ」を公開する。

 ***

 大学の授業で分からないことがあると、彼女は1人で図書館にこもる。親切な先生や頼りになる友達もいる。周囲と打ち解けやすい気さくさを持ち合わせている彼女だが、学業について誰かに質問することはまれだ。
「私の癖なんです。人に訊くよりも、自分で深く探っていくのが面白くなっちゃう」
 昔からそうだった。たとえば、宝塚音楽学校時代のことだ。彼女は、タップダンスがなかなか上達しないことに悩んでいた。苦手科目の克服のため、音楽学校の生徒は休み時間や放課後に自主練習をしたり個人でレッスンに通ったりと、努力を重ねる。長期の休暇も遊ぶための期間ではなく、集中的に芸事を磨く機会なのだ。
 その長期休暇を迎えた彼女は、突如、アクリル板を買って東京の実家に帰った。床を傷つけないようにとタップダンス用のマットの代わりにアクリル板を自室の床に敷き、その上でひたすらステップを繰り返したのだ。
「家でタップダンスしている私を、家族は放置してました。またやってるわーって」

 鳳(おおとり)真由(まゆ)さん。東京都小平市出身、愛称は、「ふじP」。すらりとしたスタイルと表情豊かなパフォーマンスで人気を集めただけでなく、深い考察をもとに役を作り上げる感性は各作品で注目され、花組の若手男役として長年重要なポジションを担った。
 2016年に宝塚を卒業した後は、国際医療福祉大学に進学し、医療に関する幅広い分野について学んでいる。
 鳳さんが在籍していた花組は、百花繚乱とも言うべき多彩な男役さんたちが芸と人気を競い合っていた。その真っ只中にいたわけだが、劇団で時折見かけた彼女の姿には「ライバルたちと火花を散らすスター」とは異なる趣があった。
「なぜ、あんなに楽しそうなのだろう?」
「いつも仲間に囲まれている、ふじPさんってどんな人?」
 私がずっと抱いていた疑問は、彼女の言葉によって解き明かされていった。その芸名の通り、「まっすぐ、自由に」というのびやかな言葉を掲げて過ごした宝塚での日々は、彼女を取り巻く人たちの心を惹きつけてやまない魅力に溢れていた。

「悔しさ」をバネにしない

 宝塚のファンだった祖母と母の影響で、鳳さんは物心つく前から宝塚歌劇に慣れ親しんでいた。好きだからこそ遠い世界に感じられた宝塚だったが、中学生になると「自分もあの舞台に立ちたい」と思うようになった。
 幼い頃からクラシックバレエを習っていたとはいえ、宝塚音楽学校は簡単に合格できる所ではない。最大4回まで受験できるものの、より真剣に打ち込むため一度だけの受験を決意した鳳さんは、レッスンに心血を注いだ。そのうち、なんとしても合格したいと燃える彼女の気持ちは、レッスンに励むだけでは抑えきれなくなっていた。
 ある日彼女が向かった先は、高幡不動尊だった。お昼過ぎまで学校を休んで、山内八十八ヶ所巡りを決行したのだ。必死さゆえの行動とはいえ、この頃から周囲の人の意表を突く少女だったことは間違いない。
 八十八ヶ所巡りと努力の甲斐があり、高校1年生の時に一度目の受験で、彼女は合格を果たした。上下関係や芸事の厳しさで知られる宝塚音楽学校での、2年間の生活が始まったのだ。

 音楽学校の生徒たちは入学後も定期的に試験を受け、激しい成績争いを経験する。合格という夢を実現させても早速挫折感を味わう生徒もたくさんいるのだが、鳳さんは違った。
 宝塚受験の時、両親は厳しい道を選んだ娘を心配こそしたものの、応援してくれた。それも、「受かっても受からなくても、とにかく挑戦してみたら良い」という、結果にこだわらない姿勢で。はじめから将来を決めつけない両親の励ましは、鳳さんをゆとりのある気持ちで受験に向かわせてくれた。その結果、実力を最大限に発揮することができた彼女は、そのまま心のゆとりを失うことなく宝塚の世界に飛び込んだ。
 だから、芸事に秀でた同期生を見ても、悔しいという気持ちを感じなかった。苦手な科目の順位も、あまり気にしなかった。優秀な同期生を羨むどころか「生まれ変わったら、あんな風になりたいなと思った」というから、呆れるよりも驚いてしまう。
「ガッツがある人、成績の上の順位を勝ち取っていく人を見ると、格好良いなと思いました。私には、そこまでの闘志が芽生えなかったから」
 そう語る鳳さんだが、それは決して消極的な思考ではなかった。

 受験を勝ち抜いたものの、入学当初からそれぞれの実力には差がある。私もそうだったように、自分以外の同期生は優れて見えるものだ。毎日ともに歌い踊り、優等生と自らを比べずにはいられない環境において、まだ10代の女性が、他人に左右されずに自分を見つめるのは並大抵の胆力ではできないことだ。
 鳳さんにとって、形だけの「やる気」は必要なかったのだろう。人と同じやり方で安心するよりも、自分がより向上する方法を見つけることが大切だと無意識に感じていたのかもしれない。心のゆとりがあった鳳さんは、自分自身に集中することができた。
 また、意地やプライドを他人にぶつけることのない鳳さんは、同期生たちから慕われ、厳しい学校生活でも自分のペースを保って着実に努力の成果を出した。興味を持って打ち込んだ演劇の成績は、常に上位。自分自身と真摯に向き合って、中身の濃い2年間を過ごした。

「ああ! 男役さんだ!」って言われたい

 2005年、鳳さんは91期生として宝塚歌劇団に入団した。花組公演「マラケシュ・紅の墓標」「エンター・ザ・レビュー」で初舞台を踏み、そのまま花組に配属された。
 初舞台生の多くは「理想のタカラジェンヌ」を思い描き、その姿を目指して努力するものだ。宝塚では、群舞の中で踊るポジションや、出番の多さなどによって、具体的な立ち位置が見えやすいから、目標を持ちやすいということもある。大劇場でソロを歌う娘役になりたい。ダンスの場面で活躍したい。悪役が似合うシャープな男役になりたい……など。
 自宅でタップダンスのステップを踏み鳴らしたほど、お稽古熱心な鳳さんである。実力を磨くため、堅実な目標を立てていたことだろう。そんな私の予想は、彼女の言葉で覆された。彼女の理想の男役像は、一風変わっていたのだ。
「宝塚大橋(宝塚大劇場の近くの橋)を、キャスケットを被って、ちょっと裾の広がったズボンで颯爽と歩いて『ああ! 男役さんだ!』って言われたいな」
 可愛らしさもある整った顔立ちにすらっとしたスタイルが魅力の、彼女である。入団してすぐに、ただ通勤するだけでその夢は叶った。
 若かりし自分を「浅はかですよね……」とため息混じりに振り返る。思わず笑ってしまうが、実はここに彼女の非凡さが表れている。
 豪華絢爛な舞台の初日までは、地道なお稽古の日々が続く。休日までレッスンに通い、報われるかどうか分からない努力を続けるためには、揺るがない原動力が必要だ。「台詞をたくさん貰いたい」、「目立つ役をやりたい」ということのみが目標になると、向上心が高まる一方で、その理想に届かない時期は落ち込んでしまう。それでも自分を追い込んで成長していく人もいるのだが、低迷する時期が長いと夢を諦めてしまうこともある。
 それに対して、鳳さんにとっての男役は、佇まいそのものが格好良い存在。宝塚ファン時代から心に焼き付いていた理想像は、自らが男役となった後も、決してぶれなかった。「男役である」だけでわくわくと心躍らせていた彼女は、もしかして最も宝塚に向いている人だったのかもしれない。

 宝塚にある5つの組には、それぞれのカラーがある。鳳さんが入った頃の花組といえば、華やかな男役を中心にエネルギッシュな舞台を観せる組だった。特に「花男」という通称があるほどに、「花組の男役たるもの」というプライドや理想が受け継がれているのだ。
 その花組・男役の一員になった彼女は、先輩たちについて行く……というか、否応なく巻き込まれていった。
 お稽古中も、男役さんは幾度も集まり、ダンスの振りや見せ方を研究する。そしてお稽古が早く終わると、男役たちだけで食事へ行くこともしょっちゅうだった。しゃぶしゃぶを食べる時は4、5人で10人前のお肉をざーっと平らげ、その後は男役について語り合う。「男役はこうあるべき!」とひたすら熱い議論を続ける上級生たちの横で、鳳さんだけはお肉に夢中だった。
 一人前の顔で男役談義に加わっていたつもりだったが、今思えば上級生に引っ張ってもらっていたと、懐かしそうに話す。そこで彼女は不意に真顔になり、身を乗り出した。
「でも、生まれた時からぎらぎらした男役の人なんて、いないでしょ」
「花男」の看板を背負った素敵なスターさんも、最初はみんな鳳さんと同じ男役初心者だったはずだ。「男役は常に格好良く!」というスローガンをみんなで共有して、どんどん実行に移す。そうやって、花組の男役という伝統が作られていったのでは、と彼女は分析する。そして、ライバル同士でもある仲間たちと励ましあえる環境は、大きな刺激を与えてくれた。
「熱い男役談義の中で、よくもらい泣きしていました。私って熱い人だと言われていたけど、実は熱い人の影響を受けていただけなんですよ……」

挑戦のとき

 マイペースではあるが研鑽を積みながら、鳳さんは自分の立ち位置を冷静に見つめていた。「一生懸命に努力をしても研3までに納得のいく役を貰えなかったら、早々に宝塚を卒業しよう」と考えていた、まさにその研3の終わりに、バウホール公演「蒼いくちづけ」で2番手の役を掴んだ。
 続いて、2009年「太王四神記」の新人公演ではヨン・ホゲという大役を射止める。無我夢中で挑んだ彼女はその後、さらに大きなチャンスに恵まれた。2010年「虞美人」の新人公演で、初めて主役に抜擢されたのだ。

 本役である当時のトップスターは、宝塚に入る前から大ファンであった真飛聖さんだったが、喜んでばかりはいられなかった。責任ある立場での大舞台を前に、鳳さんは並々ならぬ覚悟を決めた。やるとなったら、とことんやる。公演当日まで、1分たりとも無駄にしないという集中力が漲った。
 振付や動きの決まりだけにとどまらず、男役としてのあり方をも学びたいと真飛さんに必死に食らいついていった。新人公演の主役が大変なのは当たり前と言わんばかりに、一切の甘えを許さない真飛さんは、本公演も新人公演のお稽古も「できて当然のこと」として指導された。
 本公演の後に毎晩遅くまでお稽古に励み、ゆっくり寝る間もなく翌日の舞台に立ち、休日もレッスンに通う……そんな日々を続けているうちに、とうとう声が嗄れてしまった。それでも、かすれた声を絞り出して台詞を叫んだ。新人公演をやり遂げたらどうなっても良いと思うほど、鳳さんは自分自身を追い込んだ。
 そして迎えた、新人公演当日。彼女のお化粧前(楽屋のドレッサー)には、真飛さんの字で「がんばれ」と書かれたメモが貼られていた。厳しい態度で鳳さんを指導し続けた真飛さんは、鳳さんの熱意と努力を認め、誰よりも気に掛けていたのではないだろうか。
「本番前なのに、もう大号泣ですよ!」
 大切な新人公演を前に涙でメイクが崩れた彼女を想像するとあまりに健気で、でも可笑しくて、つい笑ってしまう。そんな私の気も知らず、
「ああ、思い出したら、今も泣きそう……」
 鳳さんは、眉毛を八の字にして呟いた。

目指すのはトップスターではない

 新人公演の初主役を見事に果たした鳳さんはその後、2011年の「ファントム」、2012年の「復活-恋が終わり、愛が残った-」の2作でも新人公演の主演に選ばれ、本公演でも華やかな見せ場を貰うようになった。
 新人公演の主役をつとめると、行く行くはトップスターに就任する可能性が見えてくる。劇団から、そしてファンからも、トップスター就任への期待が膨らんでいるのを感じていた。だが、それは彼女の目標ではなかった。
「私は、ただ目の前のやるべきことに向かうだけで精一杯でした。『次はもっと上のポジションへ』というステップを、自分では構築できていなかったんです」
 子どもの頃に魅了されたタカラジェンヌは、舞台から夢を届ける特別な存在だった。トップスターだから、目立つ役だからという理由でタカラジェンヌに憧れたわけではない鳳さんは、与えられた役、仲間たちと作り上げる舞台そのものに強烈なやりがいを感じていた。言い換えれば、歌劇団の中で脚光を浴びることに興味がなかったのだ。
 生徒は全員、トップになりたいと思っているのかな? と、彼女は首を傾げながら話す。
「人それぞれだと思うけど……そうじゃない人もいますよね。私がそうだったしなあ」
 その頃の宝塚は、生徒の組替えがあったり、新たに若手の男役スターが活躍し始めたりと、花組を含めて変化の時期を迎えていた。
「正直に言って、もう私は必要ないのかな、と感じました。他のスターさんをどかしてまで活躍したいとは思わなかったし、このまま宝塚にいるのは迷惑になるかも、と思いましたね」
 そう、鳳さんは淡々と語った。その表情に少しも悲哀が滲んでいないのは、当時の彼女が、男役として演技することを心から楽しんでいたからだろう。誰も思い付かないようなアイディアを連発する鳳さんは、スターの立場としてではなく、1人の舞台人として花組の中で存在感を示していった。

 宝塚では、生徒だけで行う自主稽古で、上級生がその場面やナンバーをしっかりまとめていく。叱られることの多い下級生たちにとっては緊張の時間でもあるのだが、鳳さんのダンスの指導はこうだった。
「この曲のはじめは寝起き、次のパートでは二度寝して、ここでもう一度目を覚ます。ああでも、日曜日の朝だな~って感じでやってみよう」
 真面目な顔で姿勢を正していた下級生たちが思わず吹き出してしまうようなアドバイスだが、その場面で出すべきカラーや、お稽古場の雰囲気をよく見ている鳳さんならではの表現だ。
「振付の形だけを揃えるより、みんなで共通のイメージを持った方が息を合わせやすいと思ったんです。ダンスを振付通りにきっちり揃えたいタイプの生徒にとっては、少々不可解なお稽古だったかもしれませんが」
 そう言って鳳さんは笑い半分、気まずそうな表情を浮かべた。だが、時には遊びのような感覚で練習して、場面全体が活気づくのはとても大切なことなのだ。あまりに楽しそうな自主稽古の様子に、参加した人たちが羨ましくなってしまった。

霊に取り憑かれたふじP事件

 新人公演を卒業した鳳さんは、2012年のバウホール公演「Victorian Jazz」で2番手役のアーサー・コナン・ドイルを感情豊かに演じ、物語を大きく動かす役割を果たした。
 上級生として力強く舞台を支えた鳳さんだったが、実は公演メンバー全員の記憶に残る事件を起こしていた。
 毎晩遅くまでお稽古に励んでいたために、体が疲れ切っていたのだろう。稽古期間も終盤に近づいた頃、大切な通し稽古の日に、なんと大寝坊をしてしまったのだ。
「12時からお稽古なのに、起きたら12時3分~」
 他の職業と同じく、いや、舞台に関わる仕事はなおさら時間厳守だというのに。しかも演出家や大勢のスタッフ、劇団関係者も見学する通し稽古の日だ。私だったら生きた心地がしないだろう。
 アーサー・コナン・ドイルは降霊術を信じている人物で、作中には心霊に関する場面もあった。初日に向けて公演に集中していたせいだろうか、他の出演者たちは何度電話をかけても連絡が取れない鳳さんを心配し、「ふじPが来ないのは、霊に取り憑かれたせいに違いない……!」と大騒ぎになった。鳳さんの無事を祈りながら、スタッフの方々には彼女の不在をなんとか隠そうとみんなで画策していたところに、泣きべそをかいた鳳さんが「すみませんでした!」と叫びながら飛び込んで来た―。
 この作品の出演者たちが、いまだに思い出しては大笑いする「霊に取り憑かれたふじP事件」。当の本人は、なにやら遠い眼差しで語る。
「1203。一生忘れられません。あの、衝撃の数字を……」
 まるで己のターニングポイントのように語っているが、それは寝ぼけ眼で見たデジタル時計の数字、大寝坊の時刻を格好良く言っているだけである。
 許されるはずのない大失敗が、伝説の爆笑エピソードとして語り継がれてしまうとは。鳳さんが仲間やスタッフから愛された、この作品のムードメーカーであったことが窺い知れる。

武器はイマジネイション!

 スターである自分にこだわらないからこそ、どんな役を演じても思い切り「鳳真由」の色を見せられる。そんな彼女の強みが発揮された作品が、2013年の「オーシャンズ11」だった。
 彼女が演じたリビングストン・デルは、巨大金庫の強盗計画の仲間となる、通信技術の専門家だ。大きくカールした金髪に縁が太い眼鏡をかけ、オドオドしながらいつもパソコンを覗き込んでいる。そんな奇抜なキャラクターを、鳳さんは人間味ある親しみやすい青年として作り上げた。
 首に大きなヘッドホンをかけ、ラップ調で自己紹介するリビングストン―厳しいことで知られる演出家の先生は、彼女が演じた登場シーンのオリジナリティを高く評価し、一目でOKを出したそうだ。
 また、カラフルな衣装で踊るフィナーレ(本編のお芝居が終わった後の、短いレビューシーン)の場面では、「カカオ工場のチョコレートたち」という設定で踊ろうと提案して、出演メンバーの若手男役たちは大いに盛り上がったという。
「どうやったら自分なりに理解できるかと考えるところは、アクリル板でタップダンスを練習した時から変わってないですね」
 そしてその取り組み方は、大学に入ってからもどんどん発展している。
「がん細胞とアドリアマイシンの関係性の説明が難しかったので、イラストに置き換えた資料を作ったんです」
 突如として飛び出した専門用語に怯んだものの、鳳さん作のイラストで描かれた図を見せてもらうと、無知な私でも途端に興味を惹かれた。カラフルな細胞や、可愛らしい形になった薬の二重螺旋構造……にこにこ顔の細胞を見ているうちに、難しい事柄がすっと頭に入ってくる。
 彼女の作った資料に感心した先生の勧めで、オンライン授業での発表に自作のイラストを用いることになったという。
 常識を突き破る、「鳳真由」の発想力。その独創性は、宝塚の世界を飛び出してからも、さらに活かされている。

もっと宝塚を好きになる

「真の意味で挫折を味わったのが、『エリザベート』でした」
 それは2014年、彼女が研10の時だった。主要な役どころを決めるオーディションの結果、鳳さんは希望した役に選ばれなかった。「エリザベート」はファンとして観ていた初演の時から大好きな作品だっただけに、深く落ち込んだという。
 音楽学校に入学した時から、鳳さんは目の前のことに淡々と、だが懸命に取り組んできた。この時に彼女が感じた悔しさは、1人では答えを出せない難問のように重くのしかかったのではないだろうか。そんな苦しい思いに耳を傾けてくれたのは、上級生の男役、瀬戸かずやさんだった。
「もうここで男役をやる意味はないのかもしれない」と本音を吐露した鳳さんに、瀬戸さんは思いがけない言葉を返してくれた。
 それは、鳳さんが新人公演の初主演を果たした時のこと。瀬戸さんは、下級生である鳳さんを支える立場だった。その時に、鳳さんからこんな言葉を掛けられた。
「まだ、やめないでください。お願いします。これからも一緒に頑張っていきたいです」
 ライバルという立場を超えてまっすぐに届いた鳳さんのこの言葉を、瀬戸さんはずっと覚えていた。そして、この言葉が今まで自分を支えてくれたんだと、やりがいを失いかけていた鳳さんへ同じように贈ってくれたのだ。
 下級生の頃から熱く語り合い、同じ舞台で闘ってきた1学年上の瀬戸さん。尊敬する同志からの言葉は、折れかけていた鳳さんの心をしゃきっと立て直した。
 嫌なことから逃げるように退団するのではなく、大好きな宝塚をもっと大好きになって卒業したい。いや、そうしなくてはならない。仲間とともに頑張ってきた時間を嫌いになるわけにはいかない、と。
 それから、かつて自分がスターとして抜擢された時のことを思い返した。その陰には、今の鳳さんと同じように挫折を味わい、それでも踏み止まって努力を続けた人たちがいたはずだ。
「みんなのおかげで舞台に立てたと思うと……私が簡単に諦めるわけにはいかないと、思い直したんです」
 宝塚の舞台に立つ意味を再び掴んだ彼女は、もう落ち込んではいなかった。ひとたび気持ちを切り替えると、持ち前の集中力で舞台を楽しむだけだった。憧れだった「エリザベート」の楽曲を歌えることそのものが、心底嬉しい。名作の舞台に参加できる毎日に喜びを感じ、充実した公演期間を過ごしたという。
 ただただ男役に憧れてこの世界に飛び込んだ1人の少女の純粋な意志は、少しずつ鍛えられ、いつしかしなやかに舞台人・鳳真由を支えるものになっていた。

(続きは書籍でお楽しみください)

早花まこ(さはな・まこ)
元宝塚歌劇団娘役。2002年に入団し、2020年の退団まで雪組に所属した。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。『すみれの花、また咲く頃―タカラジェンヌのセカンドキャリア―』は初めての著作。

鳳真由
東京都小平市出身。2005年91期生として宝塚歌劇団に入団。2016年「ME AND MY GIRL」で宝塚歌劇団退団。退団後は、国際医療福祉大学に進学し、医療に関する幅広い分野について学ぶ。

新潮社
2023年4月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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