虐待され家を出た切ない過去も……ヨルシカが楽曲のモチーフにした古典作品6作品を解説

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音楽と文学の幸福な関係

[レビュアー] けんご@小説紹介(小説紹介クリエイター)


「ヨルシカ」×「新潮文庫」コラボ書名

 文学作品をモチーフにした楽曲を発表するアーティスト・ヨルシカによる、聞ける画集『幻燈』が注目されている。

 また、画集に収録された曲のうち6作品が新潮文庫で刊行されており、コラボ企画として限定カバーが発表され、こちらも話題となった。

 モチーフとなったのは、オスカー・ワイルドの『幸福な王子』、萩原朔太郎の『月に吠える』、グリム兄弟の『ブレーメンの音楽師』、アンドレ・ジッドの『地の糧』、ヘミングウェイの『老人と海』、宮沢賢治の『風の又三郎』の6作品。

 音楽とともに作品の魅力を、小説紹介クリエイターのけんごさんが解説する。

読書初心者へのおすすめは

 アップテンポな曲調のなかにある喪失感と文学性――ヨルシカの魅力はそこにあります。僕は大学生のときにヨルシカの「ただ君に晴れ」を耳にして衝撃を受けて以来、今では年に何度もライブツアーに足を運ぶほどのファンになりました。

 今回のヨルシカと新潮文庫のコラボレーションは、ヨルシカファンで普段、本をあまり読まない人、反対に、読書家でヨルシカの楽曲を聴いたことがない人、その両方におすすめしたいです。

 まず読書初心者には、楽曲「左右盲」のモチーフになったオスカー・ワイルドの『幸福な王子』を。これは、王子の像が貧しい人たちのために自らを彩る宝石や金箔を分け与えてしまう、というお話。読みやすいけれども、深いメッセージを持った非常に感動的な作品です。

「左右盲」は『今夜、世界からこの恋が消えても』という小説が原作となった映画の主題歌でもあります。これは失われていく恋の記憶をめぐる物語で、「左右盲」の歌詞と結びつくのですが、さらにヨルシカのコンポーザー・n-bunaさんは、「剣の柄からルビーをこの瞳からサファイアを」という『幸福な王子』にオマージュを捧げた歌詞を持ってきます。恋人の記憶を次第に失くしていく様が、宝石や金箔を少しずつ剥がされていく王子の様子に見事に重ね合わされているわけです。僕がヨルシカの魅力として挙げた「喪失感」を体現した曲だと思います。

『ブレーメンの音楽師』は、短いグリム童話がたくさん詰まっていて、やはり読み慣れていない方におすすめです。物語と楽曲「ブレーメン」には共通点があります。それは、一見陽気でポップなのですが、実はその底に深い悲しみが流れているところ。

 本作はロバや雄鶏など動物たちが泥棒をやっつけるという痛快な物語ですが、実は彼らはそれぞれに、長年尽くした主人に虐待され家を出てきた、という切ない過去があるのです。

 そのせいか、楽曲も明るいテンポの曲なのに歌詞の所々から苦しみが感じられます。ブレーメンを目指す仲間は四匹なのに、「ずっと二人で暮らそうよ」とか「たった二人だけのマーチ」とか、あえて「二人」というフレーズが用いられているのが印象的で、動物たちが自分を捨てた主人に向けての未練を歌っているのかな、などと深読みしてしまうほど、悲哀が強く感じられました。

対照的な二曲

『老人と海』『風の又三郎』は誰もが知る名作文学。この二作をモチーフにしたヨルシカの「老人と海」と「又三郎」は対照的な楽曲で、その違いを楽しむという聴き方ができます。

「又三郎」はボーカルのsuisさんの嵐のように力強い歌声がガツンと耳に入ってきます。それはまるで、田舎の小学校にやってきた転校生、又三郎のよう。彼は小さな村の閉塞感を吹き飛ばすような存在でした。

 反対に「老人と海」は、柔らかな力強さが感じられる曲です。ヘミングウェイの『老人と海』は読みだした途端、命をかけて闘う老人の姿に夢中になりました。満身創痍で帰還した老人を、彼を信頼する少年が労わる、という穏やかな結末と、静謐に終わっていく曲のイメージとが重なります。

 子どもたちの物語にオマージュを捧げた勢いの良い「又三郎」と、老人のしなやかな強靭さを表現する「老人と海」。物語を読んでから曲を聴くと、さらに深くその対比が迫ってくるのではないでしょうか。


小説紹介クリエイター けんごさん

理解することだけが読書じゃない

 楽曲「月に吠える」と『萩原朔太郎詩集』、「チノカテ」とジッドの『地の糧』は、読書好きでヨルシカの曲をあまり聴いたことがない、という方におすすめしたいコラボーレーション。

 萩原朔太郎の「月に吠える」を読んで、詩というものは小説以上に行間から様々なイメージが立ち上がるものだと実感しました。怖くて、グロテスクで、幻想的で。n-bunaさんが朔太郎の言葉と言葉の間から湧き出すイメージを、自分の中で咀嚼して吐き出したような楽曲「月に吠える」には、詩の作品世界が鮮やかに表現されています。

「ずっと叶えたかった夢が貴方を縛っていないだろうか?」というサビのフレーズが心にぐさっと刺さって残り続ける楽曲「チノカテ」。この曲がオマージュを捧げているジッドの『地の糧』には、こんなにすごい作品だったのか――と心から驚かされました。

 特に僕が印象に残ったのは以下のフレーズです。「私の一生に満たし得なかったあらゆる欲望、あらゆる力が私の死後まで生き残って私を苦しめはしないかと思うと慄然とする。私の心中で待ち望んでいたものをことごとくこの世で表現した上で、満足して――或いは全く絶望しきって死にたいものだ」。まさに「チノカテ」のサビにも通じる箇所です。

 この本は一見難解ですが、わかろうとして読むものではなく、読者一人ひとりが自らの心に響く言葉を探しながら読むものではないでしょうか。「チノカテ」を聴くことがその一助になります。「理解することだけが読書じゃない」、僕はそう思います。

 ヨルシカの楽曲はたくさんの人に愛されているけれど、n-bunaさんは一貫して、多くの人に向けてではなく自分自身に向けて曲を作り続けているのではないかと想像します。だからこそ、僕を含めて曲を聴いた人間が「これは自分のことだ」と自己の深いところで受容することができるんです。

『地の糧』復刊という文学的事件

 今回のコラボレーションをきっかけに『地の糧』が約四十年ぶりに復刊されたことは、アーティストの影響で過去の名作が読めるようになった、というひとつの事件です。

 文学によって独特の感性を培ったヨルシカが作った音楽が、多くの人が文学に触れる契機を作る。文学と音楽の両方を愛しているヨルシカだからこそ、その架け橋になることができるのです。こうしたことは今後も起きるはず。音楽と文学というのは意外に相性がいいと僕は思います。

 僕がTikTokで小説を紹介し、それが嬉しいことに特に若い世代が本を手に取るきっかけになっているように、文学というのは決して閉じたジャンルではなく、音楽や映像、SNSといった他の領域にも開かれ、さらに拡がっていく可能性を秘めている、そう僕は確信しています。

新潮社 波
2023年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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