食事も妥協しない大谷翔平選手 高校時代は「1日丼めし10杯+3杯」、メジャーでは食事のために血液検査も 『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』試し読み

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 週刊文春、dancyuでエッセイの長期連載を抱え、幅広い読者層から支持を集める作家・平松洋子さんが5年の歳月をかけて、「アスリートと食」「筋肉と脂肪」「人の体はどのようにつくられていくのか」のテーマを探求した単行本『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』。

 今年1月末に刊行されると、読売新聞や日経新聞、雑誌Tarzan、ダ・ヴィンチ、J-WAVEほかで著者インタビューが、また朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、北海道新聞に書評が掲載されるなど高く評価されています。

 今回、「試し読み」として、本書のなかからWBCで侍ジャパンとして3度目の優勝に貢献し、ロサンゼルス・エンゼルスでも二刀流として活躍する大谷翔平選手に触れた一節を公開します。

九章 アスリートを支える食のプロフェッショナルたち 野球、サッカー、駅伝

 大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手の偉業がすさまじい。メジャー移籍後、怪我や手術を乗り越えたのちに迎えた四年目の二〇二一年には、アメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)に満票で選出され、オールMLBチームの指名打者にも選ばれた。二二年には、さらに「二刀流」を極め、MLB史上で初めて同じ年に投打両方で規定回数を達成する。投手として一六六投球回数(規定投球回数一六二)、打者としては六六六打席(規定打席五〇二)を大きく上回った。規定投球回数と規定打席数は、最優秀防御率投手や首位打者を選ぶにあたってクリアしていなければならない数字。つまり、大谷選手が名実ともに二刀流完成の快挙を成し遂げたことを示している。投手としては、昨シーズンより格段に制球力が上がり、八月にはこれまで球種になかったツーシームを投げ始め、いっそう投球内容に厚みが増したことも特筆すべきトピックだ。MVPに選ばれた二一年、あるインタビューで今後の見通しについて訊かれたとき、「今年が最低ライン」と答えるのを聞いたときは、次元の違う自負心と目標の高さだと畏怖したものだが、その言葉通り、次のシーズンでさらなる進化をみせるのだから、声を失ってしまう。そして二〇二三年のシーズンを無事に終えれば、メジャーリーグでの在籍期間が六年となってFA権を取得、他球団との契約が可能になる。その行方は、果たして。だれも見たことのない地平にひとり立つ二十八歳の大谷選手は、すでにMLBの球団の価値を左右するほどの存在だ。この二年間、大谷選手が出場する試合をすべて観てきたが、その投打やふるまいが生み出すのは、歴史的な記録を超える新たな「価値」である。
 身長百九十三センチ、体重百二キロ。グラウンドに立つだけで絶大なパワーが伝わってくる体躰と長い手足のバランスは、並み居るメジャーリーガーと較べてもまったく遜色がない。このたくましい身体は、パワーを身につけるための意識的な筋肉のトレーニングと食事の結果だといわれる。二〇年のオフシーズン、自分にとっての食材の適合性を知るための血液検査を受け、その結果を受けて、卵とグルテンを食事から抜き、好きだった手製のオムレツを封印した。これらの記事を読んだとき、すぐ思い出したのが大谷選手の出身校、岩手県の花巻東高校野球部の寮の食事である。
 高校野球の強豪校として知られる花巻東高校野球部の寮では、野球選手として成長期の身体をより大きく育てるため、朝晩合わせて一日丼十杯のご飯を食べる慣習がある。丼一杯のご飯を五〇〇キロカロリーと換算すれば、おかずを入れて一日約七〇〇〇キロカロリー(成人男子の平均摂取カロリーは約二〇〇〇キロカロリー「令和元年国民健康・栄養調査報告」)になるだろうから、あっけにとられる。この寮に三年間住んで野球に取り組んだ大谷翔平、あるいは菊池雄星(ブルージェイズ)のふたりは、花巻東の「一日丼めし十杯」で身体を大きくしたのだから、メジャーリーグでのめざましい活躍は偶然の一致では片付けられない。しかも当時、大谷選手は「プラス三杯」を自分の目標にしていたから、意欲も「食べる力」も並外れている。高校入学当時の写真を見ると、百九十センチ以上の背丈はあるのに、現在とは似ても似つかないくらい細く、ひょろりとしている。佐々木洋監督が「大谷も菊池も高校三年間で、食べて二十キロ増やした」とコメントするのを読んだとき、相撲部屋にも負けていないと舌を巻いた。身体を育てるだけの量を食べこなせるのも、アスリートとして成長するための能力の一部だ。
 食事によって身体を変え、みずからの実力を磨く――十代のとき身をもって積み重ねたリアルな体験が、メジャーリーガー大谷翔平の特別なパワーと存在感を育む土壌になっている。アメリカでの日常の食事は、朝と昼はクラブハウスのビュッフェ、夜は、専属栄養士のアドバイスを参考にしながら自炊が基本、調味料をあまり使わない素材中心のシンプルなものを食べていると、インタビューに応えて語っている。
 日本の野球界を最先端に立って牽引してきた人物が、こう明言する。

「食べることも仕事なのである」

『戦士の食卓』(岩波書店)のなかの一行だ。著者は落合博満。一九九八年に現役を引退するまで三冠王を三度獲得、野球解説者を経て、中日ドラゴンズ監督としてチームを四度のリーグ優勝に導き、二〇一一年には球団史上初、二年連続リーグ優勝。歴戦をくぐり抜けながら勝利をつかみ取ってきた落合博満は、食事は練習・睡眠と並ぶ重要なテーマだと、つねづね考えてきたという。また、同書のなかで、選手時代から自分の体力と精神を支えてきたのは信子夫人の料理だったと明かす。
 野球界と野球選手について、裏の裏まで知り尽くした立場からの鋭い分析。

「最近の選手は体格がよくなり、筋骨隆々のタイプは増えたものの、軽度のケガや故障が多く、太く長くプレーを続けられる選手は限られている。つまり、スポーツ科学、医学、栄養学は確実に発達し、それに伴って練習や食事の環境もよくなっているはずなのに、それが成果の向上には必ずしもつながっていないのだ。
 一番問題なのは、食べることも仕事だという認識はあるものの、食事や睡眠は日常生活において当たり前過ぎる行動であり、その重要性を本質的に理解していないことではないか」

 ずばり、核心を突いている。食事や睡眠は本能と結びついているもの、しかも日常生活と重なる領域だから、プライベートと仕事との境目は曖昧になりがちだ。そのうえ、健康やスポーツ栄養に関する研究や情報があふれ、しばしば惑わされる。落合の「研究は進んでいるはずなのに、かならずしも成績の向上につながっていないのはなぜか」という疑問は、まさに指導者の本音だろう。
 一九五三年、秋田生まれの落合博満にとって、つねに食は「生きるため」の手立てであり続けてきたけれど、時代の変化とともに日本の社会が豊かになり、食を「愉しむ」「選ぶ」選択肢が生まれた。そこにこそ、食事に向かう態度の違いが生まれる理由があるのではないか、と指摘する。そして、「若いプロ野球選手は食が細くなっている」のは、プロの世界で図太く生き抜くために食べるのではなく、愉しみを求める欲求が発動されているためだと思考を深める。「生きるために食べる」と「愉しむために食べる」、ふたつは大きく異なる。アスリートだけでなく、私たちもまた、「食べて生きる」という人間の本能を充たす行為から離れたところに立っているのだろう。
 さらに落合は、自身のスポーツ哲学をこう語る。

〈「心技体」ではなく「体技心」〉

 かねてから日本のスポーツ界では、とかく精神論がもてはやされてきた。根性、粘り、克己、我慢……強い精神こそが結果を生み出すと信じるあまり、身体の声を後回しにする風潮が、たしかにあった。しかし、「心」はむしろ最後ではないか、と提言する。最優先にするべきは「体」。だからこそ、身体をつくる食事が重要なのだ、と。

つづきは書籍でお楽しみください

平松洋子
1958年生まれ。東京女子大学文理学部卒業。食と暮らし、文芸をテーマに幅広い執筆活動を繰り広げている。2006年『買えない味』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、12年『野蛮な読書』で講談社エッセイ賞、21年『父のビスコ』で読売文学賞を受賞。『食べる私』『日本のすごい味 おいしさは進化する』『日本のすごい味 土地の記憶を食べる』『肉とすっぽん 日本ソウルミート紀行』など著書多数。

新潮社
2023年5月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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