<書評>『ここにあるはずだったんだけど』佐々木愛 著
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
◆幸せはどこ 秘めた思い代弁
くよくよしがちな人向け。
佐々木愛の本作は、幸せを望みつつも摑(つか)みきれない人を描く名手の最新短篇集だ。
「授乳室荒らしの夢」の語り手・モナミは、なりたい職業という題を与えられた中学の卒業文集に「もっと足音が小さい人になりたい」と書いて叱(しか)られたことがある。疎外感から逃れられずに生きる彼女はある日、自分のために誰かがとっておいてくれたようなへこみを見つけるのである。
『ここにあるはずだったんだけど』という作品は収録されていない。幸せのある場所を探しつつも見つけられずにいる主人公たちの心を代弁する言葉なのである。「EあるいはF」の語り手<私>は、ある日芸能ニュースに衝撃を受ける。唯一の心の支えである俳優が結婚することになった相手が元グラビアアイドル、それも「EあるいはF」だと噂(うわさ)される胸の持ち主であることが判明したのだ。ちなみに<私>の胸はAで現在転職活動中だ。
<私>にとってFは自分とその俳優に関する大事な思い出を象徴する文字なのである。結婚発表によってそれが失われたと感じる彼女が、グラビアアイドルを憎みかけて自己嫌悪に陥るという展開がいい。拘泥の感情を描かせると、佐々木は本当に上手(うま)い。
胸の大きさに代表される見かけが女性の価値を決める。「EあるいはF」の<私>は、そうした社会の押し付けに困惑しつつも無視することができない。それは違う、自分はこう生きる、と言い切れるほど強くないのである。「胸は育たない」の語り手は高校生で、自分以外の誰かが持つ美しさを、息を潜めて見守り続ける。「ブラ氏の告白」は収録作のうち最も凝った構成で、大事な相手にも言えない思いを持ち続ける人の不自由さが、一人語りで綴(つづ)られていく。声の小さい人の小説ばかりだ。
全作でモチーフとしての「胸」が描かれる。胸に秘めた思いを口にするのは難しい。だから抱え続けるのだ。いつかそこから温かいものが広がって自分の心を溶かしてくれるように祈りながら。その祈りが読者の胸にも沁(し)みる。
(双葉社・1760円)
1986年生まれ。作家。『プルースト効果の実験と結果』でデビュー。
◆もう1冊
『料理なんて愛なんて』佐々木愛著(文春文庫)