ぼくはこの友情にどうしたらお返しができるのだろう――亡き愛犬に捧げられたメモワール『デナリ』試し読み

試し読み

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いまは亡き愛犬デナリへの追悼動画は、1500万回視聴され世界中の涙を誘った――。
 映画化も決定、ともに生きた15年間、そしてデナリがもたらした奇跡の友情と救済を描いたメモワール『デナリ ともにガンと闘い、きみと生きた冒険の日々』(ベン・ムーン著、岩崎晋也 訳、辰巳出版)。ベンの孤独を癒し過酷ながん闘病を献身的に支えてくれた愛犬、デナリが今度はがんに罹患してしまう。ベンは自分を支えてくれた親友デナリの闘病に寄り添い続けるが……。ベンがデナリと過ごした最後の日々をお届けする。

 ***

 デナリは特別な存在だった。ぼくの欠点や弱さも、当たり前のように受け入れてくれた。ぼくが苦境に陥った人に手を差しのべることができたのもそのおかげだ。自分がつらいときにそばにいてくれる特別な犬を飼ったことがある幸運な人なら誰でも、ぼくの言葉をわかってくれるだろう。
 デナリは自分の目的を知っていたのだと思う。そしていつも好奇心のおもむくまま、無限の可能性に心を開いて生きていた。

デナリの闘い


 2009年5月、曇ったポートランドの朝。ぼくは提出期限が近づいた編集中の写真をわきに置いて、家の裏口に腰を下ろしてぐずぐずとマテ茶を飲んでいた。いったん仕事に入れば、画面の前から六時間は離れられない。そのまえに、デナリの背中を撫でて心を許せる相手と静かに過ごすひとときを楽しみたかった。デナリは9歳半になっていたが、まだ動きは俊敏で、運動能力の衰えもなかった。近所の森を通るトレイルの長いセクションをよく一緒に走った。ポートランドには面積が21平方キロメートルもある広大な公園、フォレストパークがある。そのなかを通る全長130キロメートル近いトレイルの一区画にあたる16キロがぼくたちの定番のコースだった。
 デナリの毛をかき分けていて、身体にしこりがあることに気づいた。背骨の10センチほど右側だ。嫌な予感がした。それまでは何もなかったところだ。すぐに獣医に連絡し、診てもらうことにした。
 わずか2ブロック先の動物病院まで、不安な思いで歩いていった。デナリはいつもと変わらず、そこに行けば必ずもらえるご褒美をあてにしてリードをぐいぐい引いていった。助手に気に入られているし、大好物のおやつを出してもらえる。食べ物やご褒美を使ってトレーニングはしなかったが、北国の犬らしく、デナリはいつも食欲に忠実だった。やろうと思えば、たくさんの芸を覚えられただろう。
 検査のためにしこりの組織を採取するとき、ほかにも3つ小さなしこりが見つかった。そのうちひとつは右前脚のつま先にあった。心配したとおり、4つともすべて悪性の腫瘍だった。
 デナリはガンにかかっている。
 頭がぼんやりして、あたりがかすんだ。ぼくのせいだろうか? なぜこんなことになったんだ? 混乱しながら、獣医が甲高い声で話すのを聞いていた。
「右前脚の腫瘍は心配ですね。切除するために、脚を切断しなくてはならなくなるかもしれません。犬は三本脚でも歩けますから」
 脚の切断? デナリはアスリートなんだぞ! そんなことありえない。ぼくは驚き、同時に罪の意識を覚えた。
 その日の午後は、デナリのお気に入りのトレイルを走り、ありったけの愛情とご褒美を与えた。デナリはぼくにぴったりと寄り添って、腕のなかでひと晩眠った。デナリ自身にどうするか選ばせることはできないが、ぼくに判断を委ねてくれるだろう。
 つぎの朝、獣医がデナリの治療の準備をしているとき、デナリの命を救うためならなんでもしてほしいとお願いした。「もし脚を切断しなくてすんだら、ぼくもデナリもずっと感謝します」デナリはいままでぼくを岩や柱のようにしっかりと支えてくれた。ぼくの幸せに欠かせない存在だ。もし三本脚になったら、生活は大きく変わるだろう。
 ガンがすでにデナリのリンパ節に……いやそれどころか、臓器に達していたらどうしよう。デナリが早死にしてしまったら、ぼくは生きていけるだろうか。ほんの数週間前まであんなに元気だったのに。
 もっと早く症状に気づかなかった自分を許せないかもしれない。自分のガンのときはずっと病気ではないと思いこんでいたために命を危険にさらすことになった。もしデナリが同じことになったら耐えられない。
 治療のあと、ぐるぐる巻きの包帯にショックを受けながら連れて帰った。背中の片側は30センチほど、反対は12センチほどの皮膚が取りのぞかれている。
「愛してるよ、ディー。どんなことがあっても、ぼくはきみのためにそばにいる。それに、ありがたいことに脚はまだちゃんと四本ある」
 車の荷台に作ったキャンプ用のベッドに優しくデナリを寝かせた。つらそうに、デナリはじっとこちらを見つめながら、ぼくの手をなめた。

 麻酔が切れてくると、デナリは立ちあがって吠え、それから痛みでうめくように鳴いた。目を大きく開いてあたりを見まわした。なじみのない強い痛みに混乱しているようだ。毛が剃られ、ハサミを入れられた箇所がまだら模様になっていて、森林が伐採されたオレゴン州の航空写真のようだ。背骨のわきに残った皮膚が、縫い目のほうへ引っぱられ、ホチキスで留められている。
 デナリは足を引きずり、ドアのほうへ歩いていった。ところが、傷をなめるのを防ぐために首に巻いたエリザベスカラーがドアの枠にひっかかり、尻餅をついてしまった。デナリの顔には、救いのない絶望が浮かんでいる。ぼくは駆け寄って抱きしめ、顔を埋めて泣いた。「きっとよくなる。ぜったいにおまえのそばを離れないよ」

 その晩はリビングルームの布団でデナリと顔を寄せあって眠った。痛み止めを飲んでいたけれど、デナリは数分ごとに鳴き声をあげた。ぼくはそのたびに胸が引き裂かれるようで、少しでも楽になるようにした。長く暗い数時間ののち、ようやく朝が来ると、苦しめるようなことは絶対にしないと約束した。
「そのときが来たら、ぼくに教えてくれ。きっと教えてくれよ」
 デナリは化学療法でぼくが最悪の状態のとき、いつも寄り添ってくれた。ほとんどベッドから出られなかったときも変わらずそばにいてくれた。その友情に、どうしたらお返しができるだろう? 横になったまま、さまざまな楽しかったときを思いだし、いまの状況を笑い飛ばそうとした。「おまえはきっともとどおりになるさ、ディー。きっとだよ」

辰巳出版
2023年11月1日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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