この部屋で語られる怪談は、ひとの心を解きほぐす――宮部みゆき『よって件のごとし 三島屋変調百物語八之続』試し読み

試し読み

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

江戸は神田の袋物屋・三島屋は風変わりな百物語で知られている。語り手一人に聞き手も一人。話はけっして外には漏らさない。聞き手を務める小旦那の富次郎は、従妹であるおちかのお産に備え、百物語をしばらく休むことに決めた。休止前最後に語り手となったのは、不可思議な様子の夫婦。語られたのは、かつて村を食い尽くした〈ひとでなし〉という化け物の話だった。どこから読んでも面白い! 大人気の宮部みゆき流・江戸怪談「三島屋変調百物語」シリーズ第8弾。

文庫化され話題の本書より、冒頭部分を特別公開いたします。

 ***

 江戸は神田三島町(かんだみしまちょう)にある袋物屋の三島屋(みしまや)は、黒白(こくびゃく)の間という客間に人を招き、いっぷう変わった百物語をしている。
 語り手が一人に、聞き手も一人。語られる話は一つだけ。いちいち蝋燭(ろうそく)を灯(とも)すことも消すこともない。
「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」
 その場の話はその場限りで、語り手は語って重荷を下ろす。聞き手は、受け取ったその重荷を黒白の間の限りで忘れ去る。
 主人・伊兵衛(いへえ)が酔狂で始めたこの変わり百物語は、最初の聞き手を務めた姪(めい)のおちかが嫁いだあと、次男坊の富次郎(とみじろう)が引き継ぐことになった。絵心のある富次郎は、語り手の話を聞き終えると、それをもとに墨絵を描き、〈あやかし草紙〉と名付けた桐の箱に封じ込めるという独特の工夫をして、時には聞き捨てるべき話の重みに負けそうになるところを、どうにかこうにか踏ん張っている。
 おちかは暗い影を引きずる孤独な娘だった。ほんの少し浮ついた娘心が災いして許婚者を失い、身近な男を人殺しに堕(おと)してしまったと、我が身を責めていた。しかし変わり百物語の聞き手を務め、この世の数奇で不思議な出来事を耳に入れてゆくうちに、傷ついた心を縫い合わせ、その痕(あと)を抱えながらも立ち上がる強さを持っていた。
 さて、富次郎はどうだろう。まだ慌てて将来(さき)のことを決めなくてもよい気楽な立場。本人はそれなりに、他店(よそ)の釡(かま)の飯ならさんざん食ってきた、てんで世間を知らぬわけじゃありませんよと己を恃(たの)んでいるけれど、その心におちかほどの強い芯(しん)はあるのか。
 優しく、気さくで頼りない。そんな富次郎の背中を支えるのは二人の女中、怪談語りが呼び込む怪異から三島屋を守る禍祓(まがはら)いのお勝(かつ)と、三島屋のこれまでを全て知っている古参のおしまだ。
 人は語りたがる、光も闇も。三島屋の変わり百物語に、今日も新たな語り手が訪れる。

宮部 みゆき(みやべ みゆき)
1960年東京生まれ。87年「我らが隣人の犯罪」でオール読物新人賞を受賞。『龍は眠る』(日本推理作家協会賞)、『本所深川ふしぎ草子』(吉川英治文学新人賞)、『火車』(山本周五郎賞)、『理由』(直木賞)ほか著書、受賞歴多数。

KADOKAWA カドブン
2024年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

株式会社KADOKAWA「カドブン」のご案内

【カドブン】“新しい物語”に出会える場所がここにある。オリジナル連載・作家インタビュー・話題作のレビューや試し読みを毎日更新!話題作&ベストセラーの魅力を徹底紹介していきます。