心臓を鷲掴みにされ、魂ごと持っていかれる究極のクライムノベル! 佐藤 究『テスカトリポカ』試し読み
試し読み
クリアカンに暮らすルシアは、幼いころ、首都メキシコシティの私立高校へ入学する夢を描いていたが、小さな食料雑貨店を細々と経営する両親に、生活費と二千ペソの月謝を払わせることなどできなかった。ルシアは知っていた。おそらく自分は地元の高校にも入れない、と。両親は麻薬ビジネスとは無縁でいつでも貧しく、借金もあった。相談もせずに高校進学をあきらめたルシアは、食料雑貨店を手伝いはじめた。
雨季の七月の午後、彼女が店番をしているときに、二人の男が入ってきた。一人はビデオカメラを回していた。町の人間ではなかった。テキサスからやってきた観光客かと思ったが、今のクリアカンは観光にはふさわしくない。
二人は観光客ではなかったが、アメリカ人だった。ビデオカメラを持ったアメリカ人が「僕はジャーナリストなんだ(ソイ・ペリオディスタ)」と笑顔でルシアに言った。もう一人はだまったまま、袋入りアーモンドと日焼け止めのクリーム、それにアルファベットのXが二つ並んだラベルの瓶ビール〈ドス・エキス・アンバー〉を二本レジに持ってきて、最後まで何も言わずに代金を払った。
ジャーナリストと聞いてルシアは不安を感じた。この町で取材の対象になるのは彼らだけだ。
彼女の不安は的中し、翌日二人はどこかで連絡を取りつけた三人の麻薬密売人(ナルコ)を引き連れて、きのうと同じようにルシアの店でドス・エキス・アンバーを買い、野球帽をかぶってバンダナで顔を隠した男たちに冷えた瓶を手渡した。男たちはその場でビールを飲みはじめ、よりによって食料雑貨店のなかでインタビューがはじまった。
ルシアはアメリカ人の無神経さを呪いつつ、どうか何ごとも起きませんように、と神に祈った。聞きたくもなかったが、男たちの低い声は店のなかによく響いた。ほかに客はいない。彼らがいては誰も寄りつかない。
ベルトに拳銃(けんじゅう)を挟んだ三人は、ビデオカメラを向けられるのを楽しんでいる様子だった。
「この世でいちばん強いのは、自分たちだと思ってる?」アメリカ人が訊(き)く。
「それは信仰の話か」と麻薬密売人(ナルコ)の一人が訊き返す。
「いや、現実の話だよ」
「だったら、おまえらアメリカ人(グリンゴ)の軍隊は強いだろうな。海兵隊」
「へえ、そう思うの?」
「おれたちはこの国の海軍省(SEMAR)と撃ち合ったことがある。特殊部隊の奴らだ」もう一人の麻薬密売人(ナルコ)が答える。「おまえらの海兵隊はあいつらより強いらしいから、それなら強いだろうな」
仲間の話をだまって聞いていた一人が笑いだす。「ただし連中が最強(ロス・マス・フエルテス)なら、おれたちは死の笛(シルバト・デ・ラ・ムエルテ)だ」
「どういうこと?」とアメリカ人が尋ねる。
「おれたちが笛を吹けば、すぐに死がやってくるってことさ」
男たちは空の瓶をレジに残して出ていき、撮影係があとを追いかけた。
死の笛(シルバト・デ・ラ・ムエルテ)。その言葉の響きが、ルシアの耳にこびりついて離れなかった。
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