心臓を鷲掴みにされ、魂ごと持っていかれる究極のクライムノベル! 佐藤 究『テスカトリポカ』試し読み

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 二人のアメリカ人は週末まで取材をつづけ、ルシアが彼らの強運と神のご加護を信じはじめた直後、日曜日の朝に、町の外れの空き地でどちらも死体となって発見された。
 二人が麻薬密売人(ナルコ)に笛を吹かれた理由は謎だった。ジャーナリストを演じる麻薬取締局(DEA)の捜査員と思われたのかもしれない。どれほど注意深く行動しても、ほんのささいなことで命を奪われる。二人は額に銃弾を撃ちこまれ、破裂した頭蓋骨(ずがいこつ)を飛びだした脳漿(のうしょう)が野球帽の内側にペースト状になってこびりついていた。ビデオカメラやレコーダーは消え、財布や身分証もなくなっていた。撮影係のカーゴパンツのポケットに、ルシアの店で買った日焼け止めクリームのチューブだけが残っていた。
 二人の死を小さく報じる新聞記事を見て、ルシアはため息をつき、目を閉じた。
 これが、私の住んでいる町。

 ルシアには二歳上の兄がいた。名前はフリオ、やせて骨ばった体つきで、背が高く、肩幅が広かった。地元の仲間に〈肩(エル・オンブロ)〉というあだ名で呼ばれていた。
 フリオもまた、たくさんの人々と同じように、アメリカに渡って働き、貧しい両親に送金して生活を支えるのが望みだった。
 長く働くためには、どうしても不法に国境を越える必要がある。
 だが一人では不可能で、密入国ブローカーの力を借りなくてはならない。
 不法にアメリカに入るルートは〈コヨーテ〉が仕切っていた。彼らは麻薬密売人(ナルコ)につながる密入国ブローカーで、ようするに事実上カルテルの一部だった。
 フリオはコヨーテではない密入国ブローカーを懸命に探した。そんなことはエメラルド(エスメラルダ)を掘り当てるより困難だぞ、と友人に笑われてもあきらめなかった。
 一度でもコヨーテの力を借りてしまえば、麻薬密売人(ナルコ)と縁ができる。その縁は生涯つづく。コカインの運び屋や最末端の売人をやらされ、際限なく神経を張りつめる人生が待っている。
 ついにフリオは「おれはコヨーテじゃない」と話す男を見つけた。元国連職員だったというその男に運命を託して、フリオは苦労して貯めた二万ペソを払った。それはあまりに無謀な賭(か)けだった。
 二日後、見知らぬ男がフリオの前に現れ、「国境を越えたいのなら追加で二万ペソを払え」と告げた。「払えないならアメリカにコカインを運ぶしかない」
 つまりフリオが見つけた相手も、当たり前のように麻薬密売人(ナルコ)とつながっていた。それだけの話だった。
 フリオは男の要求を断った。運び屋をやれば死ぬまで抜けられない。二万ペソを返してほしかったが、あきらめるよりほかなかった。だまされて金を巻き上げられた──普通であればこれで話は終わるはずだった。しかし、クリアカンでは終わらない。ものごとの結末は、麻薬密売人(ナルコ)の考えしだいで決められる。

佐藤 究(さとう きわむ)
1977年福岡県生まれ。2004年に佐藤憲胤名義で書いた『サージウスの死神』が第47回群像新人文学賞優秀作となりデビュー。’16年『QJKJQ』で第62回江戸川乱歩賞を受賞。’18年、受賞第一作の『Ank:a mirroring ape』で第20回大藪春彦賞および第39回吉川英治文学新人賞のダブル受賞を果たす。’21年、『テスカトリポカ』で第34回山本周五郎賞、第165回直木三十五賞受賞。

KADOKAWA カドブン
2024年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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