あなたの時間を少しだけ、小説とともに。孤独がさみしくなくなる100分間――森 絵都『100分間で楽しむ名作小説 宇宙のみなしご』試し読み

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中学二年生の陽子と一つ歳下の弟リン。両親が仕事で忙しく不在がちなため、二人はいつも自己流の遊びを生み出してきた。最近気に入っているのは、真夜中に近所の家の屋根にのぼること。リンと同じ陸上部の七瀬さんも加わり、ある夜3人で屋根の上にいたところ、クラスのいじめられっ子、キオスクにその様子を見られてしまう――。

2024年3月より始動した角川文庫内のシリーズ「100分間で楽しむ名作小説」。第一期10作品の中から、『宇宙のみなしご』の冒頭部分を特別公開いたします。

 ***

 ときどき、わたしの中で千人の小人たちがいっせいに足ぶみをはじめる。その足音が心臓に響くと、体中の血がぶくぶくと泡を吐くみたいに、熱いものがこみあげてきて抑えきれなくて、わたしはいつもちょっとだけ震える。
 なにかしたくてたまらない。じっとしていられない。
 海があったらすぐにでも泳ぎだすだろう。
 山があったら登るだろう。
 ただまっすぐな道だけでもいい。わたしは走りだす。
 なんでもよかった。

 こういう衝動的でせっかちな性分は、わたしが未熟児で生まれたせいかもしれない、と両親は言う。
 今となってはだれも信じてくれないし、自分でも身に覚えがないからぴんとこないけど、十四年前にママのお腹から這いだしてきたとき、わたしはたしかに二千グラム未満の未熟児だった。小さすぎるしわくちゃの手足が涙を誘ったらしい。
 しかし、物心のついたときには、わたしはすでに近所の悪ガキからも一目置かれるやんちゃ娘に化けていた。我ながらあっぱれな成長ぶりだった。
「生まれたときの遅れを力ずくで奪いかえそうとするみたいに、あせってあせって、だれよりも早く立とう、しゃべろうって、そんなふうだったのよねぇ」
 と、ママがよく話してくれる。
 弟のリンはわたしからちょうど一年後に生まれた。姉とは正反対の四千グラム級ベイビー。成長につれてますます丸くなり、人生最初の試練がダイエットとなった。
 今では人並みの体型になったものの、体が重たかったころの後遺症か、いまだにリンは動きがスローだ。
 両極端の生まれかたをして、性格もかけはなれているけれど、わたしとリンは昔から仲のいい姉弟だった。
 うちの両親は自営業で、都心に小さな印刷所を持っている。やたらと忙しい人たちで、わたしたちが小さいころからほとんど家にいなかった。
 おのずと、姉弟ふたりきりですごす時間が長くなる。
 けんかは滅多にしなかった。リンは喜怒哀楽の「怒」をどこかに落としてきたような子だったから。それでも昔はわたしからよくちょっかいを出したものだけど、怒鳴りちらしても泣きわめいても、止めに入ってくれる人がいないとどこかむなしい。平和共存というか、仲良くするしかなさそうだ、と次第に学んでいった。
 小学生になると、わたしたちはまた少し賢くなって、自分たちはどうも退屈に弱いらしい、ということを学んだ。退屈するとわたしは短気になり、リンは元気をなくす。
 そこで、わたしたちは頭を使うことも学びはじめた。退屈しないため、暇な時間をなんとかするために、つぎからつぎへと自己流の遊びを生みだしていったのだ。
 そういうことに関してはふたりとも努力家で、手間暇をおしまなかった。
 たとえば、ふいにわたしが「海で遊びたい」と思いついたとする。ただの気まぐれとはいえ、思いついたからにはあとに引けない。でも、わたしたちはまだ子供で、海までの道なんてわからないし、第一、お金がない。
 そんなとき、わたしたちは海にかわる「なにか」を必死で編みだした。
 その「なにか」は、「空き地で相撲」であったり、「人んちの池で勝手に魚釣り」であったり、「目つきの怪しい野良犬の尾行」であったり、それはもう、なんでもありだった。家庭になんの不満もないのに、スリルとサスペンスを求めて家出をしたこともある。
 退屈に負けないこと。
 自分たちの力でおもしろいことを考えつづけること。
 テレビやゲームじゃどうにもならない、むずむずした気持ち。絶対に我慢しないこと。
 それがすべてだった。

森 絵都(もり えと)
1968年、東京都生まれ。1990年『リズム』で講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー。2006年『風に舞いあがるビニールシート』で第135回直木賞、2017年『みかづき』で第12回中央公論文芸賞を受賞。『カラフル』『いつかパラソルの下で』『DIVE!!』など著書多数。

KADOKAWA カドブン
2024年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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