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- とわの庭
- 価格:693円(税込)
盲目の女の子とわは、大好きな母と二人暮らし。母が言葉を、庭の植物が四季を、鳥の合唱団が朝の訪れを教えてくれた。でもある日、母がいなくなり……それから何年経っただろう。壮絶な孤独の闇を抜け、とわは自分の人生を歩き出す。おいしいご飯、沢山の本、大切な友人、一夏の恋、そしてあの家の庭。盲導犬ジョイと切り拓いた世界は眩い光と愛に満ちていた。
『ツバキ文具店』『ライオンのおやつ』の小川糸が描いた、涙と生きる力が溢れ出す感動長編『とわの庭』(新潮文庫)より、一部を抜粋して公開します。
***
いちにち。ふつか。みっか。よっか。
わたしは、ただひたすら、母さんが玄関のドアを開けて帰ってくる瞬間を待った。けれど、どんなに黒歌鳥合唱団が見事なコーラスを披露しても、母さんがこの家に戻ってくることはなかった。
もしかしたら、事故にあったのかもしれない。車にはねられて、救急車で病院に運ばれたのかもしれない。
もしくは、母さんが誘拐された?
一瞬でもそんなことを想像すると、わたしは居ても立っても居られなくなる。早く母さんを助けなくては、早く母さんの元へかけつけなければ、そう焦(あせ)る気持ちばかりが先走った。
だけど、わたしはやっぱりこの場所から動けない。まるで、足の裏に強力な接着剤がついているみたいに、ここから出ることができない。それが母さんとの約束だし、第一わたしは、四方八方から恐ろしい音のする外の世界へ、たったひとりで飛び込むなんて不可能だ。だからわたしは、ここで母さんの帰りを待つしかない。わたしにできるのは、ひたすら待つことだけ。
コン、コン、コン。
水曜日のオットさんが、勝手口のドアを叩(たた)く。
オットさんなら、母さんに関して何か知っているかもしれない。事情を話したら、わたしを母さんのところまで連れて行ってくれるかもしれない。
けれど、やっぱり声を上げることはできない。わたしはただただその場に固まって、オットさんの気配が消えるのを、息を潜めて静かに待つ。
それから少しして、電話が鳴った。わたしは、電話に手をのばす。生まれて初めて、電話に触れた。でも、その後どうしていいのかわからない。電話に触れたままじっとしていると、留守番電話のメッセージもオットさんの声も終わり、やがて電話は静かになった。
夜になり、勝手口をほんの少しだけ開けてそこから腕を出し、置かれているダンボールと袋を中に取り込む。母さんがいない以上、わたしがそれをやるしかない。
だって、わたしは空腹なのだ。
空腹だけをぱんぱんに詰めた風船が、おなかの中で今にも破裂しそうに膨らんでいる。
勝手口の鍵(かぎ)をしめてから、ダンボールの中身をあさり、そこにあるものを物色する。箱や、袋入りの何かや、カップ麺(めん)の中から、今すぐに食べられそうな物を選び出す。
この触り心地はパンに違いない。
袋を開け、夢中でかじりつく。案の定、菓子パンだった。中心に甘いジャムが入っている。
おいしい。
おいしすぎて、涙が出そうになる。
わたしは我を忘れて菓子パンにかじりつく。刺激された胃袋が、更なる食料を要求する。わたしの胃袋はブラックホールと化し、ありとあらゆる食料を、次から次へ飲み込んでいく。わたしは決して満腹にならないどころか、ますます空腹で狂いそうになる。
ジャムパンの次におにぎりを、おにぎりの次にチョコレートを食べながら、ひとつ、思い出したことがあった。
小川糸
1973(昭和48)年生まれ。2008(平成20)年、『食堂かたつむり』でデビュー。多くの作品が英語、韓国語、中国語、フランス語、スペイン語、イタリア語などに翻訳され、様々な国で出版されている。『食堂かたつむり』は、2010年に映画化され、2011年に伊バンカレッラ賞、2013年に仏ウジェニー・ブラジエ小説賞を受賞。2012年には『つるかめ助産院』が、2017年には『ツバキ文具店』が、2021(令和3)年には『ライオンのおやつ』がNHKでテレビドラマ化。『ツバキ文具店』『キラキラ共和国』『ライオンのおやつ』は「本屋大賞」にノミネートされた。他の著書に『あつあつを召し上がれ』『サーカスの夜に』『とわの庭』『ミ・ト・ン』(画・平澤まりこ)『椿ノ恋文』など。
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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。
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