【『地面師たち』原作をたっぷり試し読み】不動産詐欺集団が狙うのは、時価100億円の物件……。Netflixでドラマ化、新時代のクライムノベル! 新庄耕『地面師たち』

試し読み

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ある事件で妻子を亡くした拓海は、大物地面師・ハリソン山中のもとで不動産詐欺を行っていた。次に狙うのは市場価値100億円という前代未聞の物件。一方、定年間近の刑事・辰は、彼らを追ううちにハリソンが拓海の過去に関わっていたことを知る。一か八かの詐欺取引、難航する捜査。双方の思惑が交錯した時、衝撃的な結末が明らかに――。

2024年7月25日からNetflixでドラマ化、世界独占配信! 圧倒的なリアリティーで描く、新時代のクライムノベル『地面師たち』(新庄耕・著)より冒頭部分を公開!

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「干支は?」
 隣の後藤がとうとつに言った。
「え」
 緊張した面持ちのササキが間のぬけた声を出している。拓海は、アイスティーのグラスをテーブルにもどした。
「え、ちゃうで。しっかりしいや。これから本番なんやで、頼むわ。ジイさん、ぎょうさん練習したんやから、ちゃんと頭に入ってんねやろ」
 後藤は苛立たしげな声をもらし、ベルトを隠すほどの脂肪でおおわれた腹をゆするようにして座り直した。
 駅からほど近い喫茶店には、拓海と同年代だろうか、出勤前と思しき三十代後半の女性がノートパソコンをひろげていたり、よれたスーツを着た中年男性が放心したように虚空を見つめて紫煙をくゆらせたりしている。各席はゆとりをもって配され、適度なざわめきもあるためか、窓に面したこちらのテーブルに関心をはらうものはいない。
 拓海はアイスティーにささったストローを口にくわえ、後藤の表情をうかがった。かろうじて残された頭髪をポマードで後ろになでつけ、仕立てのいいスーツを身にまとっている。一見して店内のどのビジネスマンより紳士然としていても、ササキをにらみつけるその目は険しい。
「ササキさん」
 拓海は、かたい空気を振り払うようにつとめて明るく呼びかけた。
「先方と会ったら、いつどんなタイミングで質問が飛んでくるかわかりません。いつでも答えられるように心の準備をしておいてください。気を張る必要はないです。リラックスして、ごくごく自然に、なるべくわざとらしくならないように」
 そう落ち着いた声で語りかけると、ササキはすがるような目をして小さくうなずいた。
「もっぺん最初から暗唱させた方がええわ。不安やわ、こんなん」
 横から後藤がじれったそうに声を出す。
 拓海と後藤はこの日はじめてササキと対面した。その「出来」については、本番に耐えうるというハリソン山中の所感しか知らされていない。
「ジイさん、あんたの名前は?」
「し、島崎健一」
 身をせり出した後藤に気圧されつつも、ササキがおずおずと答えている。拓海は、氷の溶けたアイスティーを口にふくみながら、二人のやりとりに耳をかたむけた。

新庄耕(しんじょう・こう)
1983年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。2012年、第36回すばる文学賞を受賞した『狭小邸宅』にてデビュー。著書に『カトク 過重労働撲滅特別対策班』『サーラレーオ』『ニューカルマ』『夏が破れる』などがある。

集英社
2024年7月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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