「絶対に破られない石垣」VS「どんな城をも落とす鉄砲」!?  関ヶ原前夜の大津城が舞台の今一番アツい戦国小説! 直木賞受賞作、今村翔吾『塞王の楯』試し読み

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「絶対に破られない石垣」を造ろうとする職人の匡介。そこに立ちはだかるのは、「どんな城をも落とす鉄砲」――。関ヶ原前夜の大津城を舞台に、職人同士の宿命の対決が幕を開ける!

第166回直木賞受賞作、究極のエンタメ戦国小説『塞王の楯 上』(今村翔吾・著)より、冒頭部分を公開します。

 ***

 男の嘆き、女の悲鳴が町中を覆っている。まるで町そのものが慟哭しているようであった。
 皆が我先にと入り乱れて逃げ惑う。親とはぐれて泣きわめく幼子に見向きもしないなどまだましというもの。老婆を突き飛ばしてその背を踏み越える者、娘を蹴り飛ばして道を開こうとする者。このような時、人は人であることをやめるらしい。
「諦めては駄目!」
 母は骨が砕けんばかりに強く握って手を引く。こうでもしていないと、とっくに恐慌する人々の群れに呑み込まれて離れ離れになっていたに違いない。一乗谷にはこれほどの人が暮らしていたのかと驚く。もう秋だというのに人が擦れた熱で、躰は激しく火照り、息も出来ぬほどに苦しい。
「どこに──」
 言いかけた時、追い越した男の肘が頬に当たり、声が途切れた。
「お城に」
 母はそれに気付かずに、館の背後に聳(そび)える山城を見上げた。
 一乗谷城と呼ばれるこの城が、陥落したことはこれまでない。こう聞けばさしも名城と思いがちだが実際はどうだか判らない。この城が戦で使われたことは、ただの一度もないだけなのだ。
 越前での朝倉家の威勢は強く、一揆程度なら一乗谷に迫るまでに鎮圧されてきた。この地は朝倉家によって、百年の安寧が保たれてきたのである。
 そんな一乗谷が騒然となったのは今日の夕刻のこと。朝倉家の当主、義景(よしかげ)は二万の大軍を率いて盟友である浅井(あざい)家の救援に向かっていた。それが這う這うの体で戻って来たのだ。兵はどの者も酷く窶れ、目の下に墨を塗ったような隈を浮かべ、眼窩は窪んで奥に怯えの色が窺えた。躰に矢が刺さったままの者、兜を失って髪を振り乱した者。まるで白昼に幽鬼が現れたかと見間違うほどである。
 そして放たれた一言によって、一乗谷は戦慄した。
 ──間もなく織田軍が踏み込んで来る。
 浅井家への救援が失敗し、朝倉軍は逆に追撃を受けた。越前の最南端である疋田(ひきた)城で踏み止まろうとしたが、そちらも猛攻を受けて陥落したとの報が入る。義景は行き先を変えて本拠一乗谷への撤退を決めた。
 その間も織田軍の追撃は苛烈を極め、重臣忠臣の多くが刀根坂(とねざか)で討ち取られ、ここまで戻った兵の数は五百にも満たないというのだ。

今村翔吾
1984年京都府生まれ。2017年『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』でデビューし、18年同作で第7回歴史時代作家クラブ賞・文庫書き下ろし新人賞を受賞。同年「童神」で第10回角川春樹小説賞を受賞(刊行時『童の神』と改題)。20年『八本目の槍』で第41回吉川英治文学新人賞、『じんかん』で第11回山田風太郎賞、21年「羽州ぼろ鳶組」シリーズで第6回吉川英治文庫賞、22年『塞王の楯』で第166回直木三十五賞を受賞。その他の著書に「くらまし屋稼業」シリーズ、「イクサガミ」シリーズ、『幸村を討て』、『茜唄』、『戦国武将を推理する』、『海を破る者』など。

集英社
2024年7月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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