ネットで見つけた夫と性行為なしの生活を送る34歳の女性が、かつて恋人だったいとこに再会…あなたの常識をひっくり返す、村田沙耶香『地球星人』試し読み

試し読み

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恋愛や生殖を強制する世間になじめず、ネットで見つけた夫と性行為なしの婚姻生活を送る34歳の奈月。夫とともに田舎の親戚の家を訪れた彼女は、いとこの由宇に再会する。小学生の頃、自らを魔法少女と宇宙人だと信じていた二人は秘密の恋人同士だった。だが大人になった由宇は「地球星人」の常識に洗脳されかけていて……。

芥川賞受賞作の大ベストセラー『コンビニ人間』を超える驚愕をもたらす衝撃的傑作、『地球星人』(新潮文庫)より、冒頭の一部を公開します。

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1

 おじいちゃんとおばあちゃんが住む、秋級の大きな山の中では、真昼でも夜の欠片が消えない。

 坂道を急カーブしながら、私は窓の向こうで揺れている木々の、枝の先まで破裂しそうに膨らんだ葉っぱの内側を見つめていた。そこには真っ黒な闇が佇んでいる。宇宙と同じ色をしたその黒色に、私はいつも手を伸ばしたくなる。

 隣では、母が姉の背中を摩っている。

「大丈夫、貴世(きせ)? お姉ちゃんは山道に弱いからねえ。長野の山道は、特に険しいから」

 父は無言でハンドルを握っている。なるべく揺れないようにゆっくりとカーブしながら、バックミラー越しに姉の様子をうかがっているみたいだ。

 私は小学五年生になったから、自分の世話は自分でできる。車に酔わないようにするには、窓の外にある宇宙の欠片を見つめるのがいちばんいい。二年生のころにそれに気が付いてからは、この長野の険しい山道で車に酔うことはなくなった。二つ年上の姉は、私と違ってまだまだ子供で、母の摩ってくれる手がないとこの山道を乗り越えることができない。

 急カーブを繰り返しながら坂道をあがり、耳がきんとして、自分がどんどん空に近付いているのを感じる。おばあちゃんの家は、宇宙に近い。

 胸に抱きしめたリュックの中には、折り紙で作った魔法のステッキと変身コンパクトが入っている。一番上には、私にこれらの魔法道具を与えてくれた相棒のピュートが座っている。ピュートは悪の組織の魔法にかかって人間の言葉を喋ることができないけれど、私が車酔いをしないように、そっと見守ってくれている。

 家族には話していないが、私は魔法少女だ。小学校に入った年に駅前のスーパーでピュートと出会った。ピュートがぬいぐるみ売り場の端っこで捨てられそうになっていたのを、私がお年玉で買ってあげた。家に連れて帰ると、ピュートは私に魔法少女になってほしいと告げ、変身道具を渡してくれた。ポハピピンポボピア星の魔法警察であるピュートは、地球に危機が訪れていることを察知し、任務をうけて地球にやってきたのだ。それ以来、私は魔法少女として地球を守っている。

 この秘密を唯一知っているのは、いとこの由宇(ゆう)だ。早く由宇に会いたい。去年のお盆以来、私は由宇の声を聞いていない。私たちは毎年お盆にしか会うことができない。

 私は一番お気に入りの、星の柄がついた藍色のTシャツを着ていた。今日のために、お年玉で買ったとっておきだ。値札をつけたまま大切にクローゼットに入れていたTシャツを、今日のためにおろしたのだ。

「揺れるぞ」

 父が小さな声で言った。この先は一番大きいカーブだ。車が急カーブした衝撃が車内に伝わってくる。

「うっ」

 姉が口を抑えて顔を伏せる。

「窓を開けて風を通しましょう」

 母の言葉に父が瞬時に反応し、目の前の窓が開いた。生ぬるい風がとろりと頬を撫で、葉っぱの匂いが車の中に流れ込んでくる。

「大丈夫? 大丈夫?」

 母の泣きそうな声が車内に響いている。父は無言でクーラーの電源を切った。

「次のカーブで最後だ」

 父の言葉に、私は、思わずTシャツの胸元を掴んだ。去年にはなかった膨らみが、ブラジャー越しに微かに感じられる。

 四年生の時と私は違っているだろうか。同い年の由宇は私を見てどう思うだろうか。

 もうすぐ、おばあちゃんの家に着く。そこには、私の恋人が待っている。私は自分の皮膚がじりじりと熱くなるのを感じながら、風へ向かって身を乗り出した。

村田沙耶香
1979(昭和54)年千葉県生れ。玉川大学文学部芸術文化学科卒。2003(平成15)年「授乳」で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)受賞。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、2016年「コンビニ人間」で芥川賞受賞。著書に『マウス』『星が吸う水』『ハコブネ』『タダイマトビラ』『殺人出産』『消滅世界』『生命式』『変半身』『丸の内魔法少女ミラクリーナ』などがある。

新潮社
2024年7月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

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