『方丈記』の教え
ここに挙がった書名や作家名は、養老さんのファンならば見覚えのあるものも多いだろう。著書の中ではこれらの作品を引き合いに出して論を展開することが珍しくない。たとえばフランクルの『夜と霧』は複数の著作で取り上げている。
なぜかこのリストには入っていないが、『バカの壁』など複数の著書で触れている古典が『方丈記』(鴨長明)である。新著『人生の壁』でもかなりのページ数を割いてこの本を引用している。同書にはこうある。
「最近また『方丈記』を読み直しています。冒頭の『行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず』という文章は、情報の本質を表現したものとして、これまでたびたび引用してきました。一方でかなりを占める飢饉や地震についての描写は、現代人が災害について考えるうえでもとても大切なことが書かれています。このようにさまざまな読み方ができるのが、古典の良いところでしょう」
養老さんが「つい最近の描写と言ってもそのまま通用します」と評しているのが、たとえば次の文章だ。
「またたいへん気の毒なことがあった。こんな際にも別れられない夫や妻のある人々は情合いの深いほうがきっと先になって死んだ。理由(わけ)はというと自分の身は二のつぎにして、第一に相手をたいせつに思うから、珍しく手に入れた食物を相手に譲るがゆえであった。それゆえ親子のある人たちは、申すまでもなくかならず親のほうが先立っていた」
「また元暦二年のころ、大地震の揺すったことがあった、その状況は異常なもので、山は崩れ、河は埋もれ、海は傾斜して陸地に覆いかぶさった。土は口をあけて水を吹き出し、巨岩は分裂して谷に転び入り、波打ち際を漕ぎ行く舟は波に翻弄され、道路に歩行する馬は足の踏み場に当惑した」
そして当時起きた飢饉の描写を引きながら、養老さんはこう警鐘を鳴らしている。
「都市の人たちが困窮して社会が混乱した様が見事に描かれています。八百年後の今でも大きな災害が起きれば同じようなことになるでしょう。
地震が起きなくても、世界的な食糧不足が起きれば、自給率が低い日本は大変なことになります。お金の価値が下がり、穀物の価値が上がる。多量の私財を投じて、僅少な穀類を得るにしか過ぎないことになる。平安時代と同じです」
ここから日本の防災対策や自給体制などに話は展開していき、現在の政治状況に対して次のように述べている。
「右も左も理念の話をあれこれ言い合う元気があるのならば、もっと国の存亡にかかわる問題に目を向けたほうがいい。ナショナリズム的な議論をごちゃごちゃ言っているヒマがあるのならば、エネルギーや食糧を確保する方法を真面目に考えたほうがいいのです。それこそが愛国的な姿勢と言えるのではないでしょうか」
養老さんの場合、単に乱読するのではなく、独特の読み方から意表を突く結論や現在に至る教訓を導いていくのが著書の魅力の一つとも言える。問題はどれだけたくさんの本を読んだかではなく、本を読んでどれだけ深く考えたか、ということなのだろう。
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