【貸金庫窃盗】競馬やFXで借金10億円…なぜ三菱UFJ元行員は「ギャンブル」をやめられなかったのか?『ギャンブル脳』になりやすい人の「6つの傾向」を精神科医が説く

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ギャンブルに脳が侵された者の末路は…(※画像はイメージ)

日本を揺るがす貸金庫窃盗事件の動機は「ギャンブル」だった

 1月14日、三菱UFJ銀行の貸金庫から顧客の金塊を盗んだとして、元行員で支店長代理だった今村由香理容疑者(46)が逮捕された。容疑は、2024年9月に客2人の貸金庫から金塊約20キロ(時価総額約2億6000万円相当)を盗んだというものだ。警視庁は余罪があるとみて捜査を続けており、被害総額は17億円にも上るのではないかといわれている。

 今村容疑者は短大卒業後、1999年に一般職の職員として入行したが、仕事ぶりが評価されて総合職に転向し、やがて支店長代理を任され、貸金庫の責任者となった。なぜ、管理職にまでなった女性が、日本の銀行の信頼を揺るがすような大事件を起こしたのか……その理由の一つがギャンブルだった。

 警視庁の取り調べによれば、今村容疑者は競馬やFX(外国為替証拠金)取引で10億円もの損失を抱えていたといい、これが動機につながったとみられる。投資と言えば聞こえはいいが、彼女の場合それもまたギャンブルの一種だったと言えるだろう。

 こうした動機はお馴染みのものだし、多くの真っ当に生きている人は「なぜそんなバカなことをするのか。どうして自制心を働かせることができなかったのか」と疑問に思うだろう。

 しかし、医師で作家の帚木蓬生(ははきぎほうせい)氏は、この問題については道徳的なアプローチではなく、医学的なアプローチが大切だ、と説く。ギャンブルにのめり込む「ギャンブル症」は病気の一種であり、日本国内に該当者が約200万人もいるというのだ。帚木氏はこうした人は「ギャンブル脳」の持ち主だと指摘する。

 つまり今村容疑者のような人は身近にいてもおかしくない。昨年もっとも話題になったギャンブル脳の持ち主は、大谷翔平選手の通訳だった水原一平被告だろう。そして、あなた自身がそうでないとは限らない。帚木氏によれば、ギャンブル症になりやすい人には、共通する6つの傾向があるという。ギャンブル症とはいかなる病気なのか。どんな人がギャンブルにのめり込んでしまうのか――。帚木氏の新著『ギャンブル脳』をもとに見てみよう(以下、同書から引用して再構成しました)。

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一種の生活習慣病であるギャンブル症

 ギャンブル症は、言うなれば一種の生活習慣病です。悪い習慣を続けてきた結果で生じる病です。悪癖は誰にでもあります。途中でそれに気づくか気づかないかで、その果ての結果が変わります。無茶食いをしていると自ら気がついて、三度三度の適度な食事と運動する生活に変更すると、もうメタボリック・シンドロームまでは行きつきません。
 生活習慣病ですから、ギャンブル症には誰でもなり得ます。お釈迦さまでもギャンブルを強制される状況に置かれれば、ギャンブル症になるでしょう。
 その理由は、ギャンブルにはお金という途方もない力が作用するからです。普通ならゆっくりと形成される生活習慣病ですが、このお金の力が加わるので、ギャンブルの生活習慣病は短期間にでき上がってしまいます。

 ギャンブルが開始されるのは20歳前後です。まだ大人になりかけの若い脳なのです。そこにお金という強烈な外力が加わりますから、いとも簡単に脳は変わります。
 アルコール依存症でも薬物依存でも、発症が早ければ早いほど重篤さは増します。ギャンブル症の発症は、大ていが20代です。これから社会人になるか、ならないかのときに病が襲いかかります。そしてもはや疾病から抜け出せなくなり、人生の破滅のどん底に落下していくのです。
 とはいえ、やはりこの特異な生活習慣病が生じやすい性格傾向は指摘できます。

ギャンブル症になりやすい人の「6つの傾向」

(1)子供のときにカンシャク持ちだった
 これは小さい頃から、自らの衝動を制御する能力が脆弱だったことを意味します。この特徴はADHDの要素でもあるので、成人してからギャンブル症につながりやすいのでしょう。成長する過程で、自らの衝動を抑える方法を身につければ、ギャンブル症に連接しなくなるはずです。
 この衝動性は、ギャンブルをやめ続けている治療中にも、よく発生します。衝動性が高まると、些細なきっかけでギャンブル再開になります。上司に叱責された、妻から文句を言われた、同僚から仕事にケチをつけられた、というような原因でムシャクシャがつのり、ギャンブルに走ります。これがひどくなると、雨が降って天気が悪いのも、不機嫌の原因になり、「クソッやっちゃえ」となるのです。

(2)興奮を求めやすい人
 こういう人は、世界の片隅でひっそりと、目立たずに慎しく生きていくと考えただけで、胸が苦しくなり、心も暗くなります。人生には常に刺激が必要だ、それがなければ生きていくに値しない、というのが、興奮希求型の人の特徴です。
 そういう人のために用意されているのは、スポーツや格闘技です。これらは社会で容認された興奮のはけ口になります。
 しかしこのはけ口がギャンブルになってしまうと、もういけません。スポーツや格闘技は自己鍛錬が必要です。苦しい練習が日々続きます。ところがギャンブルは、そこまでの習練は要しません。今すぐにでも興奮が得られるのです。

(3)新奇なものに惹かれる人
 新しいもの、珍しいものに魅せられるという人の心が充足されやすいのは、創造行為、つまり芸術です。発明もその類かもしれません。
 創造行為がたとえ模倣であっても、自分なりの新しい工夫を加えられるので、新奇なものに惹かれる心性は、ひとまず満足の域に達します。まして創造行為は社会では容認され、多少奇矯なものでも、特異な才能として重宝されます。これが賞讃に結びつけば、名声まで得られます。
 ここにつけ入るのがギャンブルです。新奇なものに惹かれる心性を大いに活用して、ギャンブルに耽溺させようと策を練っています。パチンコ・パチスロでは新台入替で模様替えを怠りません。競馬、競艇、競輪、オートレースでも、賭け方は何種類もあります。新奇なものを作ろうとした結果です。スポーツ振興くじや宝くじも、賭け方はひとつではありません。選択に迷うほどです。新奇さには事欠きません。

(4)負けず嫌いな人
 これは本当はいい性向であり、負けず嫌いこそ、どの分野でも成功の鍵になります。ナニクソや負ケテタマルカ精神があってこそ、スポーツでも芸術でも商売でも研究でも、努力と向上心につながり、最後には栄光が待っています。たとえ失敗しても、同じ失敗は繰り返すまいとして、多方面から検討して、再びの努力を重ねます。
 ところがギャンブルでは、同じ負けず嫌いでも様相を異にします。負けの要因の反省が不充分で、同じ過失を繰り返すのです。
 負けたのは自分のせいではなく、外部要因だと見なします。責任転嫁です。天気が悪かった、時間が不足した、機械が悪かった、元手が少なかった、などと理由はいくらでもつけられます。それでいて、ギャンブルで勝ったときは自分の力だったと結論づけるのです。こうなると、負けず嫌いは良い方向に発揮されません。反省もないので、行為そのものが改まりません。また失敗が待っています。

(5)内向きの性格
 人づきあいが苦手で、親しい友人もいない人は社会で孤立しがちです。孤立そのものは全然悪くありません。孤立によって、他から惑わされず、自分流の生活を全うできる利点もあります。
 しかしそこに寂しさを感じた場合、ギャンブルという悪魔の手が伸びてきます。ギャンブルに他人は関与しません。相手はモノだけです。馬でもボートでも自転車でもオートバイでもくじでも、こちらで気を遣う必要はありません。パチンコ・パチスロも機械です。人嫌いの人でも上手に相手をしてくれます。熱中しているうちに、いつの間にか寂しさも吹き飛んでしまいます。ギャンブルが親友になってしまうのです。

(6)誉められたことがない人
 これは小さい頃の成功体験と言い換えてもいいでしょう。大人になるまで大して誉められもせず、成功したという体験がないままで育ってしまったとき、ギャンブルでの勝ちは大きな誉め言葉になります。競艇で1000円が1万円にでもなれば、両親から誉められたも同然です。かつて誉められた体験がないので、勝つたびに有頂天になり、深みにはまっていきます。

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『ギャンブル脳』では、ギャンブル症になってしまった人がどのような思考回路になっていくのか、なぜ日本にはギャンブルが氾濫しているのか、ギャンブルがきっかけで罪を犯した人の末路、そしてどのように回復を目指すのかまで、包括的にまとめられている。

 他人事ではないギャンブルの怖さに、日本人も向き合う時が来ているのかもしれない。

 
帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)
 
1947(昭和22)年福岡県生れ。精神科医・作家。東京大学仏文科卒業後、九州大学医学部に学ぶ。『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞を受賞、『閉鎖病棟』で山本周五郎賞を受賞するなど小説家として活躍する傍ら、医師として35年以上、ギャンブル症の治療に取組んできた。

Book Bang編集部
2025年2月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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