ざんねんな上司に読んで欲しい「世界一の大富豪」のすごすぎる人心掌握術 『なぜこんな人が上司なのか』(桃野泰徳)試し読み

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 責任は取らず、手柄は自分のものに。失敗の本質を見抜けず、数字も時代の変化も読めず、無駄な努力を続ける。見当違いの対策を無理強いする――。そんな上司に心当たりはありませんか。大和証券勤務を経て、中堅メーカーなどで最高財務責任者(CFO)や事業再生担当者(TAM)を歴任した著者によるリーダー論『なぜこんな人が上司なのか』より、一部を抜粋してお伝えします。

第1章 人望を失うリーダーがやっていること
1 「私がいたからこそ成功した」と言う上司へ

なにかおかしい

「これくらいのこと、当然です。特に難しい仕事でもありません」

 同僚の営業責任者がそういった時、思わず彼の顔を二度見してしまっただろうか。大手商社からヘッドハンティングしてきたということで、株主からも期待されている取締役だ。

 その彼に、株主の一人が直近の受注について、「さっそく成果を挙げられてますね、さすがの手腕です」というような社交辞令を言った時の言葉だった。

 しかしその案件は、彼が入社する半年も前から若手が中心になって粘り強く、非常な苦労をして受注に繋げたものだ。彼の貢献はゼロといっていいプロジェクトである。

 なおこの話は、今から20年近く前のことではある。しかし今も変わらず、世の中にはそんな理不尽があふれかえっているのだろう。

「部下の成果を自分の手柄にしてしまう上司」

「このプロジェクトは俺が成功させたと吹聴するリーダー」

 現在進行形で、こういった上司や社長を冷めた目で見ている人は、きっと多いのではないだろうか。そしてこういうリーダーは、例外なく優秀な人ではないというのが、今のところの経験則だ。残念ながらこの時の役員も成果を挙げられず、短い期間で辞任に追い込まれている。

 しかし一体なぜ、こういう発想をする人にはリーダーが務まらないのだろう。感覚的に理解できるのはもちろんだが、なにか必然的な理由があるはずだ。

 そんなことをずいぶん長いこと考え続けていたが、最近やっと、その共通点と答えらしきものを見つけた気がしている。

「あのジュースを忘れることができない」

 話は変わるが、アメリカを代表する著名な大富豪といえば誰を思い浮かべるだろう。令和の時代であれば恐らくイーロン・マスクやビル・ゲイツ、トランプ元大統領あたりだろうか。

 しかし20世紀の初頭まで、全米はもちろん世界一の大富豪と言えば、「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギーその人であった。近代化が進む時代にあって、鉄鋼の生産を中心にさまざまな事業に投資・進出して莫大な富を築いた、立志伝中の人である。以下少し、同氏の生涯について触れていきたい。

 なおエピソードは、『カーネギー自伝』(アンドリュー・カーネギー著、坂西志保訳・中公文庫)に基づいている。

 カーネギーは1835年11月、スコットランドの田舎町で、手織工を営む家庭に生まれた。しかし時代は、産業革命のまっただ中だ。蒸気機関を動力にした織り機の普及により一家は収入を失い、困窮を極めることになる。そして織り機などを処分すると渡米を決意し、カーネギーも13歳で学校を辞め、両親とともに米ピッツバーグ対岸の街、アリゲニーに移住する。

 一家を支えるため、カーネギーはすぐに働き始める。最初の職場は紡績工場の糸巻き係で、週給1ドル20セントだ。この給与で毎日、朝は暗いうちから夜は暗くなっても働き続けた。

 その後、知人の経営する工場でボイラー火夫の仕事を経て、14歳で電報配達夫に転職する。週給2ドル50セントであった。

 そしてこの頃から、カーネギーの異常ともいえる努力が始まることになる。電報配達では必ず顧客の顔と名前を強烈に記憶し、特別感を演出してかわいがられた。さらに電信を音だけで文字起こしする、全米でも数名しか持たない技術を身につけると、17歳で通信技手になり月収は25ドルに跳ね上がる。

 運命の出会いは、18歳のときに訪れた。トマス・A・スコットという、彼の人生を大きく変えることになる人物の目に留まったのだ。スコットは当時、黎明期の鉄道業界にあって、ペンシルベニア鉄道会社の監督としてピッツバーグに来ていた。そこで電信技手として知り合ったカーネギーを引き抜くと、事務員兼電信技手に取り立てる。月収は35ドルにまで上がった。

 その後、スコットの出世とともにカーネギーも重い役職を任され続け、その全てで桁外れの努力を続け結果を出し続けることになる。

 後はもう、雪玉を転がすように大きくなっていく立身出世物語だ。稼いだお金をもとに、スコットとともに寝台列車事業に投資し、あるいは鉄鋼事業にも進出すると、「鉄鋼王」への道のりを一直線に突き進むことになる。余りにも長くなるので、これ以降のことは割愛したい。

 さて、この大富豪カーネギーの人生を最初に知った時、その異常な努力とリスクを恐れない行動力に驚いたのが、第一印象だった。そのため同氏が後年、78歳のときに著した自伝に興味を持つ。どれだけ努力をしたとか、成功の秘訣は苦労であるとか、きっとそういうことが具体的に書かれているのだろう──。しかしその予想は、完全に裏切られることになる。

 彼の自伝には、苦労や努力といった記述が、ほぼ全くといっていいほど出てこないのだ。それどころか、人生で出会った人たちの名前をフルネームで挙げ続け、今の自分があるのはその人たちのおかげであると語り続ける。冒頭から3分の1ほどは、ずっとそんな内容である。

 なおここで出てくる人たちとは決して、大富豪になったきっかけをくれたような有力者とか、そんなものではない。学のない自分に本を貸してくれた、15歳の時の知人。週給を2ドルだけ増やしてくれた、16歳の時の上司。極めつけは、渡米する際にジュースを一杯おごってくれた船員の名前まで挙げ、深い感謝とともにこんなことを語っている。

「私は、あの泡だって流れ出る清涼飲料水が入っていたすばらしい飾りのついた真鍮の器を忘れることができない。(中略)なんとかして彼を探し出そうとしたが、ぜんぜん手がかりがない」

以上は本編の一部です。詳細・続きは書籍にて

桃野泰徳
1973(昭和48)年生まれ。編集ディレクター、国防ライター。大和証券勤務を経て、中堅メーカーなどで最高財務責任者(CFO)や事業再生担当者(TAM)を歴任し独立、起業。リーダー論、組織論を中心に朝日新聞GLOBE+や経済誌に執筆。

新潮社
2025年4月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「週刊新潮」「新潮」「芸術新潮」「nicola」「ニコ☆プチ」「ENGINE」などの雑誌も手掛けている。

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