斎藤知事の「プロパガンダ合戦」を見抜かなければならない理由 新米記者が冷や汗をかいたのはなぜか

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斎藤元彦兵庫県知事

 ロシアや中国、北朝鮮政府の発表を「プロパガンダだろう」と最初から疑ってかかる人は少なくない。また大小問わず選挙の候補者の訴えも、プロパガンダだと捉えるのは自然なこと。

 しかし現実には、ありとあらゆる情報がプロパガンダとなっているのだ、と指摘するのはフリージャーナリストの烏賀陽弘道氏だ。さらにそのチェック機能を担うべきマスメディアの能力が低下している、と警鐘を鳴らす。

『プロパガンダの見抜き方』の著者である烏賀陽氏に、自身の失敗談も交えながら、現代人が知っておくべきプロパガンダの基礎知識を解説してもらった。以下、烏賀陽氏の特別寄稿である。

 ***

 兵庫県知事の斎藤元彦氏の選挙戦について、関与したPR会社社長が、プロパガンダ戦略を告白して大いに話題になったことは記憶に新しい。驚いたのは、プロパガンダ戦略があったことではなく、これまで隠密の存在だったPR業者が堂々と内情を告白した点である。
 斎藤知事に関しては、その後も話題が絶えない。「親・斎藤派」と「反・斎藤派」の双方の言い分は対立したままだ。私たちが意識しておかなければならないのは、プロパガンダ合戦は続いているということだろう。受け手の思考を自らの陣営に有利な方向に誘導しようという思惑の元、双方が情報を発信している。「親」の方は「斎藤知事は悪くない」、「反」の方は「斎藤氏は知事失格だ」という世論を形成したいという意思を持つ。それらの情報はすべてが嘘というわけではない。ただし思惑は確実にある。
 このような構図は国内外どこででも見られる。ロシアとウクライナ、イスラエルとハマス、中国とアメリカ等々。
 気になるのは、それを伝えるメディア(あるいは個人)が、そのプロパガンダに加担しているという意識が低くなっているのではないか、ということだ。

新米記者の失敗

 1986年に大学を出て朝日新聞社に就職した私が、着任して真っ先に上司や先輩から教えられたことの一つが「企業や役所の宣伝に紙面を使うな」つまり「プロパガンダに紙面を使わせないよう、見分けられるようになれ」だった。
 私が新米の記者として赴任したのは、人口14万人ののんびりした三重県の県庁所在地・津市だった。そんな小さな街でも、県庁から市役所から、企業から市民から「取材して載せてくれ」という「お知らせ」が毎日毎日「山」になって来る。当時は郵便かファクスだったので、文字通り机の上に毎日山ができた。
 今では「プレスリリース」という。それを開封して目を通し「新製品Xを発売」のような「宣伝」リリースを捨てる。それが新人記者として最初の仕事だった。
 もちろん、中には紙面に載せるべき情報も入っている。そのため中身を見ないで捨てるわけにもいかない。全部開封してチェックしなくてはならない。
 ある日、津市の隣の小さな町役場から「農業用水が完成し町長が視察します」という「お知らせ」が来た。その町の行政は私の担当だった。指定の時間に現場に行ってみた。記者になって1ヶ月目ぐらいだったと思う。
 農業用水をまたぐ橋の上、右側に町長と役場の職員が地図を広げて立っている。反対の左側に住民(農業者)たちが集まって、町長たちと話していた。新米で何もわからない私は「エライ人が写っているのがいいのかな」と町長が職員にあれこれ指示を出す姿を写真に撮って支局に帰った。
 記事を書いて写真と一緒に提出するやいなや、デスクに「これじゃだめだ」と一喝され、次のように言われた。

「行政はな、住民のためにあるんだ。新聞では、いつも住民が主人公なんだ。だから『町民の話を聞く町長』じゃなくて『農業用水について要望を町長に話す住民』の写真を撮るんだ」

 私は真っ青になり、住民側を撮ったコマがないか探した。が、ない。当時の私は「写真を撮影する方向で、記事の性格が真逆になる」ことに思いが至らなかった。
 デスクは「しょうがねえなあ」と呆れている。私のその不出来な記事は、地方版の隅っこに写真つきで載った。本当は落第点の写真とともに。

宣伝に使われてはいけない

 今でも、その記事は私のスクラップブックに貼ってあり、時折見返す。38年を経て、切り抜いた新聞紙はわら草のように変色している。が、私にとっては、記者としての一生ものの重要な教訓を教わった大切な記事だ。その教訓とは──

(1)政府・県庁・役場や企業は、常に新聞・テレビなどマスメディアを自己の宣伝に使いたいと思っている。
(2)発信側はこう思っている。広告という掲載手段では、効果が薄い。情報を受け取る側は「広告なのだから、どうせ自分で自分を良いように見せようとしているに決まっている」と考えるからだ。
(3)ゆえにマスメディアが掲載に値すると認めた「ニュース」になって初めて、読者は価値を認める。宣伝効果を発揮する。
(4)だから記者や編集者などマスメディア側の人間は、常に情報が「掲載に値するか」を判断する力を磨かなくてはならない。
(5)その判断では、役所や企業の利益ではなく、読者(そこには有権者、納税者、消費者など様々な性格が含まれる)の利益になるかどうかを第一に考える。役所や企業の利益は優先順位が下でなければならない。

 これが、新米記者の私が受けたレッスン・ワンだった。そのころはまだ、朝日新聞社の地方支局にも、ジャーナリズムの原則がちゃんと機能していた。そしてそれを、大学を出たばかりの新米記者に丁寧に教えるだけの教育機能があった。
 今振り返ると、この「プレスリリース」や「売り込み」こそが「プロパガンダ」だったことに気づく。警察や官庁の場合は「発表」と言う。
 私が教わったことをもう少し付け加えておく。

(6)売り込みや発表を書いているだけでは「ニュース」を書いていることにはならない。
(7)ゆえに、発表を受動的に待っているだけの記者はダメだ。本当のニュースは能動的に自分から探すものだ。
(8)つまり「報道」が伝えるものは「反プロパガンダ」でなくてもよい。が、少なくとも「非プロパガンダ」でなければならない。

 ここでごく簡単にプロパガンダの定義を述べておこう。

・プロパガンダとは、発信者が多数の受信者に向けて、明確な意図・目的を持って発信する情報を指す。
・伝達手段にはマスメディアが用いられる。
・その意図・目的とは「情報の受け手の思考や感情、行動を発信者にとって好ましいように誘導・変更する」ことである。
・その意図・目的は表面からは隠されていることが多い。
・従って、その意図・目的を知らないままに情報を受け取り、処理をすると、自覚しないうちに、発信者の思うように思考や行動を誘導される可能性がある。
・発信者は政府・企業が主であるが、SNSの普及した今日では個人であることが増えた。

烏賀陽弘道

新潮社
2025年3月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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