朝ドラ「あんぱん」で注目 やなせたかし少年の心をワシづかみにした漫画家とは

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アンパンマンとやなせたかしさん

 気の早い向きからは「名作」との評価も聞こえてくるNHK朝ドラ「あんぱん」。やはり朝ドラは実在の人物をモデルとしたほうがいい、といった声もあるようだ。

 もっとも、ドラマはあくまでもドラマであって、数多くの脚色が加えられている。たとえばドラマでは主人公・朝田のぶと柳井嵩の出会いの時期が幼少期となっているが、この点は、史実とは異なる。しかし、そのおかげで子役たちの名演技を堪能できたのだから文句を言う視聴者はいないだろう。

 一方で、幼少期からやなせたかし氏が漫画に熱中していたのは紛れもない事実。漫画に限らず、かなり多様な文化に接することができる、当時としてはかなり恵まれた環境で育ったようだ。ドラマの中でもしばしば、夢中になって漫画や雑誌を読む姿が描かれている。これがのちの創作に生きたのは間違いない。

 どのような本や絵に接してやなせ少年は育ったのか。その生涯を辿りながら、アンパンマンの魅力に迫った『アンパンマンと日本人』(柳瀬博一・著)をもとに見てみよう。(以下、同書をもとに再構成しました。文中敬称略)。

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文化資本に恵まれた家庭環境


 やなせたかしの父、柳瀬清は江戸時代から続く高知県香美郡在所村(現・香美市香北町)の旧家の生まれです。

 父の兄、やなせたかしの伯父、寛は京都府立医大に進み、高知市に近い南国市後免町(ごめんちょう)で内科小児科医院を開業しました。次男である父の清も成績優秀で、上海の東亜同文書院に進学。帰国してからは講談社を経て朝日新聞記者を務めていました。文学と絵を愛し、テニスの選手でした。

 母登喜子は、父以上に裕福な地域随一の豪農大地主の生まれでした。地元でも評判の美人三姉妹の真ん中。

 父はインテリでエリート、母は優しく美人。やなせたかしは、経済的にも文化的にも恵まれた環境に生まれたのでした。

 母は父の赴任先である上海でやなせたかしを身籠(みごも)ると、高知の実家に戻って出産した後、東京勤務になった父と合流し、現在の東京都北区滝野川で生活していました。

「家には、その当時の小市民階級の文化的シンボルだった蓄音機があった」(やなせたかし『アンパンマンの遺書』岩波書店 1995)

 父はクラシックを好みましたが、やなせたかしと弟のために童謡レコードも買ってくれました。野口雨情「青い眼の人形」、北原白秋「雨」、三笠宮が幼少時に作詞した「町の灯」の3曲は、老境に至っても歌えると述懐します。「カルメン」「アルルの女」などクラシックにも強い興味を抱きました。講談社と朝日新聞に勤めていた父はたくさんの雑誌をとっていました。

「キング、婦人倶楽部、主婦之友、中央公論、婦人公論、改造、雄弁、面白倶楽部、講談倶楽部、富士、オール読物、文芸春秋、アサヒグラフその他各種そろっていました。ぼくは少年倶楽部、弟は幼年倶楽部がごひいきで、五十銭のギザギザ硬貨を握って町に一軒しかない書店へ新刊書を買いにいくときは、本当にうれしくて胸がときめきました」(やなせたかし『人生なんて夢だけど』フレーベル館 2005)

 やなせたかしの絵や漫画への興味は、このように文化資本に恵まれた家庭環境から生まれたのです。少年やなせたかしは、音楽を聴き、雑誌や書籍を読み漁り、挿絵に夢中になりました。長じてデザイナーになり、漫画家になり、絵本作家になり、詩人になり、作詞家になり、アンパンマンの生みの親となる彼のクリエイティブの源流が窺えます。

柳瀬博一
1964年、静岡県浜松市生まれ。東京科学大学教授(メディア論)。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経BP社入社。2018年より現職。『国道16号線』『カワセミ都市トーキョー』『上野がすごい』(滝久雄と共著)『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二と共著)など著書多数。

Book Bang編集部
2025年4月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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